SAVE.202:惨劇、もう一度繰り返して③

 認定式から三週間。姉貴が婚約破棄をされ退学までしたという事実は、簡単に拭える物ではなかった。加えて新しい噂も広まっている――ルーク殿下がミリアとの仲についてだ。


 あの二人が並んで歩いている所は、俺ですらよく目にしていた。もしかしたらミリアの当てつけかも知れないが……何にせよ俺の気分を塞ぎ込ませるには十分すぎる物だった。殿下の隣に彼女がいるだけで、俺は実感せずにはいられない。


 俺は姉貴を救えなかった、と。


 だから俺は逃げるように、与えられた新しい役目に……生徒会副会長の職に没頭していた。生徒会室は引きこもるには丁度いい場所だったし、ルーク殿下と顔を合わせそうになれば学園内にいくらでも用事はあった。


 だから俺は今日も人を避けるように生徒会室で書類仕事に逃げていたのだが。


「なぁ、ルークは……って今日もアキト一人か」


 ノックもせずに扉を開けるなり、ここ最近生徒会室に出入りしている男が顔を出す。


「悪かったな、ダンテ」


 ダンテ=フォン=ハウンゼン。この国の第二王子を、いつかの日と同じように呼べるくらいの仲にはなっていた。


「ま、いないならそれでいいけどな。邪魔するぜっと」

「本当に邪魔するなよ?」


 そのまま応接間のソファーに寝転がり、鼻を鳴らすダンテ。彼がここに来るのは本当にルーク殿下に用があるのが二割で、こんな風に肩の力を抜きに来るのが八割だ。


「どうだろうな、アキトをからかうのは面白いから」


 相も変わらぬダンテの言葉に、思わず意地の悪い質問をしたくなる。


「なぁダンテ、お前は……ミリアとの仲は考えていないのか?」


 それは今日まで聞けなかった、ダンテに纏わる疑問の一つだった。前回までミリアを必死に追いかけていた彼が、今はそうする素振りを見せちゃいない。


「おいおい、まだ邪魔してないってのに……あんまりな事を聞くじゃねぇか」


 寝転がったまま手だけひらひらとさせるダンテ。その仕草と声色に隠れた感情が、諦めだったとすぐにわかった。


「そりゃ翠の聖女と婚約出来れば願ったり叶ったりだがな……だが駄目だ、ルークが相手じゃ分が悪すぎる」

「そこまで言うほどか」

「そこまで言うほどなんだよ。オレの母親は西にあるサルティーナって小国のお姫様だからな、生粋のアスフェリアの血筋のルークとは持ってる地盤が違うんだ」


 確かにダンテの持つ雰囲気も風貌も、どこかアスフェリアの人間とは違った所がある。納得すると同時に、自分がどれだけ周囲の事に無頓着だったか思い知らされる。


「それに考えてもみろ、ミリアちゃんだってエルディニアの姫様だぞ? 西の母親から産まれた俺と、東の国のお姫様が大陸のど真ん中で結ばれたとくれば……」

「それだけで叛意ありと思われそうだな」


 王の血統がそれだけ他の国が混じっているともなれば、アスフェリアの貴族連中は黙っていないだろう。


「そうだよ、だからオレは早々に諦めたって訳だ。高嶺の花より庭の花ってな」

「高嶺の花、ね」


 聖女であり王女でもある彼女は、きっとそう呼ぶに相応しいのだろう。だけど前回の記憶のせいで、どうしてもそう思えない自分がいた。


「まぁ高嶺の花を既にお持ちのアキト殿下にはわからない悩みかもしれませんがね」


 ソファーから起き上がったダンテに、早速意趣返しを喰らってしまう。今度の花の名前を間違えられる程、俺は鈍感ではないつもりなのだから。


「クリスはそういうのじゃ」

「そうそう、そういう所が羨ましいんだよオレは」


 何が嬉しいのか、ダンテはニヤニヤと笑いながらそんな事を言いだした。


「変に気を使うとか、お互いの事をわかってるとか、そんな感じの? お前らの関係って、オレは結構羨ましいんだよ」

「どうだろうな」


 無邪気なダンテの言葉が胸に刺さる。今だってミリアに言われた事が引っかかって、自然と彼女を避けている。クリスの事がわかっているなら、そんな事はしていない筈なのに。


 俺の戸惑いが伝わったのか、ダンテはソファーに寝転がった。おかげで生徒会室はいつもの静けさを取り戻したが、その静寂はすぐに破られてしまった。


「……っと、寝るには随分騒がしいな」


 窓の外、中庭から生徒達のざわめき声が聞こえてきた。興味なんて無かったが、気がつけばダンテは窓を開け身を乗り出していた。


「ねぇみんな、何してんのー?」


 中庭にいるだろう生徒に手を振りながら、声を張り上げるダンテ。だがいつもなら黄色い歓声を上げそうな連中からの返事は無かった。不思議に思って俺も覗き込めば、何やら話し合っていた生徒が手招きをしていた。


「こっち来いってか。穏やかじゃないな」


 彼女達がそうしたのは、大声で話せないような事だったのだろう。だから穏やかじゃないというダンテの言葉は正しいのだろうが。


「行くぞアキト」


 何故か俺まで背中を叩かれてしまう。


「俺は別に」


 こういう面倒臭い事とは関わりたくないというのが今の心情だったが、それでもダンテは掴んだ肩を離そうとしない。


「あんまり引きこもってると体に悪いぞ?」


 本当に俺の心配をしてくれているのか、それとも単なる興味なのか。どちらにせよ今の俺は。


「……わかったよ」


 古くて新しい友人との親交を温める事を優先した。







「んで、何があったんだい?」


 中庭に着くなり、ダンテは親しそうに女子生徒に肩を組んだ。その手の早さには感服するが、それでも女子生徒は口ごもるだけだった。


「教えて?」


 ダンテが笑顔で念を押してようやく、女子生徒が口を開く。


「その、ルーク殿下とミリア様があそこでお茶を飲んでいらしたのですが……ミリア様が中座してから戻って来ないようで」


 それを聞いて女子生徒の態度に納得する。隣国から来た王女が姿を消したなんて、とても大声で言える話ではないのだから。


「なるほど、ありがとね……それでルークが探しに行ったと」

「あの、私達はどうすれば」


 納得するダンテだったが、女子生徒達は指示を待っているようだった。このままここを離れてもいいのかすら判断出来ないのだろう。


「だってよ副会長様」


 ダンテに背中を叩かれる。確かにこの場を収めるべきなのは立場上俺なのだろう。


「あ、ああ……学園に不慣れなせいで迷っただけ」


 そこで言葉が途切れてしまった。中庭からミリアが消えた――どうして忘れていた、どうして思い出せなかったんだ?


 ミリアが悪役令嬢の手によって攫われ、ダンテの手によって救出されるというイベントだ。だが俺の記憶の中にあるのは、何度も何度も繰り返したあの光景だけなのだから。




 ――姉さんの死に顔が頭から離れない。




 血まみれのあの人の死に顔が脳裏に過った瞬間、首を締め上げられたように呼吸が苦しくなる。


「……どうせすぐに戻ってくるだろうから、気にせず帰ってくれて構わない」


 苦し紛れに絞り出した台詞は、存外まともなものだった。そのおかげで女子生徒達は散り散りになってくれたが、まだ息苦しさは消えてくれない。


「どうしたアキト、具合が悪そうだけど」


 ダンテが差し伸べた手を払い除け、俺は走った。


「おいアキト!」


 大丈夫、大丈夫大丈夫だと。必死に自分に言い聞かせる。彼女はもう学園にはいないのだから、あんな事が繰り返される訳はないと。ゲームの通りに進んでいるなら、ここに姉さんがいる筈はないと。


 何度も何度も何度も何度も。自分を納得させようとしても、こびりついた不安だけは消えなかった。


 


 またこの場所に来てしまった。


 何度繰り返したのだろう、姉さんを救えなかったという結果を。何度やり直したのだろう、もう届かない場所にあるアキト=アズールライトの人生を。


 ……ああ、まただ。またこの臭いがする。


 扉から漏れるそれの正体なんて、もうとっくにわかっているのに。何があったかなんて、もう体が覚えているのに。


 だけど俺は、諦めたくなかったから。あの時捨ててしまいそうになった希望を、もう手放したくはなかったから。


 その重たい鉄の扉に触れた瞬間、掌が張り付いたかのように体温が奪われる。震える手でそれを開ければ、そこにあった光景は。


「二人共……よくここがわかったね」


 剣についた血を拭うルーク殿下がそこにいた。そして倉庫の隅で身を縮ませて、肩を震わせるミリアの姿と。


「ああ、でも大丈夫だよ……君の大事な妹は無事だからね」




 首を掻き切られてしまった、大切な人の無惨な姿が。




「ルーク殿下!」


 わからない。わからないわからないわからないわからない。


 どうして姉さんがここにいるんだよ、どうしてルーク殿下が殺す必要があったんだよ。


「ここまでする必要は、あったんですか……」


 叫びたかった、怒りたかった。どうしてこんな事をしたのかと、詰め寄って、殴り飛ばしてやりたかった。だけど無理だ。この体を辛うじて動かしているのは絶望と無力感だったから。


 ――俺はまた、救えなかった。


「おかしな事を聞くじゃないか。彼女は君の妹を……一国の姫君を拐かしたんだ。当然の処罰だよ」

「だからって」


 ようやく絞り出せた言葉は、すぐにルーク殿下に制止された。それから俺に冷たい侮蔑の目を向けながら、そっとミリアを抱きかかえた。


「それに心配するべきは、妹の無事だと思うけれどね」


 ああそうだ、こんな状況なら家族の心配をするのは当然だ。だから俺はこの人の……シャロン=アズールライトの事を考えているんだ。そこにいるミリア=E=ヴァーミリオンなどという、家族の紛い物じゃなくて。 


「これも……これも『決まっていた事』なんですか?」


 ふと過った家族の言葉を思い出す。あの婚約破棄は何だったのかと詰め寄った時、彼女がくれた一つの答えを。


「何だ、話が早いじゃないか」


 殿下は一瞬だけ驚いた顔をしてから、矢継ぎ早に言葉を続ける。


「今回の神託はどうも現実と違う所があるみたいでね。なぜかミリアくんが平民だったり、エルディニアが存在しなかったりと散々で」

「それは」


 この世界が間違っているからじゃないか。


「全ては合わせられないから、主要な物だけ守る事にしたのさ」

「主要な物って」

「僕とミリアくんの婚約と、シャロン=アズールライトの処刑さ」


 変わっていない。神託の内容は何一つ変わってはいないんだ。だけど何処かで歯車が噛み合わなくて、こんな世界になってしまった。


「それではアキト殿下、副会長として……そこの『逆賊』を片付けておいてくれないかな」


 顎で冷たくなった姉さんを指してから、ルーク殿下はこの倉庫を後にした。


 こんなどうしようもない状況なのに、一つだけ確かな事がある。




 俺は、もう、二度と。




 この世界を、やり直せないんだ。 

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