SAVE.301:婚約破棄④

 前代未聞の異常な神託への対応については、それを再現するという形で何とか収まった。だが問題はまだ残っている、それも一番大きな物が。


 ――なぜ今代の神託は、あまりに現実離れしているのか、だ。


 むしろこれこそが根本的な問題と言っても良い。過去の文献を漁った所で、神託と現実がここまで離れていた事は無い。つまり今代は過去に例を見ない異常な事態に陥っている、というのが結論だ。


 この『ズレ』が今代限りの話なのか、それともこれから先も続いていくのか。教会も王族もそこを一番危惧している。今代を茶番で済ませられるのも、原因を解明するまでの猶予、という形で認められている。


 原因がどこにあるか分からなければ、現在の均衡は崩れ去る。そして崩れた先に待っているのは、互いにいがみ合う未来だけだ。最悪の場合、国と宗教を跨いだ泥沼の戦争が起きるだろう。


 このズレを無視し続ければ、『神託など無意味だ』という結論が下されかねない。そうなれば教会は自分達の権威が失われる事を恐れてエルディニア国を批難するだろう。その批難も『あの時アキト王子が神託を蔑ろにしたせいだ』という内容になる筈だ。


 とくれば、エルディニア側はそこに反対意見を唱える。そして聖光教会と俺達が争っている間に、アスフェリアが介入して漁夫の利を狙う。ルーク殿下やダンテはそういうやり方を好む人物ではないが、アスフェリアという国はそういうやり方で大陸一の大国に成り上がったのだ。


 最悪の事態なんて起きないかもしれない。だが明日起こるとも知れない。


 だからこそ、不安と焦りが俺を苛む。いつ切れるかわからない綱の上を歩かされているような気分だ。それを必死に隠したくて、つい不真面目な軽口を叩いてしまう。


 という訳で俺は、その未来を回避するため――言い換えればこの『ズレ』の原因を探るため、今日も今日とて本の山を漁っているのだが。


「今日も収穫なし、か」


 学園に併設された図書室の一角で、俺は大きく背伸びをした。太陽は随分と前に沈み、学園に残っているのは俺と警備の人間と。


「お疲れ様アキト君……飲むかい?」


 こんな俺に付き合ってくれる、物好きのルーク殿下ぐらいだ。


「ありがとうございます、ルーク殿下」


 差し出された紅茶を受け取り、ゆっくりと口に運ぶ。上品な香りと甘さが疲れた体に染み渡った。


「神託がなぜ現実と乖離しているか……か。調べるには骨が折れそうだね」


 ルーク殿下には、主に本や文献の収集を頼んでいた。聖女や神託と名のつくものなら何でも、アスフェリア中から集めてもらっている。中には貴重な物や好事家から無理を言って譲ってもらったものもあり、これまでにかかった金額は考えたくもない。


「ですね。むしろ骨の数本くれてやるから、誰かに教えて欲しいぐらいですよ。なんでこうなってるんだよって」

「違いないね」


 ルーク殿下は机の端に腰を下ろし、自分用の紅茶を啜った。相変わらず様になるその姿を見て、ついかねてからの疑問を尋ねてしまった。


「殿下はどうして……俺を手伝ってくれるんですか?」

「王位継承権を捨てたくせに、かい?」

「……ええ、こんな厄介事なんてダンテに押し付けてもいいでしょうに」


 もしかしたら神託の扱いを巡って戦争になるかもしれない――その危惧を共有しているのは、俺とルーク殿下だけだった。ダンテとミリアには知らせていない、まさか仲良しな自分達が争う可能性があるだなんて思ってもいないだろう。聡明なシャロンは薄々気づいているかもしれないが……面と向かって告げられた事はない。


「僕はね、後悔しているんだ。自分の不甲斐なさが原因で人を不幸にした事があるからね。それを二度と繰り返したくないだけだよ」


 その事について俺はそれ以上聞かなかった。幼い頃、彼は妹を喪っている。それが原因で王位継承権を放棄したというのは貴族の間で有名な噂だ。


「そういう君はどうなんだい? 責任感が強いのは以前から知っているけれど、それだけじゃないよね」


 小さく笑う殿下に、今度は逆に質問をされてしまう。


「戦争になったら嫌だってだけですよ。金もかかりますし、無駄な会議も増えるでしょうし」

「それだけかい?」


 戦争を避けたい、というのは本心だ。だが、どうやらルーク殿下には本心を見透かされていたらしい。


「それは……上手く言葉にはできないんですが」


 目を背けていた、不安と焦りの原因。紅茶で温まった喉が、自然と言葉を漏らしていた。


「何か、違うなって」


 違和感。こうじゃない、ここではないと言葉にならない感覚が何度もそう告げている。なぜ神託と現実が違うのか。それは――。


「神託で謳われる世界の方が正しい気がするのかい?」


 殿下の言葉が胸に刺さる。言えない、言える筈もない。




 間違っているのは現実の方かもしれない、なんて。




「無言は肯定だと思われても仕方ないよ、アキト君」

「……そこは聡明な殿下のご想像にお任せします」


 わざとらしく両手を広げて答えれば、少しだけ楽になったような気がした。


「なら、聡明な僕から助言を一つ。今日はもう休んだほうが良いと思うよ……夜更かしは頭を鈍らせるからね」

「ええ、これを飲んだら」


 少しだけ冷めたた紅茶を啜る。これ以上ここにある本をめくっても、探している答えは見つからないだろう。


「さて、僕もそろそろ帰ろうかな」

「ルーク殿下……最後に一つ。お願いしていた文献はありましたか?」


 去り際の殿下に、以前頼んでいた事について尋ねる。


「『盟約の聖女』について書かれた物かい? 聖女の盟約……ではなくて」


 殿下の言葉に頷く。聖女の盟約については嫌というほど知っているが、言葉の前後を入れ替えただけの『盟約の聖女』についてはほとんど資料が存在しないのだ。初めて見かけた時は誤字か何かかと考えたが、それは別の存在を指す言葉だった。


「ええ、以前うちの蔵書で見かけた言葉なのですが……こっちの国に手がかりがあればと」

「まだ見つからないけれど……君の頼みだ、必ず見つけてみせるよ」

「ありがとうございます」


 頭を下げれば、そのまま殿下は図書室を後にした。残った紅茶を喉に流し込み、もう一度手近にあった本をめくる。文章を読み進めたところで、頭に入って来なかったので。


「ま、今日はこの辺にしておくか」


 聡明な殿下の助言通り、今日の所は大人しく切り上げる事にした。









 あれから何度か手持ちの本を漁っても、この現状を説明してくれるような記述はどこにも見つからなかった。盟約の聖女に関する資料探しについても、悲しいかな進展はない。それでも時計の針は進み、気がつけば神託を……『聖女ミリアの認定式』を再現する日を迎えた。






「よしっ、休憩も済んだし……そろそろ二回目行こうか」


 用意していたフルーツタルトで腹も膨れれば、立ち上がって手を叩く。返ってくるのはやる気に満ちた掛け声……ではなく、シャロンのため息だけだった。


「本当、誰かさんが邪魔したせいね」

「悪かったって、今度は笑わないから」

「それはどうだか」


 俺の反論も聞き入れられず、各々が持ち場につく。互いに目線を交わし小さく頷けばよく通るルーク殿下の声が響いた。


「残念だよシャロン……まさか君が、このような事を」


 吹き抜けのある聖堂、ため息混じりに首を振るルーク殿下、彼に寄りかかる涙目のミリア。


「今ここに宣言しよう。私、ルーク=フォン=ハウンゼンは」


 そして下唇を噛み締めながら、じっと耐えるシャロン。


「『蒼の聖女』、シャロン=アズールライトとの婚約を……破棄する!」


 そして俺は――エルディニア王国王太子、アキト=E=ヴァーミリオンは――。


 


 涙を、流していた。


 何で泣いてるんだよ俺は。おかしいだろ、笑っちまうだろ?


 なぁ。


「――ッ」


 言葉に詰まる。何でだよ、どうしてだよ。神託なんて出鱈目の筈じゃないか、目の前の光景は俺が用意した茶番じゃないか。それなのに、どうして。


 俺は、一人で――。


 ふと。本当に偶然だった。ただ涙を見せたくなくて、顔を上げただけなのに。


 吹き抜けの所でなぜか、一人の生徒が舞台を見下ろしていた。


「……おい、ここは立入禁止だぞ!」


 その赤毛の生徒に気づいたのか、ダンテが声を張り上げる。そして彼女は――何故か男子の制服を着ていた彼女は――急いでその場から逃げ出した。


 何でだよ、何で俺はそんな事を知っているんだよ。わからない、わからないはずなのに……俺の足は、もう地面を蹴っていた。


「兄さん、どこに」

「全く、今度は何を」


 聞こえない。縋るようなミリアの声も、責めるようなシャロンの声も、俺の耳を素通りする。張り裂けそうな胸の鼓動だけが確かに響いている。


 走った、走った、走った。追いつきそうで届かない。どれだけ手を伸ばしても、永遠に触れられる気がしない。それはなぜか、俺と彼女の距離みたいで。


 小さくなる彼女に、遠のいていくその背中に。


 俺は、知らないはずの彼女の名前を泣き出しそうな声で叫んだ。




「――クリス!」

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