SAVE.001:ハッピーエンドに向かって、君と



「アキト、ねぇアキト」


 体を誰かに揺らされる。ゆっくりと目を開ければ、そこにいたのはクリスだった。


「あ、ああ……おはようクリス」


 まだ眠気の残る瞼を擦りながら、まじまじと彼女の顔を見つめる。女性にしては少し短めの赤毛に、白いブレザーとスカートの制服、それからトレードマークの腰から提げた上品な細剣。小柄な体格もなんのその、文武両道を地で行くアスフェリアの王女様、クリスティア=フォン=ハウンゼンの姿がそこにあった。


「おはようクリス、じゃないよ全く。授業なんてとっくに終わって……君は一体いつになったら真面目の三文字を覚えるんだい?」


 ため息をつきながら小言を漏らすクリス。隣国の王子様としてはあまりに不真面目な俺ことアキト=E=ヴァーミリオンに苦言を呈するのが彼の日課となっていた。


「死ぬ前には覚えたい所だけどな」


 そして俺は悪びれもせず、少しおどけた返事をする。これが俺と彼女のお決まりのやり取りだった。


「また随分と悠長な事を……」

「仕方ないだろ、そういう性格なんだからさ」

「そんな事より、今日は君の大事な妹が編入してくる日だろう?」


 妹。その言葉は不真面目な俺に効く数少ない単語の一つだった。


 美人で頭も良く、国民の支持も厚い完璧な王女であり、俺の双子の妹でもあるミリア=E=ヴァーミリオン。熱狂的な一部からは『聖女様』だなんて大層なあだ名で言われているが……それは表の顔しか知らないだけだ。


 裏の顔は、甘えん坊な我儘王女様である。いや周囲の全員にという訳ではなく、俺に対してとにかくそういう態度を取り続けているのだ。そんなミリアから逃がれるため、隣国の学園への留学を何とか勝ち取った俺だったのだが……この度めでたく彼女も編入して来る事になりましたとさ。おしまい。


「……俺の学園生活終わったな」


 天井を見上げながら諦めの言葉を呟けば、クリスの仰々しいため息が聞こえてきた。


「君が逃げるように留学するから余計に怒らせてるんじゃないか。根回しだって大事な仕事なんだよ?」

「たった今身に沁みてるよ」


 クリスの言葉に同意する。ミリアときちんと話し合っておけば、こんな事にはならなかっただろうから。


「けれど、まぁ……考えようによってはいい機会じゃないかな」

「何が?」


 肩を竦めるクリスに聞き返せば、彼女はほんの少しだけ頬を赤くした。


「まぁ、その……私達の関係に納得してもらうには、さ」


 そう、ミリアが俺に我儘を言うのは面白くないというだけなのだから。双子の兄が妹という存在を差し置いて、婚約者ばかりを優先しているという事実が。


「だな」


 この学園を卒業すれば、俺は国に戻らなければならない。けれどその時はクリスも一緒で、卒業式の直後には結婚式が控えている。


 どのみちミリアには納得してもらうしかないのだから、考えようによってはこっちにいる間に説得すれば良い、とも言えるだろう。


 しかし後二年もしないでクリスと正式に結婚か……はっきり言って不安しかない。両親は随分と張り切っているし王家同士の婚姻だから政治的な意味合いも強いし誰を呼べばいいのだろうとか気を抜けばそういう事ばかり考えてしまう。


 けれど、大丈夫だ。だって俺の隣には、クリスがいてくれるのだから。 




「やぁアキト君、あんまり遅いから迎えに来たよ」




 なんて事を考えていたら、聞き慣れた声に驚かされる。声の主はアスフェリアの第一王子、ルーク=フォン=ハウンゼン殿下その人である。


「うわっ、ルーク殿下!?」


 品行方正容姿端麗、絵に書いたような理想の王子様なのだが……趣味は俺達をからかう事という中々に腹黒な王子様である。


「ルーク兄さん、驚かせないでよ……」

「いやいや、幸せそうな二人の顔を見ているのがつい楽しくてね。声をかけていいか迷っていたんだ」


 満面の笑みを浮かべて頷く殿下。そしてその隣には、いつも通り婚約者の彼女の姿があった。


「本当、寛大な殿下に感謝することね」


 腰に手を当て、今日も上から目線で物を話すシャロン=アズールライト。昔からやたらと『俺に』口うるさく、やたらと『俺の』素行を注意してくる彼女の事を、俺はずっとこう呼んでいる。


「姉貴もいたのか」


 お姉さま、と。


「その姉貴って呼び方……まぁいいけど」


 諦めたようにため息をつく姉貴。けれど特段おかしな呼び方という訳でもない。俺とクリスが結婚して、殿下と彼女が結婚すれば義理の姉という形に収まるのだから。


「ところでアキト君、僕の事はいつになったら『兄貴』って呼んでくれるんだい? 釣り合いが取れないじゃないか」

「いやぁ、それは外交的にちょっと……」


 流石に大陸一の大国の王子様を、兄貴呼ばわりは色々問題だ。将来的に国王になったとして、よう兄貴これから両国の関係について話し合おうぜ! なんて言える訳ないだろう。


 まぁ、言ってきそうな奴は知っているが。


「ま、ミリアちゃんを待たせる訳だし……そろそろ行こうぜ、お・義・兄・さ・ん」


 なんて事を考えていると、後ろから雑に肩を組んでくるダンテの声が耳元で囁かれた。振り払う、駄目だ、認めていない。


「……お前にミリアはやらん」


 両国の関係性については俺とクリスが結婚するから心配しなくて良い。なのでミリアをダンテに嫁がせる義理もない。帰れ帰れ。


「じゃあ誰なら良いんだよ」

「……誰でも駄目だ」


 というか誰にも嫁がせなくて良い。それぐらいわかってくれないかな、いい加減に……なんて口に出さずとも伝わったのか、周囲からは呆れしかないため息の合唱が聞こえてきた。


「それよりダンテ、今こそミリアにアピールするいい機会だろう? 一番に迎えにいかなくていいのかい?」


 まるで飼い犬に骨でも投げるかのように、ダンテをけしかけるルーク殿下。


「よっしゃ、行ってくる!」


 馬鹿なダンテはその言葉を微塵も疑わず、ミリアが転入してきた教室へと一目散に駆け出していった。ちなみに言い忘れていたが……腹違いの弟を可愛がる事もルーク殿下の最低な趣味の一つだ。


「いいのですか殿下? その、ダンテ殿下はミリアの好みではないと思いますが……」


 小首を傾げながら、姉貴がそんな事を尋ねる。それに対して殿下はといえば、満面の笑みを浮かべて返事をする。


「やだなぁシャロン、それぐらいわかってるに決まってるじゃないか」

「……お人が悪いですね」


 なんて小粋と呼ぶには邪悪な会話を笑顔で交わす将来の義兄夫婦。本当、お似合いすぎて涙と一緒に違うものまで漏れてきそうだ。


 それから二人は犬の散歩にでも行くかのような優雅さで、ダンテの後をゆっくりと追いかけていった。誰が犬なのかは……言わなくてもいいだろう。


「私達も行こうかアキト……困難ってやつを乗り越えにさ」


 賑やかな日常を十二分に堪能した俺に、クリスが手を差し伸べてくれた。困難、という言葉が重くのしかかる。あのミリアを説得するなんて、考えただけでも大変で。


 きっと一人では乗り越えられない、大きな壁かもしれないけれど。


「ああ」


 彼女の手を握り返す。掌から伝わる温かさが、大丈夫だって肯定してくれる。




 この先何が起きるかなんて、想像すらも出来なくて。


 未来の事なんて、誰にもわからないけれど。




 ――歩いて行こう、二人で。




 時には泣いて、時には迷って。


 何度だってやり直して、いつだって諦めないで。






「俺達なら、できるさ」






 きっと誰もが笑えるような、ハッピーエンドに向かって、君と。















『セーブしますか?』

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