第48話 靄の中、夢の中
私の目覚めを待っていたのは、あの憎きエイダン王子。彼は燕尾服をまとい、ベッド際に立って爽やかな笑みを浮かべていた。
………これは何の冗談よ?
「お嬢様、いつもと様子が違いますが、いかがされました?」
心配な顔を浮かべて、顔を覗き込んでくる執事姿のエイダン。
いや、それはこっちのセリフだから。
コスプレなんて、あなたがいかがしたの?
頭でも打ったの?
「やはり昨日の頭痛が残っていらっしゃいますか?」
「………………」
「お嬢様? 本当に大丈夫ですか?」
私は眠っていたわけではない。
眠らされた………でも、誰に?
てか、さっきまで何をしていた?
何をしていたか、それが不思議にも全く思い出せない。起き上がり、鏡を見るが、映った姿は銀髪の少女。確かにアドヴィナ・サクラメントだった。
でも、私はさっきまであの子と………………。
「待って………………あの子って誰?」
少し思い出した。ついさっきまで女の子と話していた、ような気がする………ここではないどこかで。しかし、何もかもあやふや。さらに思い出そうとしても、遠ざかっていく。
「お嬢様、湯浴みの準備が整いました。どうぞこちらへ」
部屋の隅で立っていたのは、マリー・ビンガム。彼女もエイダンと同じように使用人の姿。黒のワンピースと白のフリルエプロンを着ていた。
答えず動かず、黙って観察していると、マリーはこてんと首を傾げた。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでも」
マリーは死んだ………はずだ。記憶を思い出せない以上明言はできないが、少なくとも直感的に死んだと思う。
「お嬢様、一体どうされたんです?」
「私にも分かりません。起きてからずっと困惑されているようでして………」
「まぁ………」
エイダンとマリーは、様子のおかしい私を見て、揃って心配そうな顔を浮かべていた。
「お嬢様は連日パーティー続きでしたし、ご自身で感じている以上に疲れているのかもしれませんわ。ささっ、お嬢様。湯の中で疲れを癒してくださいませ」
促されるまま私はお風呂に入り、マリーに用意してもらった服を着て、ブラッシング。そして、食堂へと向かい朝食を取る。どうやら行くのが遅かったようで、食堂に家族は誰もいなかった。
朝食後は特にすることもなく、私は庭に出てお茶を飲むことにした。その際にもエイダンとマリーは、好みの茶と菓子を手際よく用意してくれた。仕事のできる人たちだ。
そうして、花々が咲き誇るサクラメント家の庭を眺めていると。
「ごきげんよう! アドヴィナお姉様!」
私の名前を呼んで走ってきたのは、艶やかな金色の髪を揺らす少女。
おかしいわ………。
なのに、なんで………………なんで、この子が私を『お姉様』と呼ぶの………?
「お姉様、どうかいたしましたか?」
澄み切った桃色の瞳を向け、こてんと首を傾げる金髪の美少女。彼女の名前はよく知っていた。思い出せなくても、忘れはしない――――乙ゲーのヒロイン、ハンナ・ラッツィンガー。
「アドヴィナお姉様? いかがされましたか? ご気分でも優れないのですか?」
彼女は私をお姉様と呼んでいた。しかも、私の心配までしている。ハンナが妹というのはどういことだ? ゲームがバグらない限りありえないでしょうに………誰か説明しておくれ。
だが、誰かに聞くことなどできず、私は仲良くハンナとお茶をすることになった。怯えた顔しか見たことがなかったからこそ、彼女の笑顔に慣れなかった。
今のハンナは………私の妹………。
いや、ずっと前から私の妹………?
「昨日の姉様のドレスとってもお似合いでした! 姉様の絵を描きたくなるほど、綺麗でした!」
「それはどうもありがとう」
ハンナはずっと楽し気な声を上げて話していた。彼女の笑顔は幸せそうで、自然とこちらも嬉しくなる。
でも、この胸のひっかかりはなんだろう。何か大切なことを忘れているような気がする………何だったかしら。
「ハンナも来ていたんだね」
そう言って現れたのは長身褐色男、ベンジャミン。相変わらず爽やか笑顔だった。でも、今日のベンジャミンは皮肉さも企みも感じない………なんか綺麗なベンジャミン………。
「あ、お兄様! おはようございます!」
「ぶほっ」
紅茶を飲んでいた私は、思わずハンナの一言に吹く。令嬢たるものあるまじき行為だった。
あれっ?
私の耳がおかしくなっちゃったかなー?
ハンナちゃん、この褐色野郎を“お兄様”と呼んでいた気がするわ………。
聞こえたのが幻聴だったらいけないので、一応ハンナに確認することにした。
「ねぇ、ハンナ。今、ベンジャミンのことなんて呼んだ? もう1回言ってくれる?」
「へ? “お兄様”と呼びましたが………何か変でしたか?」
ちょっ、ちょっと待てーい、ハンナちゃんよ。
ベンジャミンが、ハンナの、私の兄だと………?
「そんなバカな………」
私に兄などいない……男がいないから、カイロスがサクラメント家に来たのだから………。
驚きのあまり目を見開く。一方、私の動揺を気にしない様子のベンジャミンは、流れるように私の隣に座った。
「アドヴィナ、どうしたの? もしかして、俺が座るのは嫌?」
「い、いいえ………いや、とかでは………」
このぉ……顔面が眩しすぎるわ。
こんなにも綺麗な顔していたかしら、コイツ。
通った鼻筋、長い睫毛。私の兄妹とは思えぬ、褐色の肌。白シャツに、スラックスとラフな服装をしているにもかかわらず、溢れる気品。なんじゃ、この兄貴。
「アドヴィナが俺のことを名前で呼んでくれるなんて嬉しいよ」
「………」
いや、さっきのは事故で………。
「ああ、そういえばこの前アドヴィナが欲しがってた湖、買えたよ」
「み、湖?」
「うん、欲しがってたでしょ? 湖周辺の土地も勝って屋敷も買ったから、今度2人で旅行に行こうね」
ベンジャミンは私の髪を流れるように取ると、ちゅっと口づけ。「えー! 兄様だけずるいです! 私も行きますー!」とだたをこね始めるハンナ。
………………なんだ、これは。
「おはよう、アドヴィナ」
訳の分からない現実に一瞬意識の彼方へ飛んでいた私。声に反応し振り返る。後ろにいたのはカイロス。白の軍服を身にまとった、凛々しい彼だった。
彼は私に顔を近づけると、慣れたようにちゅっと頬にキス。柔らかな笑みを浮かべていた。
「なっ、なっ………」
な、なぜ私にキスを?
キスはおろか触れられることすらなかったというのに。
突然のことに頬が赤くなっていくのを感じた。それを必死に隠そうとするも、カイロスはなぜか嬉しそうに笑って、私の隣に座る。
一方、正面のハンナは笑顔のままだが、オーラが物騒なものに変わった。ベンジャミンも微笑んでるけど、今にも攻撃を仕掛けそう。2人ともなんか怖い。
「ごきげんよう、殿下」
「おはよう、カイロス」
「おはよう、ハンナ、ベンジャミン」
「殿下は今日も姉様に会いにいらしたのですね」
「ああ、アドヴィナは僕の愛しの婚約者だからね」
「婚約者………そうですわね。“今は”お姉様の婚約者は殿下でしたね」
「そうだな。“今”だな」
なぜか「今は」という部分は強調する兄と妹。3人は微笑んでいるはずなのに、なぜか火花が散っている。
…………いやいや、その前に待って。
ハンナ、カイロスを『殿下』って呼んだ?
え? それってカイロスは王子様ってこと?
さらには、私がカイロスの婚約者ですって?
「僕の顔を見て、どうしたんだい?」
愛らしい顔で微笑むカイロスに、私はクリティカルヒット。感情が爆発していた。
え、ここ何?
エイダンが執事…………よく仕事をしてくれて助かる。
ハンナが妹………………こんな可愛い子が妹とか
ベンジャミンが兄………ブラコンになりそうなぐらいいいお兄ちゃんだ。
カイロスが婚約者………推しが婚約者なんて死んでしまいそう。
………………あれ、別に悪くない。
でも、心のどこかで否定する何かがある。しかし、記憶をたどろうとしても、なぜか靄がかかって見えない。分からない。なんか忘れてることがあるはずなんだけど、あれっ、あれっ?
「私、何をしようとしていたんだっけ…………?」
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