第3話 年下の男の子
私がまだ日本とは縁もほど遠かった頃、当時勤めていた地元の会社で不思議な出会いを経験した。
いつも通り仕事をしていたある日、担当していた企画の会議が終わって、自分の部署に戻ろうと廊下を歩いていた。すると、向こうから見慣れない若い男性がやって来た。背が高くて顔が整っていて、いわゆるイケメンと呼ばれるタイプの人で、すれ違いざまに一瞬目が合ったかと思うと、ニコッと軽く会釈をして去って行った。ほんの一瞬すれ違っただけなのに、なぜか私は彼のその微笑みかけるような顔を忘れることができなかった。
その日の仕事終わりは職場での飲み会があり、同じ部署の先輩の紹介で日本人の男性と会うことになっていた。一体どんな人なんだろうと思いながら少し緊張していたが、目の前に現れた男性を見て思わず自分の目を疑った。偶然にも、その人は昼間廊下ですれ違ったあのイケメンだった。驚きを隠せないまま戸惑う私をよそに、先輩は彼の紹介を始めた。
「彼の名前は、ケン。日本の貿易会社で働いていて、仕事の関係でこっちに来ることになったの。しばらくの間うちの会社で一緒に仕事をするから、色々サポートしてあげてね」
ケンは私たちの部署で、一か月くらい一緒に仕事をすることになった。まさかこの人が後に私の人生を大きく変えることになるなんて、そのときの私はこれっぽっちも想像していなかった。
ケンは私より7歳年下だけど、しっかりした佇まいをしていて真面目で誠実そうな人だった。彼は飲み会の間、お酒も飲まず煙草も吸わず、ジュースを片手にとても流暢な英語で会社の人達に挨拶して回っていた。その様子を横目に日本人ってやっぱり礼儀正しいんだなあと感心していた。ただ、一つだけ気になったのが、いい年をしたイケメンがジュースだなんて……彼のイメージとあまりにもギャップがありすぎて、思わず笑ってしまった。他の人達も同じようなことを思ったのか、「ケンはとても真面目な人なんだね」と、皆楽しそうに笑っていた。
ケンがタイを訪れたのは今回が初めてで、せっかくなので休日になると私たちは色んな観光名所を案内して回った。ケンは物静かだがとても優しくて気配り上手な人で、そんな彼に私は徐々に心を惹かれていった。そうして、いつの間にかケンのことを目で追うようになっていた私は、いっそのこと彼が帰国してしまう前に、思い切ってアプローチしてみようかと考えた。けれど、7歳も年上の女なんて相手にしてもらえないんじゃないかという不安もあって、自分の気持ちに正直になるのに迷いが生じていた。こんなに誰かにときめいたのは久々のことだったが、結局その後もケンとは他愛もない話しかできなくて、ただいたずらに時間だけが過ぎていった。
そうこうしているうちに、ケンのこちらでの滞在期間はあっという間に終わりを迎えて、私は何も伝えられないまま、彼の帰国を見送ることになってしまった。
ケンがいなくなって数日、彼に自分の気持ちを伝えられなかったことに心残りがないと言えば噓になる。だけど、きっとケンは年上に興味なんてなかっただろうし、変に告白して傷つかなくてすんだのだから、これでよかったんだと、なんとか彼のことを忘れようとそう自分に言い聞かせた。
それから、相変わらず仕事に追われて忙しい日々を過ごしていたある日、日本から私宛に手紙が届いたと、先輩が手に持っていた茶色い封筒を手渡してくれた。差出人を確認すると、そこにはケンの名前が書かれていた。なぜ私宛なのだろうと不思議に思いながら、手紙の内容に目を通した。
「ナンさん。先日は大変お世話になり、ありがとうございました。おかげさまで素敵な時間を過ごすことができました。それまでは、タイという国に対して特別な思いはありませんでしたが、ナンさん達が案内してくれたおかげで、今ではこの国のことがとても好きになりました。今後もタイには旅行に行こうと思っているので、そのときにぜひまたお会いしましょうね。ケンより」
とても丁寧な英語の筆記体で書かれたお礼の挨拶状だったが、タイへの想いが綴られたその手紙は、私にとっては期待外れのものだった。こんな内容ならわざわざ私宛にしなくてもいいのに……それに、また会おうだなんて、どうせ社交辞令だろう……。
思わせぶりな手紙の内容に少し腹が立ったが、おかげでもうケンのことはきれいさっぱり忘れようと決心がついた。
ところが、その後半年も経たないうちに、ケンは本当にまたタイに訪れて、私に顔を見せに来てくれたのだった。
Loving You Is Blind. 大宮 りつ @yun05
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