SAVE.205:誰もが望まぬバッドエンド
街の外れにある古びた教会の地下で、俺達は日々をやり過ごしていた。ミリアが逃げ込んだ場所に逃げ込んで、これから先どうすれば良いかなんてわからないけれど――少なくとも今の俺達に出来る最善の策がこれだった。
「ただいま、アキト」
「おかえりクリス……街の様子は?」
薄汚れた外套に身を包んだクリスがフードを上げれば、不格好な微笑みが顕になる。
「全然駄目。結局今回もエルザさんに頼っちゃった」
彼女の持った小さな籠には、二人分の食事が詰まっていた。今回の件は国中に広がり、今や俺達はお尋ね者だ。たとえ金貨を持っていようとも、パン一つまともに買えやしない。唯一信頼できるクリスの伝手が無ければ今頃餓死していただろう。
「食べよ?」
おおよそ王族の口に要れるべきではない、簡素な食事を二人で分け合う。パンとチーズ、それから水を。
「あの時は西に逃げれば良いだなんて言ったけれど……現実って厳しいね」
「王族二人が駆け落ち、か。世間には良い娯楽だろうな」
エルディニアの王子がアスフェリアの王女を連れて逃亡。そんな知らせに踊らない程世間は賢くなんてなかった。
「本当だよ。話に尾ひれが付きまくってて、もうすっごい恋をした事になってるの」
噂話を町中で耳にしたのか、笑いながらクリスが言う。恋をした事になっている……それは俺達の関係を端的に現していた。
俺が一緒にいたいのは、ここにいるクリスじゃない。そして彼女が会いたいのは、ここにいる俺じゃないのだろう。形だけ見れば駆け落ちでも、俺達は恋人なんかじゃなかった。
「それにしても、ここは盲点だったね」
「知ってたのか」
周囲を見回すクリスにそんな言葉が自然と漏れる。
「まぁ、ね」
肩を竦める彼女を見て、ようやく避けていた話題を口にする決心がつく。
「なぁクリス、結局お前は……誰なんだ?」
ここにいるクリスティア=フォン=ハウンゼンは何者なのか。
「それは」
「何でクリス=オブライエンの真似が出来るんだ、なんでこの場所を知ってるんだ? それはまるで」
自分で言葉にすれば、自然と結論にたどり着く。ここにいる彼女は、もしかしたら。
「あのゲームをやった事があるみたいじゃないか」
俺と同じように、前世の記憶があるのかと。
「なん、で」
その瞬間、クリスの顔から表情が消える。それから遅れてやって来たのは、困惑した表情だけだ。
「何で君が『ゲーム』だなんて言葉、知ってるの?」
彼女が詰め寄り俺の襟を握りしめる。鼻と鼻が当たるほど顔を近づけられて、彼女の瞳に俺が映った。
けれどその俺はここにいる俺じゃなくて。
「それはその、前世の記憶って奴が……なんて言っても」
信じないだろう、と決めつけていた。何も聞かずに相談せずに、彼女に自分を押し付けていた。
ああ、俺は本当に――何もしてこなかったんだ。
眼の前にいる彼女を信じるなんて事さえも。
ただクリス=オブライエンの影を追って、それに触れて満足して。彼女がこうなったのは俺が理想を押し付けたからじゃないか。悪いのは、この惨状を招いたのは……他でもない俺自身だ。
「ねぇ、君は……『アキト』なの?」
ためらいがちな彼女の言葉に俺はようやく彼女の正体に気づいた。
ここではない遠い場所で、いつか共に日々を過ごした。
あの快活で悪戯っぽくて、前世の俺が好きだった。
彼女の、名前を――。
唐突に、地下室に足音が響き渡る。鎧を来た男達の金属が擦れる音が。階段を照らす松明の明かりが、錆びた鉄の匂いが。
怯えた彼女は俺に抱きつけば、ため息が聞こえてきた。
「こんな所にいたとはね、もうとっくに王都の外に出てるかと思っていたけれど……諦めなくて良かったよ」
「よぉアキト、久しぶりだな……元気か?」
ルーク殿下とダンテだった。その後ろに控えるのは、王族直属の兵士達だ。逃げ場はない。
「君に贈った言葉を覚えているかな? 王族を拐かしたんだ……それはもう『逆賊』だって」
交渉の余地なんて、何処にもない。提げた剣を鞘から引き抜き、ルーク殿下は俺に向かって剣先を突きつける。
「おいルーク、それ仕舞えよ……話が違うだろ! 二人を助けるんじゃなかったのかよ!」
必死な顔をしてダンテが懇願する。こいつは本当に俺達を助けに来たつもりだったんだろう。だけどもう一人の、次代の王の思惑なんて……聞かなくてもわかっている。
「ダンテを拘束しろ」
「しかし」
「二度も言わせるつもりか?」
ルーク殿下の後ろに控えていた、一際身なりの整った騎士がダンテの腕を締め上げる。苦痛に顔を歪めながらも、彼は兄の顔を睨んだ。
「その人を虫けらみたいに見下す目は」
そこに俺の知っているルーク=フォン=ハウンゼンの姿は無かった。姉さんに甘い言葉を贈った姿も、恥ずかしさで顔を覆った幼さも、王を目指すと決めた男の顔も、どこにもなくて。
「……お前の大嫌いな父親みたいだな」
ルーク殿下が無言で拳がダンテの腹を殴りつける。それが制裁ではなく八つ当たりだと気づけたのは、この人を知っていたからだろう。
「クリスは見逃してくれるんだろうな」
「見逃すも何も、僕達は助けに来ただけだ……君に攫われた妹をね」
尋ねれば、肩を竦めて芝居がかった台詞が返って来た。冷徹な王の仮面の上に優しい王子様の仮面を重ねたせいで、もう本心は見えやしない。
それでも俺は立ち上がって、彼の前へと歩を進める。
「駄目だよアキト」
「随分と潔いじゃないか」
クリスの言葉を無視して進めば、ルーク殿下が鼻で笑う。
「教えて下さいよ、ルーク殿下」
ようやく彼の前にたどり着けたから、その瞳を覗き込んだ。何も映さない灰色の瞳の持ち主に、どうしても聞きたい事があったから。
「シャロン=アズールライトを……姉さんを手にかけた時、どんな気分だったんですか?」
もう俺にそう呼ぶ資格が無かったとしても、聞かずにはいられなかった。
「貴方の為なら何でも出来て、どんな事だって厭わなくて」
彼女は俺の知っている人では無かったのかもしれない。俺がアキト=アズールライトだった時とは違う人生を歩んでいたのかもしれないけれど。
「その生命さえ捧げた人を」
それでも彼女は一番大事な物を、この人に差し出したから。
――愛してない訳、なかったんだ。
「その名前を」
ルーク殿下の瞳にようやく感情の火が灯った。怒りだ。俺が彼女を侮辱したとそう思ってしまったから。
ああ、良かった。
こんな最悪な結末だけど、最低の幕引きだけど。それでもこの狂った世界に、俺が狂わせた世界の中に変わらない物があったから。
振り下ろされる剣を、俺は――。
「お前が……お前なんかが呼ぶ資格はない!」
体を強く押されて、汚れた地面が顔について。間抜けな俺は気づいてしまう、誰かに突き飛ばされた事に。
誰か? 決まっているじゃないか。
本当に俺は間抜けで、どうしようもない男で。
「何で」
俺の頬に、彼女の血が降り掛かった。生々しい鉄の匂いが鼻をついてようやく、現実を直視する。
「何で、俺なんかのために」
そのまま倒れ込んだ彼女の頬に触れれば、こんな時でも笑顔を見せる。
いつかの放課後、俺をからかった時みたいに。無邪気で悪戯っぽくて、大好きだったあの笑顔を。
「俺なんかって……言わないでよ。あたしはさ、君が生きてくれてるだけで」
彼女の口の端から血が漏れる。それでも彼女は精一杯の力を振り絞って、俺の指を掴んでくれて。
「幸せ、なんだから」
――発狂したルーク殿下の叫び声が響いた。
そのまま彼は俺の胸ぐらを掴むと、何度も顔面を殴りつける。
痛みはない。何度で拳で殴られようが、そんな余裕は何処にもない。
クリスが、死んだ。
俺が、俺の不甲斐なさが殺したんだ。
視界が遠のき、心が壊れていくのがわかる。眼の前の光景が認識出来ない。
あそこにいるのは誰だ、ここにいる俺は何だ? わからない、わからないんだもう何も。
感覚が削ぎ落とされ、真っ暗な闇に意識が落ちていく。
その果てにふざけた幻覚が見えた、ような気がした。
『ロードしますか?』
――嫌だ。
何も見たくない、何も考えたくないんだ俺は。
俺はただ彼女に会いたかっただけなのに。あの日々の続きを過ごしたかっただけなのに。
こんな記憶は、世界は。
消えて無くなれば良いんだ。
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