SAVE.302:クリス②
「あ、起きた」
瞼を上げれば、そこには彼女の姿があった。俺が追いかけ回していた、あの男子の制服を着た女子生徒の姿が。
「おはようアキト」
彼女が満足そうに微笑む。何で、どうして。聞きたいことは山程あるはずなのに、言葉が上手く纏まらない。
「ああ、おはよう……」
口から漏れた間抜けな言葉に、彼女は嬉しそうに頷いた。まるでそれが、正しいやり取りだとでも言うかのように。
「じゃ、あたしはこれで」
部屋を去ろうとする彼女の腕を気がつけば握りしめていた。
「待ってくれ……クリス」
俺が知るはずなんて無い、その名前を呼びながら。
「……久しぶりに会ったと思ったら、随分積極的じゃないか。往来で人の名前は叫んじゃうしさ」
「ああ、悪い」
悪戯っぽく拗ねる彼女の手を慌てて離す。わざとらしく体をくねらせる彼女に、また別の感情が湧き上がる。不信感だ。
「いや、それよりも……お前は何者なんだ?」
自分でもおかしな事を聞いているなと呆れ果てる。彼女の名前はクリスで、知らない筈のそれを何故か俺は知っている。それだけでも異常だというのに。目の前の女子生徒は何故か、クリスではないような気がしたから。
「クリスだけど」
「そうだろうけど……!」
とぼけた顔で答える彼女に、不思議なくらいの苛立ちと違和感を覚える。知らないくせに、初めて会話をしたくせに。
彼女はクリスじゃない。そんな確信が吐き気のようにこみ上げてきた。
「全く、聞きたいことがあるなら整理してからにして欲しいんだけどな……まぁいいか」
彼女はそう言い終わると、咳払いを一つした。それから仰々しいお辞儀をしてから、芝居がかった自己紹介を始めた。
「あたしはクリス、クリス=オブライエン……訳あって男子のふりをしている謎多き女学生さ」
それはもう知っている……本当は知らない、知る由すらないはずなのに。
「しかし、その正体はっ!」
突然、彼女が詰め寄ってくる。そのまままっすぐと彼女の表情を見据えれば、随分と嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「クリスだよ」
「それはもう」
聞いた、と言い終わる前に。
「正確には……クリスの前世ってところかな」
彼女は、この女は――随分と訳のわからない事を言いだした。
「前世って、何を……」
「まぁ君にはわからないか……今の君には、ね」
たじろぐ俺に、思わせぶりな態度を取るクリス。それが何故か腹立たしくて子供みたいに反論する。
「生まれ変わりって奴だろ。どこかの宗教にそんな教えがあるって読んだ事あるぞ」
「なら話は早いね。この体はクリスだけど、意識はクリスの前世であるあたしってわけ」
「だから、そのクリスが何者なんだよって話をだな……知らない奴の前世なんて言われても困るだろ」
ようやく聞きたかった事を言葉に出来たような気がした。彼女は、クリス=オブライエンとは一体何者なのか。つまるところ俺の疑問はその一点しかないのだから。
「それは確かに……じゃああたしは普通のクリスって事でいいや。今の君には大した違いじゃないだろうからね」
彼女は涼しい顔で手をひらひらとさせる。あまりの会話の通じなさに、思わず盛大なため息が漏れた。
「だから、お前は……」
「大事なのはさ」
彼女の声が、二人きりの生徒会室によく響く。
「あたしが誰かって事じゃない……あたしが何をしてくれるか、じゃないかな?」
人差し指をぴんと立て、また思わせぶりな事を言い出す。付き合いきれない、そう思った俺は苛立ちながら立ち上がった。
「……お前が俺に何かしてくれるっていうのかよ」
時間の無駄だ。この学園の生徒なんてどうせ同年代の貴族ばかりだ、大方どこかで顔を合わせた事があるのを忘れていただけ――そう結論づけようとした瞬間。
「盟約の聖女」
聞きたかった言葉を、知りたかった単語を口にする。
「知ってるよ? それが何なのか」
「それを、どこで」
思わず彼女の両手を掴む。どうしてこの女が知っているのか……いや、そんな事はどうでもいい。それがこの現状を打破する鍵なら、何だって。
「おっと、無料期間はここまで。無料より高いものはないからね……取引しようか」
「取引? 金か?」
そう尋ねれば、クリスは笑って首を振った。
「無粋だなぁ。あたしは君の知りたい事を教えてあげる。代わりに君は……」
わざとらしく、芝居っぽく考え込み始めるクリス。それから用意していたような答えを、無邪気な笑顔で言い放つ。
「デートしてもらおうかな。制服でね」
「なんで制服なんだよ」
いや、気にするのはそこじゃないだろう。
「大丈夫大丈夫、女子の制服もちゃーんと持ってるんだから。もう変な噂は立たないって」
「そういう話を」
してないだろう、と言い終わる前に彼女は出口……ではなく窓辺へと向かった。それから大きく開けた窓の桟に足をかけると。
「じゃあアキト、今週の休みに噴水前でね! 制服だよ、制服!」
そのまま、飛び降りた。
「おい、ここは二階」
急いで窓へと駆け寄れば、近くの木を伝って中庭へと華麗に降り立つ彼女の姿が見えた。俺に気づいて笑顔で手を振っていたが、つい背を向けてしまう。
「何なんだよ、あの女は……」
ため息を付きながら頭を押さえる。俺が何故か名前を知っていた女子生徒……だけならまだ良かった。それが前世がどうとか言い出して、盟約の聖女について知っていると仄めかされたと思えば、次の休みにデートなんぞさせられる羽目に。
意味がわからない、まだ理解が追いつかない。それなのに。
――先程までの違和感が、いつの間にか消え失せていた。
「どこに行ったかと思えば……」
「全く、こんな所で何をしていたんですか?」
ため息交じりに窓を閉めれば、入り口の扉が開かれた。そこには不機嫌さを隠そうともしないシャロンと、頬を膨らませて怒るミリアの姿があった。そういえば二人から逃げてきたんだっけ俺、なんて間抜けな事を考えていたせいで。
「ああ、クリスと話していて」
言ってはいけない言葉が、口から漏れていた。
生徒会室で、この間尻を追いかけていた女と逢引き。しかもこの生徒会室、なんと施錠も出来る。彼女達はクリスが誰だか知らないだろうが、それでも勘付いただろう。
「ははっ」
乾いた笑いが漏れる。どうやら俺は盟約の聖女について知る前に、あの世に行かねばならないらしい。
「アキト!」
「兄さん!」
詰め寄るシャロンとミリア、もはや何も言葉が出ない俺。結局クリスが何なのかはわからなかったが、一つだけ確かな事がある。
――あの女と関われば、俺は必ず不幸になる、と。
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