12

 放課後。

 帰りのHRが終わると、一部の生徒達に自由のひとときが訪れる。


「ほらっ、早くしないと練習始まるよ」

「待って。後ちょっとで宿題終わるから」


 それぞれの道を往く生徒達の列に混ざり、知樹と慶太も廊下に出た。


「ねえマック。帰りに何か食べない?」

「いいけどさ、俺金ないんだよな」

「ちょっとなら奢るよ」


 タダ飯は好きだ。知樹がニンマリと笑みを浮かべた。

 ワックスで磨き上げられたリノリウムの段を降り、昇降口へ。


 すると、爆音。パパパパと連続する破裂音。

 爆発や銃声ではない。エンジンと違法マフラーによるものだ。


「えっ、暴走族? 珍しいなぁ」


 慶太に心当たりはない一方で、知樹には心当たりがあった。

 今朝カツアゲ中のところに遭遇した蘭走の連中だ。彼らが制服を見てお礼参りに来たのだろう。


「懲りねえ連中だ」

「え?」

「気にすんな。やっぱメシなし! またな!」

「あっ」


 友人を巻き込むわけにはいかない。

 知樹は下駄箱から靴を回収すると、ふと思いつく。


「それと、今日は帰り道変えた方がいいぜ!」


 ささやかな忠告を済ませると、騒がしい正門を避けて駆け出した。


◆ ◆ ◆


 閑静な住宅街でエンジンがいななく。


「おーい、出て来いや! いるのわかっとるんだぞ!」

「早よ来な帰らんぞ!」


 スクーターではない、大排気量の大型バイクが二台。

 燃料タンクにはRun&ソーのマークを貼り付けている。


「ひっ、人を呼ぶならせめて名前を出しなさい!」

「るせえおっさん! 引っ込んでろ!」


 教師に怒鳴りつけるバイカー。実を言うと、彼らが持つ情報は限られていた。

 というのも、知樹に折檻されたメンバーは報復を恐れて情報を出さなかったのだ。


 出した情報は二つ。

 カツアゲ中にやられた。相手は名北学園の男。


 それだけで、彼らはここまでやって来たのだ。


「そろそろ警察が来るぞ」

「ギリギリまで待つ。このままじゃ舐められる」


 直接現場を見たものはいないが、這々ほうほうていで逃げ出す姿は多くの人間が目撃していた。

 対抗勢力が耳にする、している可能性は十分にある。


 組織の面子が潰れれば、死活問題になる。

 なんとか、相手を〆て挽回しなければ。

 と、彼らは必死になっていたのだ。


「お前ら、あの原付スクーター・兄弟ブラザーズのお友達?」


 思わぬ方向からの声に、二人が一斉に視線を向けた。

 民家の塀に姿が半分隠れているが、高い背丈の男が目に入った。

 そして下がジャージに上が制服。聞いていた特徴と一致。


「テメェか! こっち来いや!」


 唇は閉ざされたまま、口角が上がる。そして、突き出した左手の中指が立ち上がった。


「殺す!」


 エンジンが唸りを上げた。同時に、相手も陰に身を隠す。

 その姿を愚直に追いかけた。


───人がバイクから逃げられるわけがねぇ!


 華麗なターンを決め角を曲がる。

 その先にあの背中を見つけた。


「逃げるなよ! もっと痛くしてやるぞ!」


 バイクのホルスターから鉄パイプを抜き放ち、地面に擦らせる。

 耳慣れない異音が響く。この威圧に慄かない人間はいない。


 彼らが長年培った喧嘩の勘は本物だ。

 相手を威圧し、ミスを誘い、一気に叩く。

 この戦術で彼ら蘭走は地域のトップに成り上がったのだ。


 しかし今回、相手が悪かった。


 追っている背は振り返りもせず、正面だけを向いて走り続けている。

 息を切らす気配もなく、凄まじい速さで足ももつれない。

 普段なら何らかのミスを犯して距離が縮まるのだが、これは想定外だった。


───でも、だからなんだ。いつか追いつく。


 そろそろ頭を狙えるという距離。

 片割れが音の威圧をやめ、パイプを振り上げた。


「頭カチ割ったるわタァケっ!」


 別に殺しちゃってもいい。

 そんな気持ちで一撃が振り下ろされた。


 しかし、渾身の一撃は空を切った。


「なにっ」


 まさか避けられるとは思わず、次の行動が一瞬遅れた。

 その影響で、追うべき相手が角を曲がった。


 一方バイクは急に曲がれない。

 急ブレーキを踏み、過ぎ去った道に戻る。


「お前がカバーしろよ!」

「知らねえよお前が外すから悪いんだろ!」


 僅かに距離が離れた。十分追いつけるが、ここで彼は気づいてしまった。


───こいつ、全然バテてねぇっ。


 3分ほどバイクから逃げ続けているというのに、ペースが落ちない。

 走行距離は中距離走の範疇に入っている。

 この競技で県内一位は取れないだろうが、いいところまではいけるはず。

 まさに、鋼のバイタリティ。


───俺の現役時代より速く、長いっ!


 報復心という炎に嫉妬という薪がくべられた。

 出力を上げ、愛車に市街地では危険な加速を強いる。


「おいっ、それはやべーぞ!」


 相方の言葉も聞かず、一直線に。


───お前の道も踏み潰してやる。


 過去に泥を跳ねる存在に心臓が暴れ狂う。

 あまりの怒りに、彼の視界には獲物しかなかった。


 しかし、戦いにおいて最も根本的な問題を彼は忘れていた。


 捕食者は被食者を喰らうもの。

 これは一般論だが、例外は存在する。


 たとえ百獣の王であろうと、時として草食獣が繰り出した一撃で命を落とすのだ。


 突如として彼が反転、正面から突進した。


「馬鹿が! 撥ね殺す!」


 これは結末の決まったチキンレース。

 恐れをなしてどちらかが逃げるか、人が撥ねられて終わるか。

 誰が見てもどうなるかわかる、分の悪い賭けだ。


 しかし、なにもただぶつかるわけではない。

 地面を蹴り、足を前に突き出す。


───ドロップ・キック!


 その思考の直後、二つの靴底が彼の胸部に直撃した。

 主人を失ったバイクが数メートルタイヤを転がすと、バランスを失いアスファルトを削った。


「春瀬ーっ!」


 バイカーの体が力なく道路に横たわり、対する相手はすくっと立ち上がった。


「うわあああああっ、生きてるっ!」

「そりゃそうだろ。こいつは知らねぇけど」


 先ほどの衝撃で傷だらけになった彼は、こともなげに答える。

 この瞬間、生き残りは確信する。


───勝てねえっ、こいつイカれてる!


 まともな人間なら、バイク相手に正面からドロップキックを仕掛けたりはしない。

 冷静に考えれば、助けも呼ばず逃げ回る時点でおかしい。

 予想していたのだ、この展開を。


「さて。クズは罰しないとなぁ」

「……! お、お前幕内……!」


 このフレーズの噂は耳にしたことがあった。

 とはいえ、所詮噂。尾鰭のついた馬鹿の武勇伝と聞き流していた。

 現実に直面すれば確信できた。武勇伝が事実であると。


「ゆっ、許してくださいっ」

「やだ。お前は公衆に多大な迷惑をかけるのみならず、正義たる俺を狙った」


 そこに浮かんでいたのは、笑み。

 自身の勝利と正しさを確信した、純粋無垢な表情だった。


「罰する」

「こっ、殺されてたまるかあっ!」

「殺しゃしねぇよ」


 振り下ろされたパイプに彼、幕内知樹は抱えた鞄で対抗した。

 カァン! 金属の打撃音が響く。

 言うまでもなく、彼の鞄にはウェイト兼防護用の鉄板が仕込まれていた。


 その一撃を流すと、鋭く小突く。

 見た目にそぐわぬ重い打撃に、バイカーは怯む。


 そこを叩かぬ義理はない。

 一気に踏み込み、今度はこちらが振りかぶる番だった。


 迷いのない頭部へ向けた一撃。

 強烈な衝撃にアスファルトに倒れ伏した。


 彼の頭部をヘルメットが防護していなければ、間違いなく命はなかった。


「でも死んだなら、その分クズが減る」


 倒れた体に蹴りを加えて生存を確認すると、サイレンの音色が響いた。

 さすがにこれは、警察のお世話になるとまずい。


「じゃ、後はお任せ」


 彼は人気がない民家の塀を乗り越えると、民家伝いに現場を離脱した。


◆ ◆ ◆


「フウッ、楽しかったぁ」


 警察の目をかいくぐり帰宅した知樹は、ふと気に掛かったことで自身のスマホを覗いた。


『よっ、無事帰れたか?』


 間もなく、返信が来た。


『特に何もなかったよ。さっきはどうかしたの?』


 もしや慶太も的に掛けられていたのではないかと考えていたが、それは杞憂だった。

 味噌粥の材料を鍋に放り込みつつ、返事を打ち込む。


『新しい鍛錬を思いついたからやってただけ』


 蘭走。過去に揉め事が何度かあったが、明確に相手をするのは初めてだ。

 知樹の言葉に嘘はない。

 喧嘩実戦もまた、彼にとっては鍛錬なのだ。


『今度一緒にやっていい?』


 この流れは想定外だった。

 慶太が休み時間に行う体力錬成の際、やたら一緒にいたのは記憶に新しい。


 少し考える。

 知樹は基本一匹狼だ。誰かと共に身体を動かしたり、それを教えた経験はない。

 しかし、未知への挑戦は重要だ。なにより父が教える側だったというのも、知樹の背中を押した。


『まずは昼休みの筋力錬成からだな』


 許諾の旨を伝えるとほぼ同時に、通知が画面に入り込んだ。

 ハンナ。この間の留学生だ。


『モーイ♪来週の水曜日、公開練習があるんだけど、来ない?』


 端的に言って、知樹に肯定する義理はない。

 前回は慶太からの誘いで行ったまでであり、ハンナとは誘いに乗るほど親しくはない。


 しかし───今回は戦いで高揚し、機嫌がよかった。


『慶太くんと一緒に行きます』


 味噌粥が出来上がるまで少し掛かる。

 もちろん、この時間を無駄にはしない。


 その場で伏せると、両腕を床に突き立てて腕立て伏せの姿勢をとる。


 こうして、幕内知樹の異常な1日が終わるのだった。

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