SAVE.304:行軍演習③
「勝負あり、ですな」
剣を弾かれ、その場で大の字になっている俺にカイゼル卿は剣先を突きつける。参ったの一言とともに起き上がれば、剣を鞘へとしまい満足そうな笑顔を浮かべた。
「しかしやはり剣の腕は流石ですな……磨けば必ずや自分を超えるでしょう」
立派なあご髭を触りながら、一人頷くカイゼル卿。そんな自信は無いのだが、どうやら彼は本気で言ってくれているらしい。その高い評価は大変に有り難い事ではあるのだが、問題はその磨き方で。
「あっ、どうですかアキト殿下、今度我が軍の精鋭部隊の特殊訓練に参加するというのは……そうだ、それがいい! きっと兵たちも喜びますぞぉ!」
アスフェリアの精鋭部隊の特殊訓練なんて、地獄のほうがまだ生ぬるいという噂の荒療治である。このままここにいたら、そんな場所へと放り込まれそうだったので。
「逃げるぞ、ミリア」
「あっ……はい!」
大声で笑うカイゼル卿から身を低くしたまま距離を取り、ミリアと預けておいた荷物を急いで回収。そして、全力で走り出す。
「じゃあ二人共、夜になったらお迎えよろしく!」
そんな言葉を残して、予定の場所に向かう俺達。
「あれぇ、アキト殿下ぁ?」
間の抜けた声を出すカイゼル卿だったが、暫くの間顔を見ないで済む事を願うばかりである。具体的にはそう、俺を特殊訓練に参加させるなんて放言を忘れてくれるぐらいの間は。
◆
道なりにミリアと進んでいけば、頬に小さな雨があたった。
「あ、雨……そうだ降るんだった」
そういえば俺達は雨宿りしにいく予定だったなと、今になって思い直す。雨宿りなんて偶発的な出来事を予定通りに実行するというのはなんともおかしな感覚だったが、それが神託の再現なのだから仕方ない。だからといって、ミリアを雨の中歩かせたい訳でもないので。
「……ちょっと待ってくれ」
手近な木の下に身を寄せてから、背負っていた荷物を漁り始める。取り出したのはもちろん……あの高級な折り畳み傘だ。
「何ですかそれ?」
「これはな……ほら」
不思議そうな顔で覗き込むミリアに、手順通り傘を開いて見せる。小さな歓声を漏らした彼女に、そのままそれを手渡した。
「凄い、こんな傘あるんですね」
「だよな、俺も驚いたよ」
もちろん値段にも驚いたが、それは黙っておこう。
「どこで買ったんですか?」
当然の疑問が聞こえてきたが、首をひねって誤魔化した。
「あー……なんて店だったかな」
「ふぅん、こんなに珍しい物を売ってる店を覚えてないんですね」
だがこの対応はどうやら悪手だったらしい。ミリアはさらに怪訝そうな顔をして、別の質問を投げかけてくる。
「……誰と買いに行ったんですか?」
「え?」
細く息を吸ってから、ゆっくりと吐き出して気持ちを少し落ち着かせる。
「一人だよ、一人」
「そうですか。雨に濡れても気にしないような兄さんが、知らないお店で珍しい傘を買ったんですね。一人で」
改めて言葉にされると、違和感しかない経緯が出来上がってしまった。だがここで正直に『あの女に連れられて買いに行きました』なんて答えられる筈もなく。
「……そうだよ」
この無茶苦茶な話を貫き通すしか道は無かった。
「ふぅん」
不満を顕にするかのように傘をくるくると回すミリア。信じろというのが無理な筋書きなのは認めるが、今は先へと進むのが先決だ。
「ほら、急ぐぞ」
「嫌です、急ぎません。だって兄さんが嘘をつくから」
言葉で彼女を急かせば、わざとゆっくりと歩くミリア。
「あのなぁ」
「だから、こうします」
何か言ってやろうかとしたところで、突然ミリアが腕にしがみついてきた。一本の傘を二人で分け合うのは、かなり無理があるりょうに思えた。
「……歩き辛いだろ、これ」
「罰ですから、当たり前ですよね?」
結局折れたのは俺の方だった。まぁ隠し事をしているのは俺なので、ミリアの言う通り罰ぐらい受けるべきなのだろう。それにここで押し問答をしているよりは、一歩でも進む方が建設的だ。
「兄さん、あんまり勝手な事……しないで下さいね」
消え入りそうな声で、俯きながらミリアがそんな事を言い出す。何かに怯えているような、何かを恐れているような印象だ。それは多分、俺に関する事なのだろう。
「……善処するよ」
何の保証にもならないような言葉を返す。それでも安心してくれたのか、ミリアが小さく微笑んだ。
それから俺達は下調べしておいた洞穴へ向け、雨の中進んでいった。それ以上の会話が交わされる事は、もう無かった。
◆
辿り着いた場所は、どこにでもあるような小さな洞穴だった。動物の巣という訳でもない、岩と土で出来た小さな自然の休憩所。
「冷えるな」
辿り着くなり自然と漏れたのはそんな言葉だった。ミリアが傘を半分貸してくれたお陰で思った以上に濡れなかったが、それでも寒い事に変わりは無い。
「なぁミリア、神託だとここで何をするんだ?」
俺は鞄を下ろし上着を脱いで、洞穴の中に転がっている落ち葉や枯れ木を拾った。地面が濡れているせいで少し湿気っているが、何とか火はついてくれそうだ。
「どうもしませんよ。兄さんの隣りに座って、ちょっと眠って……夜が来てそれでおしまい」
ミリアは自分の荷物からタオルを取り出し、濡れた体を軽く拭った。俺も火打ち石と火種を取り出し、今しがた集めた枝葉に火をつける。
「それは楽でいいな」
それから俺達は焚き火の前へと腰を下ろした。濡れた体に伝わる熱が、じんわりと疲労を和らげてくれる。
「何で神託だとすぐ眠ったんだろうって思ってましたけど……山道を歩くのって結構疲れるんですね」
「雨が降っていると余計にな」
靴には泥がこびりついて、途中何度か足を取られそうになった。ミリアに抱きつかれたのは確かに歩き辛かったが、結果的にそれで良かったような気がしてきた。
「……最近ね、夢を見るんだ」
まどろむような声で、ミリアはぽつりと言葉を零す。
「神託か?」
「ううん、違う夢。兄さんがいて、シャロンも、ルーク殿下も、ダンテもいるのに」
俺の肩にミリアが頭を預けてきた。
「けれど、違って……現実とも神託とも違う世界で」
ミリアの肩が小さく震えていた事に気付いた。
「私、ずっと一人だった。何も知らないで、利用されて、捨てられて……それから、兄さんを、私は、この手で」
ミリアの言葉の意味が、俺にはよく理解出来なかった。けれど、わかる。その夢とやらに、彼女が苦しめられていた事ぐらいは。
「……悪い夢だよ、そんなのは。お前がそんな事をする筈ないだろ?」
「でも」
ミリアの頭に小さく手を置く。それで少しは安心してくれたのか、彼女は表情を少し和らげてくれた。
「それに、ミリアが一人になったら……俺が必ず助けるよ」
「本当?」
「ああ、約束だ」
彼女の夢で何が起きたかなんて、俺にはわからない。けれど今ここにいる彼女を安心させる事ぐらいは出来るはずだ。
「うん……ありがとう、兄さん」
そのままミリアは瞳を閉じて、小さな寝息を立て始めた。
必ず助ける。自分の口から出たその言葉に何故か不信感が募った。俺にそんな事が出来るのか、そんな気概があるのだろうか。いいや、そもそも。
俺は、助けようとすらしないんじゃないか、なんて。
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