13

 財布の中身と、この夜道。果たしてどちらの闇が深いのか。

 治療費ですっからかんになった彼は、愛車を押しながら歯軋りした。


「くそっ、あのクソガキ……マジで殺してやる」


 パーツの多数が破損・脱落し、廃車のような様相を呈する二輪車を押す。

 彼、春瀬直樹はタンクのステッカーを撫でた。


「ああかわいそうに……痛かったろう?」


 彼には金がなく、比較的軽傷だったおかげで退院出来た。

 しかし相方の傷は深く、半端に現金を持っていたのがよくなかった。

 恐らく、一ヶ月はベッドから離れられない。


 警察からの事情聴取には、運転のミスによる負傷と答えた。答えなくてはならない。

 さもなくば、瞬く間に自分らが返り討ちにあったと噂が広まる。

 蘭走は終わりだ。


「ぶっ潰す……幕内……」


 口から呪詛が溢れ出る。

 かつてないほどの怒りで脳髄が活発化していた。

 だからこそ、騒音性難聴気味の耳でも聞き取れた。


「……あ?」


 照明が壊れた暗い公園。そこで濃密な人の気配を感じた。

 ただの気配ではない。ただれた、みだらな気配。


 深い意図はない。ただ、なんとなく気になっただけ。

 愛車を電信柱に預け、独り歩き出す。

 距離を縮めるたびに確信に変わる。聴覚に加え、嗅覚も情欲の匂いを感じとった。


 そして、木立の隙間から窺い知れた。

 女が三人、男がその五倍ほど。

 男女達が乱れ狂っていた。


「なんだこれ」

「正しい事だよ」


 思わぬ肯定の言葉に、直樹は背後を振り返った。

 そこにいたのは、少年。大きめのパーカーを羽織っている。


「な、なに?」

「おにーさんもパパになる?」


 言っていることが理解出来ない。

 パパとはなんぞや、父親になるということか。


 そう言われて背後を振り返る。

 あの場にいた彼らには、避妊措置ゴムがない。

 全くそう言う経験がないわけではないが、この人数相手で正気の沙汰ではない。


「お、俺は……」

「ねえパパ?」


 違う声。視線を少年に戻すと、所謂“地雷系”と呼ばれるファッションの少女が増えていた。

 整っていても、コピペのように同じ体格・同じ顔が揃うと本能が嫌悪感を訴えた。

 しかし、それもすぐに萎えた。


 鼻腔に香りが広がると、別の感情が屹立する。


「なっ、なんだあっ。なんだよこれっ」

「怪我してるの? 痛そう、辛そう……」


 少女が直樹の身体を撫でる。

 しかし、そこは傷ではなかった。

 細指が身体を這い、先端にたどり着く。


 布越しのキス。

 沸き立った熱情が薄い膜一つで爆発を免れていた。

 いや、違う。不明な何か・・・・・に抑えられているのだ。


 そんな趣味はないというのに。

 殴る蹴るよりも堪える苦痛が、直樹を襲っていた。


「どうにかしてくれえっ」

「だったら、受け入れればいいんだよ? ホーリツとか、リンリとか、オシエとか……全部捨てちゃって」


 欲望を包み隠す包装が破られた。

 そして小さな口を広げ、包み込む。


「あううっ」


 見上げる瞳は、まるで戯れる愛玩動物を眺めるように。

 閉ざされた瞼は、経験したことのない感覚に信じられない快楽と僅かな恐怖を感じていた。


───気持ちいいけど、辛い。


 たとえ脳天を破壊するような快楽でも、解放まで行き着けねば苦痛と大差ない。

 男とは、そういうつくりの生き物だ。


「難しいこと考えるのやめて、正しいことをしよ?」


 現在の行為と正しさ、繋がるものはない。

 しかし、脳内に溶け込み出した快楽は思考を汚染し始めた。

 意味なんてわからなくていい。ただ───


───もういっそ、なるようになればいい! 最高に気持ちよくなりたい!


 春瀬直樹の思考は停止した。

 元々、彼は理解不能な状況に巻き込まれただけ。

 誘惑に負けない、屈しないという気持ちは無に等しい。


 そうなると、話は早かった。

 出口を求める者達が一斉に排出され、嚥下されていった。


「すごーい。よく出来たね。パパ」

「は、ハハ……」


 状況に放り出された彼には、何一つわからない。

 しかし、ひとつだけ確かなことがあった。


 心に絡みつく、鎖のようなものが生じたということだ。

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