SAVE.000:きっと全てが始まる場所で
――その手を、掴んだ。
「アキト、何で」
顔を涙でぐしゃぐしゃにした、幼いクリスがそこにいた。
だけど、そこには彼女が――いや、彼女達が、いたんだ。
自らの手でアキト=アズールライトを殺めてしまった彼女が。
何度も世界をやり直して、アキト=アズールライトを救おうとしてくれた彼女が。
情けない俺を導いて、アキト=E=ヴァーミリオンをこの場所まで連れてきてくれた彼女が。
全部、ここにいるんだ。
「何だって、一緒だよ。やり直して来たんだ」
驚くほど素直な言葉が漏れる。
知らなかった、クリスがここにいた事を。
ずっと前に出会っていた事を、自分を犠牲にしていた事を、自分という存在に苦しんでいた事を。
「離してよ!」
乱暴に右手が振りほどかれる。真っ赤な目を腫らしながら、偽りのない感情を彼女がぶつける。
「私が……私が全部悪いんだ! 私がずっと君を苦しめて! だから、私と君は出会わない方が良かったんだ、生きていてはいけないんだ!」
彼女の言葉の意味がわかる。だって俺も同じだっただから。
「……俺もさ、そんな事を思ったよ。クリスと出会わなかったら、何もなかったんだろうなって」
何度繰り返したって、俺はずっと彼女を追いかけていた。彼女と関われば不幸になるだなんて、思った日だってある。
「なら、どうして!」
彼女の悲痛な叫び声が、耳の奥で反響する。
「けどさ、クリス」
だけど、今ならわかる。もしも彼女が、俺を不幸にするだけだとしても。
「それは本当に、何もないだけなんだ」
彼女がいない世界なんて、何もないだけなのだから。
「悪い事が起きない代わりに、良い事だって起きないんだ。苦しくない代わりに、楽しくだってなかったんだ」
過ぎた日々を思い出す。色鮮やかなのはいつも、何度も繰り返した学園生活ばかりだった。
「辛いことも」
――最悪の毎日だった。
初めは、アズールライト家が取り潰されて、最期はクリスに刺されてしまった。
次は家が無事だと思えば、何度も死んでやり直して。
その次は……俺が最低で最悪だった。彼女の優しさに甘え、依存して。
最期は、彼女の一挙一動に踊らされては、姉貴とミリアに責められて。
だけど、そんな毎日が。
「楽しいことも」
――最高の毎日だった。
泣いて、怒って、笑った日々がただ楽しかったんだ。こんな毎日が続けばいいと、本気で思っていたんだ。
だって、俺の隣には、いつも。
「クリスがいないと、始まらないんだ」
君が、いてくれたから。
「けれど、私は、君を何度も……」
嗚咽をあげる彼女の肩に、そっと小さな手を伸ばす。わかっている、彼女が犯した罪はどんな言葉だって拭えないって。気にしないとか、そんな事とか、軽々しく拭ってはいけないって。
「クリス」
大切な宝物のように、彼女の――彼女達の名前を呼んだ。
そこにいる幼い君の名前を、親友だった君の名前を、いつも心の中にいた君の名前を。
ふと、庭の花に目が留まった。豪華な庭園には不釣り合いの素朴な白い花が。二つの名前を持ったそれが、俺達みたいだと笑ってみせる。
「俺もさ、何回もやり直したんだ。何回も失敗して、何回も間違えて。だけど」
彼女が罪を背負っていると言うなら、それは俺だって同じだ。だって目の前の彼女を泣かせているのは、他でもない俺なのだから。
けれどその罪を、業を背負ったって。
「変わらない事が……あったんだ」
顔を上げる彼女の瞳を、まっすぐと見つめる。彼女を想うありふれた感情の名前ぐらい、俺にはもうわかっていた。
「変わらないって、何が」
だから摘み取った花で、彼女に似合う小さな花の指輪を作って。
「何度繰り返したって」
何度も繰り返した。この終着点で彼女と出会うためだけに。
「何度生まれ変わったって」
何度もやり直すだろう。全てが始まる場所から何度だって君に出会うために。
ヒナギクの花の指輪を、彼女の薬指に嵌める。いつか君にそうしたように、何度だって君に贈ろう。
――だって、俺は。
「君が好きだ、クリス」
君の事が、好きだから。
「今までだって、これからだって……ずっとずっと、変わらないんだ」
どんな場所でも、どんな世界でも。俺は君と出会って、絶対に君を好きになる。
その度にどれだけ苦しんだとしても、この感情が決して消せない罪だとしても。
「だから、背負っていこうか。どんな罪だって……一緒にさ」
構わない。
だって俺は、君の隣にいたいのだから。
「ずるいよ、アキト」
頬を伝う一筋の涙を、そっと人差し指で拭った。
「そんな風に言われたら、何も言い返せないじゃないか」
彼女が笑う。
――ああ、そうだ。
この顔が見たかったんだ。青空の下、太陽の光に照らされる大好きなこの笑顔を。
ずっとずっと、探していたんだ。
「なぁクリス」
彼女の体をそっと抱き寄せる。
「辛い時も、楽しい時もさ」
この先には、色んな未来が待っているのだろう。今の俺達では想像も出来ないような不幸が待ち受けているのかもしれない。
けれど、きっとあるはずだ。二人で笑っていられるような、どうしようもない幸せな結末が。
一人では辿り着けないけれど。
「俺達なら……」
できるさ。
――と言い切れない、情けない自分が顔を出した。
「どうしたの?」
「いや、なんていうかこの言葉は……」
思わず彼女から身を離し、自分が言おうとしていた言葉の意味に気づく。
これは知っている、聞いたことがある。
だってこれは本当に、ありふれた言葉なのだから。
――病める時も、健やかなる時も。富める時も、貧しい時も。
恥ずかしい、顔から火が出そうになるとはこの事だ。
……もしかして、これなのか? 散々俺達を振り回してきた『聖女の盟約』って、この言葉の事だったのか?
こんな世界中で使い古された言葉が、この世界の終着点だったのか。なんというか乙女ゲームの洗礼を一身に浴びせられている気分だ。
「そうだね、その通りだよ……指輪まで渡しておいて気付かなかったのかい?」
彼女は小さく笑いながら、得意げな目で俺を見る。思わず顔を背けてしまって、負けたような言葉で返す。
「……悪いかよ」
「全く君は、相変わらず仕方のない奴だな」
肩を竦めて呆れる彼女に、恥ずかしさの混じった苦笑いを返す。
「アキト」
それから彼女は名前を呼んで、強く俺を抱きしめてくれた。
強く、強く。もう離れる事はない、二人の未来を信じて。
ダイヤの指輪なんてなくて、神様なんてどこにも居なくて。
それでも触れるような小さなキスをして、二人顔を見て笑い合って。
きっと全てが始まる場所で、どこにでもあるような変わらぬ愛を、君と。
「……誓うよ、私も」
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