SAVE.204:逃げた先にあるものは

 変わらない。


 何も変わらずに時間だけが流れていった。俺は相変わらず寮の自室に引きこもり、学園には行かず一日の殆どを過ごして。


 変わらない。


 あの一件があっても、彼女はほとんど毎日俺の所へと足を運んだ。会話もなく、ただ一方的に学園であった事を話すだけ。


 変わらないなら、なんで。




 どうして、ここなんだ?




 アキト=E=ヴァーミリオンだなんていう大層な名前の時に限って、どうして日々が続くのか。俺が続けたかった毎日は、こんな所にありはしないのに。


 幸せだった日々は遠く、不幸な現実だけが触れられる距離にあって。少しでも動こうとするなら、体は鉛のように重く、苦しく。


 窓辺から差し込む光が、夕暮れどきを教えてくれる。




 また、彼女が来る。




 学園を学校と呼んだ彼女が、また俺の部屋に来る。


 なぁ、誰なんだよお前は。


 どうしてクリスを知っているんだ、どうして俺の世話なんか焼くんだ。聞きたいのに、答えが欲しいはずなのにそうする事が出来なかった。


 だって彼女は、クリス=オブライエンへと通じるたった一つの道筋だから。どうしても手放したくなくて、ただその優しさに甘えて。


「アキト!」


 部屋の扉が開かれる。彼女が来た……だけど今日は様子が変わっていた。季節外れのコートを着て、大きな鞄を一つ持って。血相を変えた顔をして、ベッドに横たわる俺に向かって来た。


「君の最近の事が父に……アスフェリア王に伝わって。君との婚約を白紙にするって……」


 ああ、なんだ。意外と早かったじゃないか。何もせずにいた俺が払うツケは、もうそんなに溜まっていたのか。


「だからさ、一緒に逃げようよ」


 強引に彼女に腕を捕まれ、無理やり体を起こされる。思いの外軽かったのか、彼女が驚いた顔をしてみせた。


「……構うなよ、こんな俺なんか」


 もういいや、全部。このまま国へと返されて、どこかで幽閉でもされればいいんだ。アキト=E=ヴァーミリオンなんて人間はいなかった事にしてしまえば良いんだ。だってそれで、世界は丸く収まるんだろう?


「構うよ、構うに決まってるじゃないか!」


 彼女の悲痛な叫び声が殺風景な部屋に木霊する。ふと顔を見上げれば、涙目の彼女が俺を見つめて。


「だって、悪いのはあたしだから」


 嗚咽の混じった声響く度、胸が強く締め付けられる。


「あたしが君に会いたいって思ったから、こんな事になったんだよ」


 いつだったろうか、こんな感情を抱いたのは。


「全部、全部あたしのせい! あたしが怖がったから、目を背けたからこんな事になったんだ!」


 彼女が泣いている。ここにいるのは、あの時あの場所にいたクリスじゃないのかも知れないけれど。


「だから、一緒に逃げてよ」


 握りしめられた手の温もりが教えてくれる。こんな俺にもまだ価値があると、信じてくれる人がいると。


「それともさ、嫌かな……こんな奴と一緒にいるのは」


 この先に望んだ未来なんて無くても、幸せなんて見つからなくても。


「行こうか、クリス」


 今彼女の隣に居られるのは、俺以外にはいないから。




 こんな俺にも、出来る事が、まだ。

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