第45話 わかれみち

「あなた、誰……………?」

「………」


 全く私と同じ姿のドッペルゲンガー。彼女は極寒を感じさせるほど冷たい紫の瞳で私を捕えていた。


 これは問いには答えてもらえそうにないな、と思っていたが、意外にも真顔のドッペルゲンガーは名乗ってくれた。


「私はあなたを殺す者」


 ほぉ。

 随分と強烈な自己紹介ね………。


 響いた声は私と全く同じもの、何一つ違わなかった。誰か知らないけど、私になりすますなんて度胸があるじゃない。


 変身魔法を得意としているのは、てっきり悪女中の悪女マリー・ビンガムと凡人コニー・ラングレイだけだと思っていた。他にもいたのね。


「あなたの名前は?」

「私はアドヴィナ・サクラメントよ」

「………」


 何度も聞いても同じ声が返ってくる。だが、よく聞けば口調に煽りを感じない。氷のように冷たく響いていた。


 この子、自分がアドヴィナ・サクラメントと思い込んでいるようね………。


「私はあなたを倒す。倒して、これまで死んでいった人を弔う………せっかくだし、あなたの得意魔法で倒してあげるわ」


 淡々と話していった彼女は、両手を胸の前で交差させ、芽吹く花のように拳から指を開く。


「インウォカーティオー」

「――――は?」


 少女の口から吐かれた呪文。

 同時に思わず漏れた困惑の声。


 『インウォカーティオー』は普通に生きていれば、まず聞き入れることはない呪文だ。


 なのに、なぜその呪文を知ってる?

 それは私の――――。


「森羅万象の闇を具現せよ――――ベリアル」


 幼少期の頃から、アドヴィナが唯一まともに使えた魔法。ずっと隠してきた魔法。使えば、学園から即退学か、セイレーンの実験体になっていたであろう、その魔法。


 ――――悪魔召喚術。


 実に悪役が持ち合わせていそうな魔法。ゲームをかなりやり込んだつもりだったが、使えると分かった時には「もしや悪役令嬢アドヴィナがラスボスになるルートもあったのでは?」と思った。


 悪魔を召喚できると分かれば、たとえこれまでの行いが聖人のようによかったとしても、私はたちまち罪人扱い。だから、アドヴィナはずっと隠してきた。


 まぁ、ナアマちゃんやあの方には教えているけれど………。


 秘密同然のそれを知っているなんて、彼女は何者?

 まさかナアマちゃんが漏らした?

 いや、そんなはずがない。

 ナアマちゃんを疑うなんて、何を考えているの、私。


 ドッペルゲンガーの背後に現れる禍々しい黒い闇。そこから、むくりと姿を現したのは炎の羽で身を包む1人の女性。


 ゆっくりと瞼を開けたそれは、全てを燃やし尽くすほどの熱い瞳で私を睨む。女性………いや、その悪魔は私に対しては敵意をむき出し。


 一方、少女に対しては慈しむような優しい瞳を向けていた。

 

 この覇気………間違いない。高位の悪魔だ。

 そんなものを召喚するなど、少女は一体何者か。


 エルフの乱入者か。

 見逃していた変人か。


「悪魔の怒りで死すがいい、偽物――――」


 それとも天使の刺客か――――。


 



 ★★★★★★★★





 私は――――正真正銘の“悪女”。


 自分でデスゲームを始めたはずなのに、第2ラウンドまでのすっかり記憶がない。その状態で目を覚まし、目の前にあったのは「TOKYO」という文字のモニュメント。


 ………ここはどこなのかしら?


 杖一つ持ち、静かな夜の街を散策する。私はエイダンに知らない罪を問われ、婚約破棄された。弟も私の言葉を信じてくれなかった。


 公爵令嬢なのに、みんな私をなめて、無視して、時には暴力を振るって。学園みんなが敵だった。


 私を痛めつけた敵全員を殺す、その感情がふつふつ沸き立った。そうして、ようやく見つけた最初の1人を殺して、私は不思議な快感を得た。

 

「あれ、なんで悲しいんだろう………?」


 同時に、悲しみと後悔の感情に襲われた。

 アドヴィナは人を殺すことが生きがい。

 目標達成のためにしなければならないこと。


 彼を殺さないと、私は勝てない、生きれない、未来がない。


「――――じゃあ、なぜ涙を流してるの?」


 悲しい感情なんて生まれないはずなのに。

 憎悪しかないのに。


「………あれ、あれ?」


 悲しいことなんてないのに、なぜか涙が溢れてくる。


 みんな生きていてほしい。

 みんな笑っていてほしい。


 私が思うはずのない、そんな切望の感情が押し寄せてくる。


 ――――ねぇ、全員が生き残る道はないの?

 そんな声が聞こえてくる。


「ごめんなさい、ごめんなさい………」


 人気のないネオンの街を迷いながら、謝りながら、私はまた1人。


「ごめんなさい、許して………」

 

 また1人と殺して、そして彼――――オリバー・メントリーも殺した。オリバーを殺した瞬間、猛烈な悲しみが襲ってきた。


 なんでこんなにも悲しいの、苦しいの………。

 彼は私のだったから? だからなの?


 いや、アドヴィナ・サクラメントはオリバーとは親友はおろか、友人でもなかった。では、なぜ今彼を親友と………?


「あなた、誰?」


 消えていくオリバーを見送っていると、もう1人の自分と出会った。私とそっくりだが、あれは絶対に偽物。見た瞬間、着火したように殺意が沸いた。


 ――――あれだけは絶対に自分の手で殺す。


 私は名の知れた高位悪魔を召喚。

 召喚術は元々私が得意としていたもの。

 偽物なら、あいつにはできない。


 たとえ、私が魔力不足で燃え尽きたとしても、ベリアルに勝ってもらう。


「ベリアル、あの女をやって――――」


 私の命令に頷いたベリアル。彼女はふぅーと口から高熱の炎を吐きだし、地面を燃やし尽くしていく。たちまち構内は赤の炎に包まれた。


 偽物なら、魔法なんてろくに使えない。

 これを防ぐことはまず無理。死ぬだろう。


 それに、偽物は魔法を使って私に変身している。きっとその魔法に魔力リソースを割くので精一杯だわ。

 

「ねぇ、偽物さん――――こんなのやめましょ」


 一面炎の海。

 その中から聞こえた彼女の声。

 歩いてくる少女の影。


「狂ってほしいとは願ったけど、私になるなんて馬鹿げたことはしないでよ、偽物さん」


 すぐに灰になると思われた偽物は、何食わぬ顔で炎を抜け出してきた。


「『偽物さん』? 何を言ってるの? 見て分かるでしょ、私は正真正銘のアドヴィナ・サクラメントよ」

「………こんなのやめましょ」


 偽物ははぁと溜息をつく。嫌気がさしているような、呆れているような深い溜息だった。


「………」


 こんなことでは動揺してならない、アドヴィナ・サクラメント。


 もっとこてんぱんにやればいい。

 肉も骨も形残さず焼き払ってしまえばいい。


「ベリアル! あいつをやって!!」

「ヴァァ――――!!」


 私の命令で雄叫びを上げるベリアル。ベリアルは偽物に向かって、先ほどよりも威力と火力のある炎を吐いた。炎の熱波に当てられ、額に汗が伝う。


「インウォカーティオー」


 しかし、偽物はひらりと炎を交わし、側転しながら自分がしたものと同じ詠唱を発し、手を組む。そして。


「地獄の業火を解き放て――――イブリース」


 悪魔を召喚。

 大風が吹き、偽物の隣に大きな角を持つ高身長の男が現れた。悪魔であろう彼から放たれる、息ができなくなるほどの禍々しいオーラ。思わず足がすくみそうになった。


 イブリースって魔王ルシファーの別名、よね?

 ………え、ウソでしょ。

 そんなものを召喚した? 

 あの偽物が?

 私ですらできないのに?

 

「イブリース、お願いします。私に力を貸してください」


 丁寧にお辞儀するアドヴィナの言葉に、イブリースはコクリと頷く。そして、長い長い爪を持つ右手を横に振った。その瞬間、よぎる青い炎。大きな風が吹き、髪が大きくなびく。


「えっ?」


 気づけば、隣のイブリースは半分にぶった切られていた。豪快に血しぶきを上げ、ぱたりとその場に倒れる。 


「ありがとうございます、イブリース」

「………」


 無言のままの悪魔に、偽物の彼女はニコリと微笑んでいた。


 一瞬でベリアルを倒すなんて………いや、召喚悪魔がいなくなっても、私は諦めない。


 彼女は絶対に倒すの――。


 氷魔法で剣を形成、右手に持ち、偽物に向かって駆ける。同時にイブリースには、光魔法で光線を放つ。


「偽物はここで狩ってやる――ッ!!」

「………………」


 それでも、偽物は動かない。なぜか悲し気な顔を浮かべていた。私を憐れむような、私を殺すことを拒むような、沈痛な表情だった。


 なぜそんな顔をする?

 散々殺したいと言っていたじゃないか。

 私を……僕を嫌っていたじゃないかっ――――。


「記憶を失くしているのよね。なら、思い出させてあげる――――」


 すると、偽物はイブリースと目を合わせる。

 イブリースは答えるようにコクリと頷き。


「――――っは」


 刹那の攻撃。風も何も感じなかった。


「………」


 だが、下を見れば、ぽっかり穴が開いてしまった腹。

 余裕で腕を通せそうな大きな穴から血が流れ、自分の肉を骨を燃料に燃える青い炎があった。飲み込んで腹に隠していたコアも消えていた。


「あなたはアドヴィナではないわ」

「………………」


 真っすぐに向けてくる、全てを見透かしているような、だけど心配の色を見せた碧眼。見慣れたそのコバルトブルーの瞳の持ち主は――――。


「あなたは――――私の弟よ、カイロス」

「………………」


 名前を呼ばれた瞬間、全てを思い出した。

 空白だった記憶が蘇る。


「………姉さん」


 姉さんのいう通り、僕はアドヴィナではない。姉さんと瓜二つの姿をしているけど、僕は彼女の義弟カイロス。


 姉さんは隣のイブリースとともに、僕に近づくと足を止める。信じられないものを見るかのように、僕を爪の先から頭までゆっくり見上げた。


「まさかとは思ったけど、ベンが話していたのはあなたのことだったのね」


 そう。僕が姉さんの姿になれていたのは、ベンジャミンが天使と取引したから。ベンが彼の綺麗な顔を失う代わりに、僕が姉さんに変身。その際、自分自身の記憶は消され、姉さんの体と心を得た。


 ――――そして、


「………………」


 僕は誤解していた。

 本当は姉さんはハンナをいじめていなかった。

 謝罪したあの日から、ずっと真実を言っていた。


 でも、姉さんも姉さんじゃないか。全部説明してくれたら、もっと話してくれていたら………。


 ………いや、姉さんを責めるのは違うか。


 僕がもっと調べていれば、姉さんの言葉を信じていれば、こうはならなかった。


 ああ………本当は姉さんはいい人だった。


 ハンナに謝ってからは本気でいい人になろうと、改心しようとしていたんだね。僕が責める相手を間違えてたんだ。


 力は徐々に抜けていき、跪いて、地面に寝転がる。

 元の姿に戻っていくのを感じる。


 信じていれば、姉さんとハンナが仲良くなる未来だって、あったんだよな。

 でも、もう全部遅いよなぁ――――………。




 ★★★★★★★★




 後ろに1つ束ねた銀髪。そのポニーテールを揺らしながら、僕の前を走る幼い姉さん。時折振り向く顔には笑顔があって。


「捕まえてごらんなさいな! カイロス!」


 嬉しそうに逃げていく姉さん。彼女の笑顔につられて、僕もふと気づけば笑っていた。姉さんを追いかけて、春の庭を走っていく。


 でも、彼女の背中は遠くなっていく。

 追って伸ばす小さな手は、不器用に空気を掴むだけ。

 何も掴めない。

 

 ………………ああ、そうか。

 幻想ゆめの中でも、僕は――――………。




 ★★★★★★★★




「………あはは」


 倒れたカイロスは、一瞬目を閉じた後、なぜか笑い出していた。何か物が取れたかのように、無垢な笑みを浮かべていた。


「………ねぇ、カイロス」

「………なに、姉さん」

「『生かしてくれ』とは言ってくれない?」

「1人しか生き残れないんでしょ。言わないよ」


 死にかけだというのに頭の回る子。


「…………僕、どこで間違えたのかな、姉さん」

 

 私のと似た色の瞳。

 アイスブルーの瞳から、1つの雫が肌を伝う。


「出会った時から………私が間違ってた」

「なら、僕は姉さんが謝罪した時だね。僕が信じていれば、姉さんはデスゲームなんて始めなかったよね…………」

「………ええ、そうね」


 私たちは姉弟きょうだいだった。

 姉弟になれたはずだった。

 

 確かに私は全員殺すと言ったわよ。

 決めていたわよ。

 家族じゃないなんて言ったわよ。


 …………でも、やっぱりカイロスは私の弟。家族だ。


 甘いと言われてもいい。

 それでもいい。


 血が繋がっていなくとも、弟が死んでいくのは辛い………。


 本当に姉弟になりたかった。2人で楽しく暮らせれば、家族で仲良くできれば、それでいいと思っていた。それができるのなら、地位も名声も放り投げていたと思う。


 だから、彼が「生きたい」と一言言ってくれれば、その道はある。


 デスゲームを開き虐殺をした以上、サクラメント家は公爵家ではなくなってしまうけれど、でも、それでも家族4人で生きれる道があるのなら…………。


「ねぇ、もう一度聞くわ。生きたいとは言ってくれない?」


 そう問うと、カイロスは優しく柔らかく笑った。


「………うん、言えないよ。僕はハンナを置いてはいけない」

「そっか………………」


 上を見上げ、すぅーと息を吸いこむ。

 彼が生きたくないと望むのなら、私は彼の意志を………尊重しよう。


「さようなら、カイロス」

「ばいばい、姉さん」


 今まで返ってくることのなかった明るい挨拶。

 最期のさよならを告げたカイロスは、幸せそうな笑顔で散っていった。




 ―――――――


 明日は7時頃更新します。

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