第10話
「──おかえり、世良」
綺麗なマンションの3階に位置する遊の部屋。ドアを開けて入ればすぐに聞こえてくる声はいつも「いらっしゃい」じゃなくて「おかえり」って言ってくれる。
「……うん」
意地っ張りで素直にそれを喜べない私は、“ただいま”って一言が口に出せない。それに慣れてしまったらいけない気がして。
「ご飯、できてるよ」
この男は料理もできるからタチが悪い。私が遊より優れているところなんてないに等しいわけで。人並みに料理ができたところで、この男の胃袋を掴むことはできない。だって遊の作るもののほうが綺麗だし、おいしいから。
それがまた腹立たしくて、始めのころは積極的に作っていた料理もだんだんしなくなっていった。
「……いただきます」
テーブルについて、手を合わせて挨拶をする。にこにこと笑って私を見つめる遊は、私が一口食べて「おいしい」って言ってからじゃないと、自分も食べようとしない。
「おいしいよ」
おいしいのはいつものこと。だけど毎日のことに慣れ過ぎていて、この「おいしい」も「いただきます」と同じように淡々と機械的に発するようになってしまった。
「よかった」
ホッとしたようにまた笑って、自分も箸を手に持つ。なんだか罪悪感がチクッと胸を刺した。
「あ、今日いい香りの入浴剤買ってきたんだ。後で入れておくね」
洗い物をしながら思い出したように言った遊。いろんな意味で女の子である私よりずっと女子力が高い。
「そっか」
“ありがとう”も“ごめんね”も、子どもだって言えるのに。素直に言えなくなってしまった可愛げのない女なのに……そんな私を突き放さない遊は何を思っているのかな。
「最近、世良……疲れてるよね?ちょっとでも癒せたらなあって」
酷く優しい男。その優しさがあまりにもやわらかく私を包みこむ。
「──遊」
なんだか堪らなく彼が愛おしくなって、キッチンの流し台に立つ彼の背中に抱きついた。
「世良?」
珍しい私の行動に、彼が発した声は驚きを含んでいる。そのまま私の腕の中でぐるりと回転し、私と向き合う形になった。
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