第15話サージュ目線

「楽しかったようですね」

エッシャーがにこやかに聞いてきた。

「あれが?あの女が言ったのか?」

執務室で書類から目を離し顔を上げると、楽しそうにエッシャーが笑い、空になったグラスを取り、新しくウイスキーが入れ置いた。

私にとっては苛立ちの時間でしかなかった。

わざわざ、あの女の希望通り貴重な時間を割き、出かけてやった。

前の女とは違い高飛車さや高慢さは無かったが、己が上級貴族令嬢だ、という主張は鮮やかにやってくれた。

演技も上手く、一瞬本気で価値を知らなかったのだろうか、と疑念を思ったくらいだ。

「あの女、ではありません。リーン様です」

「お前も丸め込まれたのか?」

久しぶりに見るエッシャーのにこやかな表情に、ますます気分が悪くなった。

「そうではありません。私共が様をつけお呼びするのは当然でありましょう。いずれば奥様になるお方。私はあまり話す機会が少ないですが、召使い達は気に入っているようです。変わった方ですが、やはり、良い貴族の方ですね」

良い貴族、という言葉に陰りが入り、変わらず辛辣な想いが伝わり、重なる。

何時までも過去を引きずってしまうのは、何にしても偏見が生じ、争いや、すれ違いがおこり、良い結果にはならない。

だが、人間の感情はそう容易く割り切れるものではない。

良い貴族とは、すなわち上級貴族であって、そいつらは、己よりも劣る奴らは同じ人間として見ない。

エッシャーと目が合った。

悲しみを称えた瞳ながらも、穏やかな雰囲気に、小さく頷いた。

「良い貴族か、そこは同意する」

あの女は確かに上級貴族令嬢だ。

立ち居振る舞い、話し方の発音も、自分が知っいる中では1番だ。前の姉と比べると雲泥の差だ。

姉の方は、高慢で、我儘で、癇癪もちで、人を逆撫でする事しか出来ない女だった。

それなのにあの女は、気品をあれだけ醸しながらも手袋もせず、落ちた紙を素手で拾い、私に微笑みながら、渡してきた。

それも見上げてきたのだ。

見下げる事はあっても、あいつらは見上げる事などしない。

それなのにあの女は、自然にやった。

それもその後は、私の邪魔にならないよう馬車の中でただ外を眺め、それさえも楽しんでいる風に見えた

そんなことはあるまい、と心で嘲笑った。

金が無いとは言え、由緒ある伯爵家だ。避暑地や別荘は持っているはずだし、あいつらは無駄に出かける事が好きだ。

だが、と思う。

店に入った時も驚く程、何の躊躇いもなく私の後に続き店に入った上に、珈琲を飲んでいる時も、とても楽しそうに見えた。

それも美味そうに飲み干したうえに、足りなさそうな顔までした。

ハンカチを落とした事について、少し感情的になってしまい、あれだけ罵倒したにもか変わらず、真っ直ぐに私を見て謝罪してきた。

あの真っ直ぐな瞳に目が離せなかった。

騙されてはいけない。

所詮、上級貴族は、上級貴族だ。

己の私利私欲と、見下す目しか持っていない。

そう、だ。

あざとい女なのだ。

「おかしな女だ」

つい、言葉に出てしまった。

「リーン様ですよ」

「あの女が」

「リーン様です」

不思議な圧を感じた。

認めた、のか。

だが、私は認めてはいない。そうかと言って、拒絶を見せても、この屋敷を回してくれているのはエッシャーだ。

ふう、ため息をつき、ウイスキーを飲み干した。

「わかった。リーンが屋敷の中と庭を歩きたいと言ってきたから、許可した」

「それは良ろしいかと思います掃除をさせて貰えず、する事が無いと嘆ている、と側付き達がメイド長に訴えているようですからね」

ますますおかしな女だな。掃除をしたと見せる魔法で使えるのか?

「屋敷の中ですが、旦那様の執務室と、書斎、つまりはこちらの階には出入り禁止で、宜しいですね」

エッシャーはいつもと変わらないほほ笑みを浮かべながら、確認では無く、確定した物言いをした。

その瞳は鋭いを見て、やはり、こいつは落ちてはいない、と笑った。

私の執務室にしても、書斎にしても、このセイレ家の全てがある。

そこに入り込む手立てとして、掃除、か。

あざとい、では無い狡猾な女だ。そこを感ずく所がまた、エッシャーだ。

「当然だ。掃除と見せかけて部屋に入り、セイレ家の乗っ取るつもりなのだろう。側付きを増やせ」

「かしこまりました。では、今日の美容担当にななりましたクリンをそう致しましょう。明日にでもメイド長に話しをしておきます」

「ああ、それでいい。おかしな動きをすれば直ぐに報告しろ」

「かしこまりました。そうそう、今日の外出で、なんでもホットケーキが食べたかった、も側付きに話をしていたようです」

「ホットケーキ?」

そう言えばば、何かを真剣に見ていたが、まさかそれか?

「是非また旦那様と出かけたいと、仰っておいででしたよ。その際はホットケーキを頼んで差し上げてください」

また私と?

まさか。社交辞令もいいところだ。

私はとても楽しい時間でした。

背中から聞こえた声が、胸をざわめかす。

「時間が合えばな」

私の言葉にエッシャーが少し驚くような顔をしたが、

「それで結構です」

癪に障るほど、爽やかに微笑んだ。

「お前は何を考えているんだ?」

軽く睨みながら質問した。

「良くも悪くも、でございます。甘い汁を吸った堕落的な令嬢なのか、それとも荒みを知る気高き令嬢なのか。それを見極めるのは大事でございます」

笑いジワが綺麗にできた目元が、恐ろしく見える。

「見極めなど必要ない。つまり、それはお前はあの女に」

「リーン様、でごさます」

そこは、ぶれずに訂正するのか。

「・・・リーンだな。そのリーンに何かを、期待しているのか?」

「ですから、良くも悪くも、でございます」

線を引かれた微笑みで、それ以上は何も答えないとわかった。

「わかった。下がっていい」

「失礼致します」

そう言うとさっさと部屋から出て行った。

はっ、馬鹿馬鹿しい。上級貴族は、どいつも変わりはしないのだ。

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