第8話朝から変わりました

ベットから起き上がり、うーん、背伸びをする。

今日もよく寝れました。

このベットは素敵だわ。

マットは柔らかくへこみもないし、シーツも毎日洗剤を使って洗えるからとてもいい香りがする。それも、お天気が悪くて乾かなかったら、予備のシーツが使える。

さわさわとシーツを触る。

掛け布団も羽毛が入っているし、カバーはシルクで、どこにも汚れがない。

さわさわと掛け布団を触る。

毛布もふわふわで暖かいし、これも定期的に洗剤で洗える。

さわさわと毛布を触る。

こんな贅沢なベッドで寝たんですもの、今日も元気にお掃除ができる。

時計を見ると6時30分。

朝食は8時まで済ませばいいから、少しゆっくりできるわね。

「今日はベランダの掃除ね」

昨日から決めていた予定をベッドの中で呟いた。

本当なら昨日するつもりだったのが生憎の雨で、今日に変更した。だが今日も雨なら、雨なら・・・うーん、どうしようかしら、と考える。

セイレ男爵家に来てひと月が経った。エッシャーに言われるように、部屋から極力出る事なく、当然庭にも出れるわけでもなく、ベランダから眺めるくらいだったが、特に問題はなかったし、眺めるだけでも十分楽しめた。

ベランダから人の往来や、仕事振りを見るのがとても楽しかった。

あとは、屋敷の右手奥に見える温室がとても気になったが、急がなくてもいつかは見れるわ、 と思うと逆に楽しみが増えた気分だった。

それに、あの温室には何があるのかしら?今は春だから、チューリップ、ラナンキュラス、ヒヤシンス、とかかしら。ううん、温室だから、一年中色々な花が咲いているのかもしれない。

そんな事を考えると、うきうきした気分になり、何時までも眺めていられた。

それと、やる事は沢山あり、暇を持て余すことも無かった。

何故って?

部屋がとても広いし、置いてある花瓶や調度品や置物がとても高価でお掃除するのに気を使わなければいけないから、とても時間がかかる。

そうして、まるで掃除のご褒美かのように、10時と3時にお茶と見た事のないお菓子がワゴンに乗って運ばれてくる。

お菓子もひとりで1個食べれるし、お茶だって色がついて味もするし、おかわりだって出来る。

幸せこの上ない。

それにこの部屋は、私が過ごしてきたアッシュ伯爵家よりも快適で、何の不自由を感じなかった。

お陰で、ついついお昼寝までもしてしまっている。

いけないことだわ。

少しでも、セイレ男爵様、つまりは、


旦那様に役に立てるように努力しないといけないのに、こんなに寛いでいては、ただ飯ぐらいの役ただずになってしまう。

「そうよ、リーン。もっとしっかりしないと!」

ベッドの上で声を出すと、何だか元気が出た。

「さて、起きなきゃね」

ベッドから降り寝室の扉を開けると、

「おはようございます。リーン様」

「・・・お、おはようございます」

真正面に立っているメイド服を着た女性に、私が固まった。

「今日からリーン様の身の回りの面倒を見させて頂きます、ターニャと申します」

猫背の若いは召使いは、気品とはかけ離れた態度でぺこりと頭を下げた。

しかし、私を馬鹿にした感情ではなく、私を上に見た言い方だった。

「今日の服はこちらでが宜しいですか?」

既にハンガーにかけられた私が持ってきた服を指し、確認して来たので、無意識に頷いた。

「では、お着替えを致しましょう」

慣れた手つきで、私の夜着を脱がせ着替えさせた。

「あ、あの。これは、どうしたのですか?」

正直この状況についていけれないし、さっきの私の独り言を聞かれてしまった、というのにも恥ずかしくて、戸惑った。

「ですから、私はリーン様付きのメイドでございます」

無表情で答えると黙々と着替えさせてくれた。その後は化粧や、髪型を整えてくれ、食堂までついてきてくれたのだ。

そうしていつもの席に座ると、暖かい朝食が運ばれてきた。

湯気がたつスープに焼きたてのパン。ふわふわの黄金色のスクランブルエッグに色とりどりのサラダに分厚いベーコン。

明らかに出来たてものを持ってきている。

これ、私のじゃない。

「あの、この食事は間違っていますよね?」

「いいえ、リーン様のです」

すかさず控えていたメイド長のアイが答えた。

「でも、暖かいですよ」

素直に疑問を口したら、食堂が妙な雰囲気に変わった。

誰もが居心地の悪そうな顔に変わったからだ。

ここに来てから、全ての食事が冷めているものが出てきた。

朝食は、冷製スープに、歯ごたえのあるパン。

昼食は、冷製スープに、程よく水分を含んで量が増えたパスタ。

夕食は、冷製スープに、水分がしっかりと飛ばした肉料理や、魚料理。

確かに冷たいけれど十分美味しかったし、何よりおなかいっぱいの量を食べれた。

いや、朝の私付きのメイド、と言われた時からおかしかった。

これまで、私の部屋に用がなければ誰も入って来なかった。だから、朝の身支度も自分でした。

食事も、食堂に行くまで誰もが忙しそう働いているから、挨拶も邪魔になると思い廊下の端を歩き向かった。

食堂に入ると既にテーブルに食事が用意されており、給仕も召使いも誰もいないその中で、私は静かにのんびりと食事をした。

それなのに、今日は部屋で身支度をして貰った上に、食堂に向かう廊下では、私の顔を見るなり、誰もが頭を下げ挨拶してきた。

その上食堂の扉も控えていた下男が開けてくれ、中へはいると下男やメイド達、そして専用のエプロンした給仕達がいた。

私が食堂に入るなり、

おはようございますリーン様、

と丁寧に挨拶をする中、アイに席に案内された。

そして給仕達が、暖かい食事を目の前に運んでくれたのだ。

だから、絶対におかしい、と思う私は間違いでは無い。

「そうですね。リーン様に対する嫌がらせが全く効いていなかったので諦めたのです」

私の怪訝そうな顔に、つまらなそうにため息をつくアイと、周りにいたメイド達もどうも同じように思っていたようで、私を不思議な動物かのように見つめていた。

「誤解がありますね。私は、嫌がらせなど受けてませんよ」

「そこです!」

「どこでしょうか?」

アイが眉間に皺を寄せはっきりと言うが、全く思い当たる節がない。

「貴方様は伯爵令嬢でございますよね?」

「仰る通りです」

念を押してくるアイに、そこは素直に答えた。

没落貴族ですけどね。

「それなのに貴方様は、部屋の掃除をする上に、自分の身支度も自分でする。冷たい食事もいつも美味しそうに残さず食べる上に、湯浴みも水なのに、当たり前のように入られる!おかしいでしょ!?」

捲し立てながら説明するアイに、笑ってしまった。

「何ですかその笑いは。もしかして、我慢して我々が根負けするのを待っていたのですか!?」

「違います。我慢なんてしてません。申し訳ありません、私、本当に嫌がらせと思っていなかったんです」

噛み付いてきたアイに、ゆったりと首を振った。

「皆様ご存知のように私は伯爵家に産まれましたが、資産はありません。ですので、自分の屋敷で雇う召使いも少なく、私自身の世話をしてくれる者がいませんでした。ですから、部屋の掃除も自分の身支度も自分でするしかなかったのです」

「そんな事言われても、食事も湯浴みも冷たくはないでしょう?」

「いいえ。火が大変貴重なのは身を持って存じております。私の食事の時間は家族よりも遅い為いつも冷めています。ですから、いつも冷たい食事と、湯ではなく水を使用しての入浴は普通でした」

至極当然の事を説明すると、何故か皆が息を飲んだ。

料理はいつも作り置きだった。

料理長を長い時間雇う事も出来ず、朝その日の3食の食事を全て作り終わると、帰って行った。

私は基本残り物を食べていた。

お父様やお姉様は当日の料理や当日焼いたパン、を食べ、残ったら捨てるよう指示していたが、そんなの勿体ないから私が食べていた。

お父様達と同じ時間に食事をしていたら、少しは暖かい食事が食べれたかもしれないが、朝からする事は沢山ある。

掃除や洗濯、お母様の朝の身支度のお手伝い、グラスのお弁当作りなど朝は忙しい。

お母様は子爵とはいえ、由緒正しき家柄だ。

我がアッシュ家も、同じ由緒正しき、と言うがお母様もご実家とは天と地ほどの差がある。

お母様のご実家から昔は支援をして下ったが、お父様のプライドばかり高い態度と結果の伴わない事業に、とうとう匙を投げられ、疎遠になってしまった。

お母様が助けを求めれば支援は続いただろうが、そうすれば自分達が、屋敷での扱いが分かってしまう。

ただでさえデッリョウガ子爵家の当主であるお爺様から、お母様に離縁し帰ってくる事を勧めている。

この事が知られたら、内輪だけの騒ぎては終わらない。

デッリョウガ子爵家の息女を、礼遇での離縁。

それは、アッシュ伯爵家の破滅を意味し、二度と再興は存在しない。

お母様もそれは望んではいない。グラスの為に、必至に我慢して下さっている。

だから、出来ることをお互いすればいいわ、とお母様といつも言っていた。

お母様は格式高い家で育ったから、家事は出来なかったが、裁縫がとても得意で私の服を作ってくれて、素敵な刺繍を施してくれた。

おかげで学生の間は、全く恥ずかしくなく逆に

その刺繍とても素敵、と友人達から羨ましがられる程だった。

そんなお母様に少しでもと思い、私は私のできる限りをしてあげていた。

「おかしいのでは無いのですか?冷たい食事と身の回りはともかくとして、湯じゃなくて水という事は水浴びですよ?冬はどうするのですか?」

信じられないとばかりに周りの人達が私を見つめたが、産まれた時からそうしてきたし、そうだったから、別段何とも思っていない。

だって、湯浴みは特に火を使う。つまり薪を沢山使用する。下男が1人しかいないアッシュ伯爵家にとっては、貴重なものだ。

私に使うなど無駄、だとよくお父様にもお姉様に言われていた。

「あら、冬の方が快適ですよ。冬は暖炉があるから、お母様と一緒に何度も鍋の水を温めて使うので、湯浴みができるのです。暖炉の薪は近くの山へ行って私が取ってくるので、無料なんです。それも、葉が落ちているので集めやすいですよ。だから、冬の方が白湯も飲めて快適です。それに薪も売れるんです。お小遣いになるから私は冬の方が好きです」

出かける時はなるべく薄いコートを着て行くように心掛けている。

初めの頃は寒いから沢山着込んで出掛けたが、薪を拾い、木から枝を切り、という動きをしていると汗だくになって、帰る頃にはポカポカで暑いくらいだ。

それに、少し寒いくらいの薄着の方が動きやすいと気付いた。

屋敷から本当に山が近くて良かった、とつくづく思う。そうでなければ、ソリに沢山の薪を乗せている姿を見られるのは、さすがに恥ずかしい。

「薪が売れる?」

アイが驚きよりも、嘘でしょう、という疑いの眼差しで見てきた。

「そうですよ。タダで拾った物がお金になるのです。それと、山へ行くと一年中色々な木の実も採れるんです。それでジャムを作って、白湯の中に入れたら、普段の白湯がとても素敵な飲み物に変わるんです」

「白湯?お小遣い?」

今度はターニャが割って入ったきた。

こちらもおかしな顔をしいる。

「ええ、だって味のついた飲み物なんてアッシュ家では、私もお母様にも出てきません。それに、私はお小遣いというのを貰っていないので、少しでも自分で稼がないといけませんよね」

変な空気になった。

確かに、まわり友人と比べると違ったが、他人は他人。私は私だもの。

「可哀想」

誰かの呟きが聞こえ、つまらない事を言うわね、と笑ってしまった。

「私はそう思っていません。可哀想、と決めるのはそれぞれの固着概念であって、実際は違うものです。だって、私は何一つ自分を可哀想だと嘆いた事はありません。私の固着概念は、私が決めるのです」

不幸だとか、不憫だとか、不遇だとか、己の立場をそこにはめて悲しむのは簡単だ。

私だって、嘆く事はある。

でも、それでその先はどうするの?

辛いと泣いて文句を言って、人を羨んだ所で、何にもならない。自分がどんどん泥沼に嵌るだけで楽しくない。

それならば、どうすれば楽にそして楽しめるか考えるべきだ。

「前向きでございますね」

「当然です。人間は時間の中で生きている。つまり、前にしか進めない生き物なのですよ」

アイの呟きに、私は思っている事を素直に口にすると、食堂の空気がとても軽くなり、私を見つめる眼差しが暖かいものに変わった。

よく分からないが私は虐められていたようだ。

ようは虐めがいがいがなかったから諦められた、という事ね。

でも、そのお陰で少し皆との距離が近くなったような気がした。

安堵したが、すぐにはっと気づいた。皆が私の事を気になっている。

「私の事は宜しいのです」

すっと立ち上がり、背筋を伸ばす。

そう、私のつまらない話なんてどうでもいいのよ。

いつの間にか私の身の上話になってしまったけれど、私はまだまだ役立つの身なのだ。

「セイレ男爵様の屋敷に来て、1度も旦那様にお目にかかっておりません。少しの時間で宜しいのです。ご挨拶をさせて頂きたいと思っておりす。どんなに遅い時間でも構いません。ご挨拶出来るよう、お願いをしていただけませんか?お願い致します」

頭を下げた。

ざわざわと声がする。

その空気でわかった。

拒絶しているのは、旦那様だ、という事が。

旦那様が屋敷に帰ってきているのは召使い達の動きで分かっていた。それなのに、何の音沙汰もなく、誰も私に旦那様の話をしない。

初めは時間が合わないのか、仕事が忙しくて帰ってこられてないのか、と思っていたが、毎日遅い時間ながらも帰っきている様子だ。

何故そこまで嫌われるのか分からないが、

それでも、

私は

旦那様に尽くすと、決めたのだ。

たとえ嫌わても、私の居場所はこのセイレ家だけ。

「お願い致します」

もう一度、今度は強く言った。

「・・・わかりました。お伝えは致します。さあ、頭を上げてください」

諦めたようにアイが言ってくれたが、会える保証はない。

「ありがとうございます。すぐにお会い出来なくても構いませんので、何度かお願いをして頂けますか?」

顔を上げると、アイも他の召使い達も、困惑顔だったが、私の必至さを感じてくれたようで、アイが小さく頷いた。

「わかりました」

「ありがとうございます。では朝食を頂きますね」

「冷めてしまいましたね。温めます」

「結構です。まだ暖かいわ」

ターニャがお皿を下げようとしたところをすかさず断った。

「冷めてますよ」

「いいえ、これでいいわ。私にしたら十分温かいもの」

さっさと私は食べだした。

確かにスープは冷めてはいたが、冷たくはない。

パンだって、冷めただけで、固くない。

「美味しわよ」

私の言葉に、また、呆れ顔をされながらも、今までとは違う暖かい空気を食堂に感じた。


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