SAVE.301:婚約破棄②
体を誰かに揺らされる。
「アキト、アキト……!」
声でわかる、だから絶対に起きたくない……なんて考えていたら、分厚い教科書で思い切り頭を叩かれた。
「アキト=E=ヴァーミリオン王太子殿下!」
「ああ、おはようシャロン」
諦めて顔を上げれば、そこには予想通り婚約者であるシャロンの顔がそこにあった。年は俺のひとつ上で、本来はこの教室にいるべき人物ではないのだが。
「お、は、よ、う~?」
両手を腰に当てながら、一文字づつ詰め寄ってくるシャロン。こんな風にだらしない俺を彼女が嗜める光景は日常茶飯事だ。もしこのままシャロンと結婚したら一生これが続くのか……そう考えただけで思わず身震いしてしまう。
「……おはようございます」
「貴方ねぇ、今日がどれだけ大事な日かわかっているのかしら? ミリアが、あなたの妹のミリアがようやくこの学園に入学してくるのよ?」
シャロンの言う通り、今日はミリアがこの学園に入学してくる日だ。あなたの妹、なんて強調するのは『何で兄のお前が教室で寝ているんだ』と言いたいからだろう。そんな妹の入学が一年遅れたのには理由があるが、今は重要じゃない。
「はいはい、迎えに行けば良いんだろ」
「『はい』は一回でよろしい!」
立ち上がって背筋を伸ばせば、今度は背中を叩かれる。未だに彼女を婚約者と思えないのは、こういう教育係みたいな事をしてくるせいだろう。家族的といえばそうなのかもしれないが、愛しの妻というよりは口うるさい姉のように感じてしまう。
「まったく、こんな調子じゃエルディニア王国のお先は真っ暗ね」
「そうならないために、これから頑張るんだろう?」
エルディニア王国のお先は真っ暗――彼女の言葉はあながち冗談とは言えない。だからこそミリアは遅れて転校してきたし、俺は準備を進めてきた。
大丈夫、きっと上手くいくはずだ。自分に言い聞かせるかのように、心の中で小さく唱える。
「アキト……」
俺の気持ちが伝わったのか、シャロンが目を潤ませて微笑む……と思ったらつま先を踏みつけられた。
「わかってるならさっさと歩く!」
「はいっ!」
最後の俺の『はい』だけは、どうやら及第点だったらしい。尻叩きだけは免れた俺は、小走りで教室を後にした。
◆
ミリアが転入して来たクラスの前には、大勢の野次馬が集まっていた。無理もない、隣国のお姫様がやって来たのだ……見に行くなというのは酷な話だ。
「随分とまぁ集まってるな」
「それはお姫様ですもの。生徒達が騒ぐのも当然だわ」
その場で背伸びをして、質問攻めに遭っている妹の様子を伺った。引っ込み思案だった幼い頃ならいざ知らず、一国の姫君として成長したミリアは一つ一つの質問に丁寧かつ簡潔に答えていた。うんうん、これなら何も心配はいらないな。
「……よし、大丈夫そうだな」
まぁ今日は一日中質問攻めに合って身動きが取れないだろうから……仕方がない、愛想を振りまくのも王族の務めの一つだ。そういう訳で明日にでも出直そうか。
「このまま帰るなんて選択肢はないわよ」
なんて甘い考えを見抜かれて、シャロンに釘を刺されてしまう。しかし転校初日から兄貴が出しゃばって学園生活を邪魔するのもな、なんて頭を掻いていたところ。
「あっ」
俺の存在に気づいたミリアと目線が合う。
「兄さん!」
ミリアが嬉しそうな声を上げれば、生徒達が自然と道を開ける。その道を小走りで駆けてきたミリアは、そのまま俺に抱きついた。
「良かった、迎えに来てくれたんですね」
「久しぶりだなミリア……前の休み以来だから、半年ぶりか?」
俺にだけ甘えた態度を取る所は幼い頃から本当に変わらない。学生でいられる時間もそう長くはないのだから、いい加減兄離れをして欲しいものだが。
「ううん、百二十三日ぶりです」
まだまだ時間はかかりそうだ。
「ミリア、少しは人目というものを」
「え、嫌ですけど」
シャロンの棘のある言葉に対抗心をむき出しにするミリア。二人の仲は、まぁ見ての通りだ。
「だいたい何なのよ、その丈の短いスカートは」
シャロンに指摘されてようやく、ミリアの履いているスカートが少し短い事に気づいた。最近の流行で、平均的な女子生徒並の……膝上程度の短さだ。ちなみにシャロンは規定通り、しっかりと膝が隠れるぐらいの長さだ。
「少しは王女としての慎みというものを」
「シャロンは相変わらずうるさいですね」
「うるさっ……!?」
毎日俺がシャロンに言いたい事を平然と言ってのけるミリア。そうだそうだと同意したい所ではあるが、ここで顔を引きつらせている婚約者の顔も立てなければならないのが王子様の辛い役目だ。
「まぁそう言うなミリア、シャロンはこの学園の生徒会長だからさ……注意しなきゃいけない立場なんだよ」
というわけで、ミリアに学園内の立場を持ち出して何とか納得してもらおうとする。
「貴方もよアキト、副会長なんだから」
が、婚約者から飛んできたのは悲しいかな余計な一言。シャロンうるさい、と言いたくなるがここは堪えて。
「そこはまぁ……妹には勝てないって事で」
苦笑いを浮かべながら事実を答えて反論する。結局の所俺もミリアの態度を容認するぐらいには、彼女を甘やかしているのだ。
「それより兄さん、学園を案内してくれるんですよね? 私ずーっと楽しみにしてたんだから」
「いいえ、貴方にはまず生徒会室に来ていただくわ……例の件があるのだから」
ミリアの提案を一蹴するシャロン。彼女の言う通り、俺達はただ挨拶をするために来た訳ではない。
「ちぇっ、折角兄さんと二人きりになれると思ったのに」
「まぁまぁ、面倒事は先に済ませた方がいいだろう?」
「はーい……」
口を尖らせ不満を隠そうともしないミリア。俺としても『例の件』について話し合っておきたいというのも本音だ。
「ミリア、『はい』は伸ばさない」
と、ここで再びシャロンの檄が飛んでくる。流石に反撃を諦めたのか、ミリアは荒い鼻息を漏らす。
「はいはいっと」
「ほんっとうに、この兄妹は……」
肩を竦めるミリアと、額に青筋を立てるシャロン。
だが俺は知っている……彼女も俺と同じように、何だかんだでミリアには甘いという事を。
「なぁミリア、そう邪険にするなよ。シャロンだってお前に会うのを楽しみにしてたんだぞ? 生徒会室に流行りの菓子を用意しておくぐらいには、さ」
そう、俺は知っていた。シャロンがミリアの喜びそうな菓子を準備していたという事実を。
「そっ、それは」
「ふぅーん、へぇー……」
にやけた顔を隠そうともせず、ミリアが赤くなったシャロンの顔を覗き込む。それでもシャロンは威勢よく踵を返し、俺達に背を向けた。
「ほら、さっさと行くっ!」
上擦った声が廊下に響けば、シャロンは生徒会室へと向かって進み始める。俺とミリアは互いに顔を見合わせてから、シャロンの背中を追いかける。
結局の所俺達もまた、彼女の事が大好きなのだから。
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