7/23 16:21

 指先で触れた彼の唇は、うだるような夏の暑さとは裏腹にただ冷たいだけだった。水や氷とは違う、無機質なまでの冷たさ。なぞる度に奪われた指先の熱が、たった一つの事実を突きつける。


 ――死。


 それはもっと遠くにある物だと思っていた。両親はおろか祖父母もまだ健在で、亡くした事があるのは昔飼っていた金魚ぐらい。それでもあたしは、それをわかっていたような気でいた。本で読んで、ゲームで知って。理解していたつもりでいた。


 けれど現実は随分と違った。伏線も無ければドラマもない。どこにでもあるような交通事故に遭って、そのまま目を覚まさなかっただけの話。


 現実。彼の母はまだ息子の死を受け入れられず、ただ口を半開きにして天井を見上げるだけだった。彼の父はただ黙って、機械のように喪主としての勤めを果たしていた。参列者達はただ静かにすすり泣き、早すぎる彼の死を悼んでいた。


 あたしは彼が好きだった。中学の頃に知り合って、同じ高校に一年と少し通って。からかえば恥ずかしがる彼の姿が、ため息を付いて面倒事を引き受けるような優しさが、調子に乗っては失敗するような思慮の浅さが、たまに見せる頼もしさが好きだった。


 この想いをいつか伝えようと思っていた。特別な関係になれたらと何度も何度も夢に見た。そうしたらどこに行こうかなんて、一人にやけて想像していた。制服を着てデートに行きたかった。少し遠出してキャンプなんかもしてみたかった。その先もずっと続いていけたらなんて、枕に顔を埋めて願っていた。


 けれどその日は永遠に訪れない。君が好きだと伝えても、彼は何も答えない。頬を突いてからかっても、どんな反応も返ってこない。それがあたしの人生において、初めて直面した死という現象だった







 彼の葬儀から十日ほど経った日の事だろうか。あたしは彼の家に向かった。ただ自分の気持ちを整理するための、自己中心的で軽薄な行動だった。それでも彼の両親は――無理にでも明るさを取り戻したような二人は――暖かく迎え入れてくれた。


 彼の遺骨の前に線香を上げ、無理やり笑う二人とペットボトルに入ったアイスコーヒーを飲みながら話をして、それから彼の部屋に案内された。


 初めて入った彼の部屋は……何の変哲もない男子高校生のそれだった。勉強机にキャスター付きの椅子、ホームセンターで売っているようなメタルラックには乱雑に物が置かれ、カラーボックスには教科書や資料集が並んでいる。それから型落ちのテレビには、ゲーム機が繋がれていて……その脇には、あたしが貸したあのゲームが置かれていた。


 一人残されたあたしは、そのゲームを起動した。あれだけ夢中になったゲームのタイトル画面が、今はただ虚しいだけで。


 ロードを押せば、セーブデータが一つ残っていて。


 そこで、気づいてしまったんだ。データの隅に記された日付と時刻が、彼が死ぬ直前だったという事に。




 彼がもし、このゲームを遊んでいなければ?




 この部屋にはまだ、彼がいたかもしれない。あたしが余計な事をしたせいで、彼が亡くなってしまったのかもしれない。


 その可能性に気づいた瞬間、あたしは逃げるように彼の家を後にした。偶然だとか関係ないとか、他人に話せばそんな言葉がかけられるような話なのかもしれない。けれど考えられずにはいられない。




 彼を殺したのは、その生命を終わらせたのは……誰でもない、ここにいるあたしなのだと。

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