この街は死人が多すぎる

Tempp @ぷかぷか

第1話

 朝。

 トースタのポップ音で目が覚めた。湿ったコーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、胃が動き出す。ぼんやり目を開けると既に明るい。体を起こせば、ホノリが食パンを皿に移すところだった。

 手元のスマホを覗けば時刻は六時五十分。いつも起きる時間だけれど、最近は日増しに朝が明るくなる。いつもの朝食の香り、そしていつもの不穏なニュース。

 ニュースサイトにはこう書かれていた。


『またも凶行。十二件目』

 3月1日の16時25分頃、南神津みなみこうづ3丁目路上で旅行代理店に勤務する27歳の女性従業員が撲殺される事件が発生した。凶器は石とみられる。

 近隣住民が119番通報し、駆けつけた救急隊によって病院に搬送されたが、女性は搬送中に死亡が確認された。

 同様の事件は既に11件発生しており、うち死者7名、意識不明者3名にのぼる。意識を取り戻した1名は、突然背後から襲われたことしか覚えておらず、未だ犯人は特定されていない。

 犯行現場はそのほとんどが神津市内であり犯行時刻は日中が多いが、被害者が女性であることを除き、その年齢及び属性はいずれもバラバラである。警察は凶器はその場に落ちていた石であり、同一犯または複数犯、模倣犯いずれの可能性もありうるとしている。


けいちゃん、早く起きないとパン冷めちゃう」

「ごめんごめん、おはよう、ホノリ」

 ベッドから飛び起きて急いでパンにバターを塗ると、小麦粉の焼けるふくよかな芳香とバターのまじった暖かな香りが広がる。

 ホノリとは3ヶ月くらい前から付き合い始め、先月から同棲を始めた。出会ったのは近所の公園で、その時ホノリが落としたコンタクトレンズを一緒に探したのが出会い。見つかったけれどレンズは砂で傷だらけで、結局新しくした、という話をお礼名目で喫茶店に誘われた時に聞いた。

 その公園は通勤途上にあったから、それまで名前は知らなかったけどホノリの顔だけはよく知っていた。朝夕によく見かけていたから。だから話しかけやすかったのかもしれない。ホノリは話してみると想像していた以上に気さくで、いつのまにやら付き合っていた。

「ホノリも気をつけて。最近物騒な事件ばかりだ」

「私は大丈夫だよ。用がなければまっすぐ帰るもん」

「そういう油断がよくないんだよ」

 この事件はちょうどホノリと同棲を始めたころに始まった。場所も最寄駅の神津駅近辺ばかり。被害者に共通点がないのが恐ろしい。ホノリに何か起きないかとても不安だ。ホノリはおっとりしていて小柄だ。襲われたらひとたまりもない。

「大丈夫、行ってらっしゃい」

 俺はホノリより少しだけ出勤が早い。だから少しだけ心配だ。


 それからも日が経つに連れ、被害者数は増えていった。頻度も増加していた。

 犯行は2日に1回は必ず起こる。1日に2人が被害にあうこともある。狙われるのはいずれも女性ばかりだが、年齢は10代から50代までと幅広い。無作為に襲っているようにしかみえない。

 日に日に、ホノリが襲われないかと不安になっていく。まるで隘路に誘い込まれているようで。なにしろ凶器はその辺の石だ。どこにでもある。町内会や警察の指導で石拾い運動も行われたけれど、植木鉢やブロックなんかのそのへんにあるものに凶器が移っただけで、抑止力にはなっていない。

 その日の朝。

「ホノリ、犯人が捕まるまで家を出ないでいてほしい。買い物は俺がするし必要ならネットスーパーでもいいじゃない。パートも休もうよ」

 そう思ったきっかけは、とうとう近所のコンビニの女性店員が襲われたからだ。そこは家から3分ほどのよく行くコンビニで、襲われた女性はレジ以外には一言二言声をかけるくらいの関係でしかなかったけど、知ってる人が被害にあったということ自体が耐え難い危機感を募らせた。あのコンビニ店員よりホノリの方が小柄だ。襲われればひとたまりもないだろう。


「大丈夫よ、本当に大丈夫なの。心配しないで。危険なことはしないから」

「そうはいっても。お願いだから今日1日だけでも休んでもらえないかな。なんだか本当に心配なんだ」

「そんなに急に休めないよ。私も心配だもん」

 結局、気が気がないままその日の朝も家を出るホノリの背中を見送った。なるべく早く家に帰ろう。そう心に決めて。

 けれどもそういう日ほど仕事はかさみ、結局のところ、会社を出たのは22時過ぎだった。神津は繁華街だからまだ賑わい、人でごった返してるとはいえ、自宅の近くは住宅街だ。ホノリが心配だ。

 焦って通りを突っ切っていると、女性にぶつかり荷物が街路に散らばった。

「申し訳ありません」

「いいですよ、気をつけてくださいね」

 謝りながら急いで荷物を拾って渡す。40代ほどのおだやかそうな女性だ。帰宅中かもしれない。

「それでは失礼します。あの、お気をつけて」

「ええ、ありがとう」

 そう言って別れた。けれどもふと、その時何かが気になった。嫌な予感がしたというか、虫の知らせというか。

 だから思わず振り返ってその背中を見れば、妙な違和感があった。なんだろうと思ってあとをつける。そうすると賑わう人混みの影のように、俺とその女性の間に1人、ずっと同じ背中が上下しているのに気がついた。緑のパーカーで頭をすっぽり被い後ろ姿。それがやけに気になって、不吉な予感はいや増して、震える足で追いかけると人気のない路地にたどり着く。俺はあの言葉が気になっていたから。

 そこに入るやいなや、パーカーはその辺の家入口付近にあった植木鉢を振りかざし、止めるまもなく女性に襲い掛かる。

けいちゃんは、私の、物、よ、勝手に、話、かけない、で」

 ガツガツという鈍い音に混じって濃い血の臭いにむせ返る。そうしてやはり、と思い、ここが隘路の一番奥の袋小路だと思い至る。震える手でスマホを取り出し、通報したものかと狼狽える。不意にズレたパーカーから覗いた鬼の形相に覚えがある。それは確かに、ホノリのものだったから。

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