SAVE.304:行軍演習②
そして迎えた行軍演習当日。天候は本当に雨宿りが必要なのかと疑いたくなるような快晴で、照り付ける日射しが容赦なく俺達の体力を奪い続けていた――ある一名を除いては。
「はっはっは、アキト殿下! 今日は良き戦日和ですなぁ!」
予定の場所に到着した俺達四人――俺、ミリア、ルーク殿下、ダンテ――を待ち構えていたのは、腕を組み仁王立ちするカイゼル卿の姿だった。獅子のような髪と髭を蓄えた大男で、その武勇は国内外に轟いている。周囲の国の新兵は『戦場で青獅子を見たら逃げろ』と剣の握り方より先に教えられる……なんて冗談が定番にされるぐらいの人物だ。
「お久しぶりですカイゼル卿……ええ、それはもういいお日柄で」
小さく頭を下げれば、彼の足元には訓練用の二振りの剣が転がっているのが見えた。そして目は子供のように輝いている。早い話、俺は彼に気に入られているのだ。
「それにしても我がアズールライトゆかりの行軍演習にてアキト殿下と刃を交えられるとは……まこと、長生きはするものですなぁ!」
理由は単純、剣の相手になるからだ。
将軍として全軍を指揮する立場にあるカイゼル卿だが、豪放な見た目の通り頭より体を動かすのが得意な男だ。だから訓練には積極的に参加しているらしいのだが……残念ながらアスフェリア軍にはカイゼル卿の相手になるような新兵は存在しない。
そこで俺の出番と言うわけだ。本国で幼少期から剣を握らされていた俺は、カイゼル卿と戦っても即死しない程度の腕前があった。そして立場としては将来の義理の父と息子だ、『不甲斐ない婿殿の稽古をつけている』という言い分も立ってしまう。
「ええ、俺は今日が命日にならないよう祈っていますよ」
ため息交じりに答えれば、カイゼル卿が剣を投げて寄越してきた。それを鞘から引き抜きながら、ふと考えてしまった。神託の通りこの人の義理の息子になっていたら、今頃俺はアスフェリアの殺人兵器にでもさせられていたんじゃないか、なんて。
「に、兄さん負けないで!」
「無茶言うな」
妹の声援が虚しく木霊する。剣を構えたアスフェリアの青獅子は、心底嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「カイゼル卿! 今こそアスフェリア最強の力をあの男にぶつけましょう!」
「ったく、好き勝手言いやがって……」
カイゼル卿にありったけの声援を送るダンテと、苦笑いを浮かべるルーク殿下。
「それでは……始めっ!」
ルーク殿下が手を振り下ろし、合図の言葉を叫んだ。その瞬間。
「いっ!?」
目の前にカイゼル卿の姿があった。一瞬、文字通り瞬きすらする間もなく、刃がまっすぐ振り下ろされていた。剣を横に構えていたおかげで運良く防ぐ事が出来たが。
「ほう、初撃を防ぐか……ならばっ!」
飛んできたのは丸太のような足から放たれる鋭い前蹴りだ。ひじを曲げ腕を盾にし、何とか鳩尾への直撃を防ぐ。だがその衝撃までは防ぎきれない、そのまま後ろへ吹き飛ばされる。
青獅子。大層な彼の二つ名は、まさしくその戦い方こそにあった。どんな時でも手を抜かず、獲物に喰らいついては離れない。
つまり俺が吹き飛ばされるのを待ってくれる程、カイゼル卿は甘い男ではないという事だ。すぐに地面が抉れるほど踏み込み、俺との距離を詰めてくる。
「……くそっ!」
悪態を付きながら、地面に剣を突き立てる。そのまま身を屈め後ろへ回り込み、何とかカイゼル卿の突撃を交わす。流石の彼も真後ろへと方向転換出来なかったのか、自ずと二人の間に距離が出来た。
「今の動きは流石ですな……ですが逃げるだけで勝てるほど『アスフェリアの青獅子』は甘くありませんぞ」
聞こえてきたのは挑発のような正論だった。相手の攻撃をいなし続け、相手の体力切れを狙うという戦い方もないわけじゃない。だが相手はあのカイゼル=アズールライトだ、彼の体力を奪うなら三日三晩剣を振るう覚悟が必要だろう。
そして、俺にそんな覚悟は無い。ならば。
「それもそうです……ねっ!」
攻めに転じる。カイゼル卿の喉元をめがけ、三連突きを放つ。弾かれるが、それぐらいは想定通りだ。三回目の突きを引くと同時に、遠心力を活かした回転斬りへと変化させる。だがこれも……通じない。常人ならともかく、相手は大陸最強と名高い男だ。
だから、もう一撃。左足を強く踏み込み、両手首で剣を返す。そのまま鼻先めがけて切り上げた。
潰された刃が、カイゼル卿の左頬を掠った。これだけやって掠るだけかと、心底義理の父親が恐ろしくなる。
「ほぅ……」
だが、どうやら彼は違ったらしい。頬から流れる血を見て……笑った。
「いいぞ……今の一撃はいいですなアキト殿下!」
その瞬間、自分が選択を間違えた事を悟った。そう、俺は挑発に乗らず防戦だけしていれば良かったんだ。カイゼル卿の体力が無くなるまでじゃない、俺に対する興味が無くなるまで、だ。
「だがっ!」
火がついたとはまさにこの事だろうか。興が乗ったカイゼル卿は烈火の如く剣を振り回し始める。
「軽いっ、あまりに軽い! 我が握るは剣ならず……己が信念なり!」
その言葉を証明するかのように、放たれる無数の斬撃の一つ一つが重かった。
「アキト殿下! 何のために剣を振るう、何のために死地へ赴く!?」
心を見透かされているかのようだった。剣を握ったのは、そう望まれたからだ。例え戦争になったとしても、同じ理由で兵を率いるだろう。
「守りたいものもなく、愛する人もいない貴殿に」
カイゼル卿の言葉が刺さる。守るべきものは国で、愛すべき人は民だ。それが王族としての義務なのだから。だからこそ、それは俺自身の願いじゃない。
「勝利など……ないっ!」
大振りの一撃に備えて、咄嗟に剣を構え直す。
「俺は……っ!」
俺には、何もないんだ。
自分という存在の小ささを、嫌でも思い知らされる。望まれるまま、流されるままここにいる。王子として生まれて、育って。婚約者が宛てがわれて、義務感で神託に振り回されて。剣を振るってまで、誰かを傷つけてまで手にしたい物なんて、俺には何も。
――その筈、なのに。
彼女の、クリスの笑顔だけが。
どうしても浮かんで消えなかった。
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