第7話 大聖堂で

「さぁ、ヴァレンティーナ様。話が終わったところで、すぐに頬を冷やしましょう。気が気でありません」


 ジャンナの細い指が、いたわるように私の頬にそっと触れた。


「ええ。でも、これから大聖堂に向かうわ」


「待ってください。頬が腫れてしまいます。もしかしたら、青黒くなってしまうかもしれません」


「大丈夫。それで構わないから、今は先にするべきことをしましょう。貴女は夕刻時にはマヤの元に行かなければならないし……」


 礼拝用の白いローブを着て、頭からフードを被ると、ジャンナと護衛を連れて城に一番近い大聖堂に向かった。


 そこには顔見知りの聖職者がいるから。


 王都の大聖堂を管理する上級神官の事だ。


 大聖堂の一般の礼拝者が入れない区域に行くと、目的の方である神官が姿を見せてくれた。


 私達の婚姻式も執り行ってくれた方だ。


「ヴァレンティーナ様、いったいそのお顔はどうなさったのですか」


 年配の神官であるギャバン様は、私の顔を見るなり驚いた表情をされた。


「私が至らないばかりに、アルテュール様と拗れてしまいました」


 それを告げると、ギャバン様は表情を曇らせた。


「陛下は、何という心無い事を……力無き婦女に暴力を振るうなど信仰に反く行為だ。それに、神の前で誓った言葉を蔑ろにするとは」


「ギャバン様……その時が訪れたら、お力になってもらえますか?」


「もちろんです。そうでなければ、聖地である公国に対して申し訳が立たない。さぁ、あちらで治療を施しましょう。その頬はよく冷やされた方がいい」


 ギャバン様に案内されて、大聖堂の治療室へと向かった。


 冷やすのが遅くなったから、明日以降で肌の色が変色しているかもしれないけど、それはそれで動かぬ証拠となる。


 誰が何をしたのか、目で見えたものが何よりも雄弁に語ってくれるから。


 大聖堂から帰るときには、恥と外聞を考えても、人目のある場所を通った。


 質素な装いで頬を赤く腫らした王妃が、浮かない表情で俯きながら歩いていたら、人々にはどのように映ったか。


 翌日。


 自分の顔を見ると、白い肌にほんの少しだけ変色している部分があった。


 拳で殴られたわけではないけど、頬骨のところはそれなりに痛かったのと、肌もそこまで強くないから色が変わりやすかったのだと思う。


 そんな私の顔を見て、父はもちろん激怒していた。


 今はまだソッとしておいて欲しいと父に頼み、淡々とした日々を過ごすことになる。


 ジャンナの不在は、私に少しの心細さと大きな心配を与えたけど、黙々と大人しく貞淑な妻として、執務室で自分の役割をこなしていた。


 でも、私が極力関わりを避けていたのに対して、


「ごきげんよう。お飾り王妃様」


 居住している建物自体が違うのに、わざわざここを訪れたのか、マヤが断りもなく訪ねてきた。


「陛下を怒らせたそうね?私のために彼は怒ってくれたのでしょう?ごめんなさいね。陛下の寵愛を独り占めして。それから、侍女をありがとう。よく私に仕えてくれているわ」


 入室の許可など出していないのに、勝手に入ってきて、勝手に目の前に立ち、私に小馬鹿にしたような笑みを向けている。


 その背後には、少し頭を下げたジャンナが静かに立っていた。


「でも貴女はまだまだ、お飾り王妃でいてね。離婚なんてしないわよね?できないわよね?だって、私に追い出されたみたいで惨めよね?」


 そんな事をできるはずがないと高を括っている様子だ。


 高みから見下ろすような視線を私に向けて、可笑しそうに声を出して笑っていた。


 マヤには視線を向けずに、手元の書類にサインをする。


「貴女は今日も美しく、寵姫に相応しいお姿ですね」


 視線は向けないままそれを告げる。


 私がいなければ困るのは貴女の方だ。


 何もできなくて。


 バレたら困る秘密も抱えていて。


 それらを言葉にすることはできない。

 

 余計なことを言えば、ジャンナに迷惑をかける。


 ただ黙って、マヤの言葉を聞き流していた。


 あともう少しの我慢だ。


 相手にされていない事が分かると、マヤはすぐに部屋から出て行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る