第36話サージュ目線
何故あの時私は怒ったんだ?
叱り、ではなく怒り、だった。
そんな事自分で分かっていたが、突く言葉と溢れる感情を止められなかった。
お願いがあります、とあの強い瞳で言ってきたから、私と出掛けたいのだ、と思っていたのに、懇願してきたのが召使いの教育。
途端に気持ちが苛立ち、抑えられなかった。
いや、それが必要なのは分かっていた。
リーンを一目見て世界が違う、と突きつけられた。これまでの貴族の概念が覆されたと言っても過言では無い。
それは側に居ればいるほど、彼女がどれだけ気品を纏い美しいかいやおうなしに見せつけられ正直愕然とした。
だからこそ、リーンが言わんとしている事も頭では理解していた。
だが、
だが、だ。
私は感情的になり、酷い事を言ってしまった。
まさかあんな辛そうな顔になるなら、分かったと言ってやれば良かった。
いや、全く何なんだこの気持ちは。
胸が重く苦しく、すっきりしない。どうすればいいのだ?いや、何故私が、分かったと言うべきなんだ。
私の機嫌を悪くしたリーンが悪いの、何故これ程に気分が悪いんだ?
はあ、と溜め息をつき手に持つ書類に目を落とした。
決算が終わり、各商団のこれからの事業報告を確認するが全く進まず、何度も読み直す己に苛立ちを覚える。
また、同じ内容を見直す羽目になった。
「悩み事か?珍しくため息なんかついて、女の事か?それならいくらでも相談に乗ってやるぜ」
私の横の机で書類を見ていた、親友であり、悪友であり私の片腕ある、ヴェルナがニヤニヤと笑いながら声をかけてきた。
ガレージ子爵の三男で自由気ままの遊び人だが、勉学には長けていた。だから私が会社を継いだ時呼び寄せ共に働いているが、本当によく働く奴だ。
まあ、女にゆるいのだけは好きになれんがな。
「女?お前じゃあるまいしそんなものはない。只、婚約者として来たリーンが少し気になってるだけだ」
「女じゃないか!」
驚いたように大声を出した。
「うん?そう言えばそうだな。あまり考えたことがなかったな」
「それで、何が気になるんだ?」
興味津々とばかりに聴いてくるのが尺に触ったが、これまでのリーンが来てからの事を話をした。
姉の代わりに婚約者としてやってきた事は話をしていたが、詳細は説明していなかった為、ハンカチの事やお茶会、ハラリヤ伯爵家からの招待状を説明すると、またニヤニヤと笑いだした。そして、へえ、と言う面白そうに笑う顔を見て、説明するべきではなかったな、と後悔した。
「なるほどな。つまりお前は不貞腐れ、八つ当たりしたのか」
「不貞腐れ、八つ当たり?私が、どこにだ?」
何をおかしな事を言い出す。
だがヴェルナは、まあまあ、と窘めるような顔をした。
「考えてみよろ。もしリーンがお前と出掛けたい、と約束した後に、屋敷の教育をしたい、とお願いしてきたら怒らなかっただろ?」
そう、言われて考えてみた。
リーンが、先日の店にもう一度私と行きたいと頼み、その後婚約について話がある、と言ったとする。
「そうだな、それなら承諾していたかもしれない」
そう言われてみればそうかもしれない。
「だろ。お前はリーンと出掛けたかっんだ」
「呼び捨てはやめろ」
「呼び捨て?」
「リーンと呼ぶな。お前に呼ばれるとなんだかムカつくな」
「ほお」
「何だ?その面白そうな顔は」
「いいや。お前がなあ、と思っただけだ。分かった、リーン殿だな。だが、相手はあのアッシュ家の令嬢だものな。姉の方は初めから馬が合いそうになかったし、噂通りの令嬢だったな。だが、リーン殿、いや、おい!」
「な、何だ?」
ペラペラと喋りだしたと思ったら、急に真顔になった。
「お前、手を出していないよな」
「当たり前だろ。興味無い」
「興味の無い、か。ふうん。お前面白いな」
「さっきから何だ?」
「いや、別に。まあ、それはそれとして、いいか婚儀が終わるまでは手を出すなよ」
「婚儀?また古臭いいい方だな。結婚式だろ」
「いいや、婚儀だ。お前は全く気にしていないというか、分かってないだろ。いいか落ちぶれてもアッシュ家は上級貴族だなんだ。その娘を貰えるというのさ奇跡に近いんだぞ!」
必死に言うヴェルナに、ああ、と思い出した。そうだこいつは良いとこの子爵の子息だったな。三男で好き放題しているから忘れていたが、そういう内情は詳しいんだろう。
「婚約披露がその証拠だ」
「それは、アッシュ家当主からの希望だったからだ。そう言えば、婚約の儀、と言っていたな。その言い方も上級貴族だからなのか?」
「その通りだ。お前なあ、分かってるか?婚約なんて紙切れ一枚で普通は終わるんだ。婚約披露、いや、婚約の儀何てものはしないんだ。何も問題がなければそのまま婚儀。それをわざわざ婚約の儀するのは、言わばどれだけ権力を持っているかを披露する場所なんだ。そういう令嬢は婚儀まで純潔を護る必要があるんだ」
「へえ。大層な事だな」
心配しなくても、手を出したいと思った事がないが、ますます私の知らない世界だな。
私の答えに、ため息をつき、お茶を入れだした。
「リーン殿の言うように、召使いの教育は大切だし、言うように婚約の儀を延ばすようにした方がいいかもしれないな。このままじゃ、恥をかくだけだ。お前は良いかもしれんが、リーン殿が可哀想だ。只でさえ我儘な姉の代わりにいやいや来てるのに、その素振りも見せず色々考えてくれているんだろ?」
いやいやという言葉に胸がざわめいたが、実際その通りに反論はなかった。
「まあ、そうだな。いつも、サージュ様の為に、と言ってくれているからな。笑ってくれいる方が見ていて楽しいからな」
優しく私に微笑のは、見ていて穏やかな気持ちになる。いやいや来たのだろうが微塵も見せず、いつも優しく声をかけてくれる。
難点と言えば、ウイスキーの入れ方ぐらいだ。
毎日毎日、グラスに氷1個になみなみと注がれるウイスキー。
ぬるい上に、ほぼ原液の為味が濃い。高いウイスキーだから、ケチってどうのこうのではないが、酒が飲めないにしても集まりなどどう入れているのかぐらいは知っている筈だ。
「それなら、もう少し相手してやれよ。女に興味がないのは知っているが、お前の妻なって何十年も一緒にいるんだ。それとも何か?リーン殿に不満か?」
私の机に軽く座り、お茶を飲みながら聞いてきた。
「机に座るなと言っているだろ。いいや、不満はない。私好みの容姿だし、声もいいし、何よりも頭がいい。いつも私を立ててくれる、申し分ない女だ」
自分で言いながら、確かに文句のつけようがない。
気品がありながらも、偉そうにする訳でもなく、召使い達とも上手くやっている。
「お前、無意識に惚気けているぞ」
アッシュ家か。こちらとしても役に立つと思って手を取ったが、改めて聞くと、やはり手を取って間違いはなかったのだろう。
「だが、まだまともな相手を紹介して貰ってないし上に、面倒な夜会の参加を促されたぐらいだ。アッシュ家と言えば、資金の使い道の報告書は来たか?うん ?何か言ったか?」
「いや、聞いてなかったならいい。お前は仕事以外は残念な男だな。その夜会が大切なのによ。リーン殿に同情するよ」
私を小馬鹿にしため息をつくと、立ち上がると自分の机に戻った。
「どういう意味だ。夜会に参加する暇があれば商談ができる」
「はいはい、その通りですよ。そうそう調べていたリーン殿の口座は無かった。あったのは、それ以外の奴らだし、何よりも驚いたのが奥方の口座にはえらい金額が毎月振り込まれてる」
「母の方に?それなら何故使わない」
「使えないんじゃないか?これまでの当主の性格なら浪費されるとおもっているのか、それとも知らないのかもしれんな」
「知らない?自分の口座の金を?」
「ここ何年も銀行に顔を出してないし、手入れもしていない。送り主はデッリョウガ子爵からだった。ほら、全部シュベリが調べてくれたやつだ」
立ち上がり書類を渡してきた。
デッリョウガ子爵とは、同じ商団ではないがハラリヤ伯爵家以上の手腕、そして人望が熱くて有名だ。
調べてくれた書類には目を通すると、ヴェルナの説明通り、奥方の口座に毎月多額の金が送金されているか、手入れもなく手付かずのままだった。
デッリョウガ子爵殿がアッシュ伯爵家に援助をしていれば、私に助けを求めて来る必要はない。
それをしないと言うことは、奥方が断っている、と考えた方が筋が通るな。
だから、あえて口座を確認しないのだ。
次をめくると、姉のレーンの口座の出し入れ状況だった。
リーンの手に支度金は渡っていない、と確信した。
何故ならリーンに渡した支度金の3分の1が振り込まれている。日付が同じであれば、間違いない。
そして、残りはアッシュ伯爵殿の口座に残し、自分が使っているのだろう。
反吐が出る。
腹が立ちながら、次をめくった。
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