第2話 故郷を離れて
日本から少し離れた所、東南アジアに微笑みの国タイがある。そこの三人兄弟の長女として、私ナンは生まれた。父はパイロット、母は国営アナウンサーで、いわゆるエリート家庭で育った。両親共に教育熱心だったけれど、普段は優しくて尊敬できる人達だった。だけど、中学生のときに父が飛行機事故で亡くなってしまい、その後は、母が女手一つで育ててくれた。
父との思い出は少ないけれど、生前彼に教わった今でも大切にしている言葉がある。
「人前では泣かずに、強くありなさい。人に優しく思いやりをもって接しなさい」
それが、私に教えてくれた彼の生き方だった。子どもながらに私はその言葉を胸に刻み、泣きたいときは空を見上げ、自分の弱さを決して人に見せないようにしてきた。人前ではいつも笑顔でいることを心がけて、悲しみは心の奥底にしまった。
父がいなくなってから、母は私たち兄弟三人をたった一人で育て上げた。彼女は才色兼備で非の打ちどころがなく、何でも完璧にこなせる人だった。子ども三人を育てることは、並み大抵なことではなかったはずなのに……そんな母は、いつでも私の憧れの存在だった。
愛する人と共に人生を歩むために故郷を離れたとき、母は別れ際に私を優しく抱きしめて、背中を押すように言った。
「自分で選んだ道に自信を持って進みなさい。たとえ、その先にどんな困難があっても、決して後ろを振り向かず、生きて泳ぐ魚のように荒波に負けずに立ち向かいなさい」
私はその言葉を、生涯忘れることはなかった。母の言葉通り、どんなことがあっても前向きに生きる姿勢を貫くと決心した。
彼と飛行機に乗った後、窓から見える故郷は見る見るうちに小さくなっていき、これから見知らぬ土地へ向かうことに心細さを感じた。窓から見える景色がどんどん知らない光景に変わっていくと、今まで隠していた不安と恐怖が一気に私を襲った。父の教えを守る余裕すらなく、隣に愛する人がいるのに突然涙が溢れてしまった。
「どうしたの、急に?」
驚く彼に聞かれたが、精一杯の見栄を張って苦し紛れの言い訳を考えた。
「大丈夫。たばこの煙が目に入っただけだから……」
当時は、機内での喫煙が許されていて、私はとっさにそんな嘘をついた。はっと我に返り父の言葉を思い出すと、毛布に包まり自分の顔を隠した。彼は何が起こったのか全く分からず、戸惑いながらも背中をさすってくれた。
そんな中、二人のキャビンアテンダントが私たちに近づき、まるで私の心の中を全て見透かしたように、優しくタイ語で話しかけてくれた。
「大丈夫ですよ。日本とタイはそんなに遠くないので、いつでも故郷に帰れますよ」
その言葉を聞いて、私は落ち着きを取り戻し、気がつくと涙は止まっていた。きっと、私の気持ちに気づいてくれた人達がいたことに安心したのだ。そうしているうちに、機内では着陸のアナウンスが鳴り出した。
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