SAVE.202:惨劇、もう一度繰り返して②

 全ては語らなかった。前世の記憶を取り戻した事は余計に混乱させると思ったから。代わりにアキト=アズールライトだった事を、エルディニアなんて国はなくてミリアが平民だった事を、何度も世界をやり直した事を、その果てに少年時代からやり直している事を語った。


 そして姉貴の出した結論は――。


「あり得ないわね」


 実にわかりやすい一言で一蹴される。


「だから話したくなかったんだよな」


 ため息交じりの言葉が口をついたが、それでも心はずっと軽くなっていた。


「僕は」


 クリスは手を強く握り、少しだけ言葉を詰まらせる。


「僕は信じるよ」


 だけどゆっくりと吐き出すように、欲しかった言葉をくれた。


「そうね、確かにこんな与太話を私達に語ったって……あなたに利益なんか無いわね」

「むしろ不利益しかないよ。変な人だって思われるだけだからね」


 二人の冗談に思わず笑い声が漏れた。確かに自分が語った内容は狂人のそれでしかないのだから。


「それで貴方はどうなって欲しいのよ、この私に……」


 その瞬間、姉貴の広角が少し上がった。それから脚を組み直して、挑発するように鼻を鳴らす。


「元お姉様に」


 その関係が気に入ったのか、嬉しそうに姉貴が笑う。横目でクリスを盗み見れば、彼女は笑ってはいなかった。どうやら信じるという言葉は本当だったみたいだ。


「別に……普通に過ごして欲しいだけだよ」


 ルーク殿下との仲はもう望めないのかもしれない。だけどそれ以外だと言うなら、俺の望みはそう変わった物ではない。ただ彼女が彼女らしく、幸せに生きて欲しいだけなのだから。


「それなら万事解決ね。私は少し早めに卒業して領地でのんびりと過ごす事にするわ。教会からの地位があれば他の貴族から干渉される事もないでしょうね」


 両手を広げて姉貴が自分の未来について語る。どこか寂しそうな目をしていたから、つい疑問が口をつく。


「……それでいいのかよ」

「いいのよ。それにずっと前から決まっていた事よ」


 諦めたように姉貴が自嘲混じりの笑顔を浮かべる。その未来は彼女が望んだ物ではないのかもしれないけれど。


 シャロン=アズールライトは生きている。それだけで胸の支えが取れたような気がした。


「良い時間ね。今日は二人とも帰りなさい」


 窓の外を見れば、沈みかけた日が雲一つ無い青空を茜色に染めていた。一日の終りを告げる侘しいはずの色は、見惚れるぐらいに綺麗だった。


 だけどそれを見続けるのは俺の役目じゃないような気がして、取り繕うように立ち上がる。


「そうするよ。姉貴はまだいるのか?」


 その不用意だった一言のせいで視線が集まる。それから二人で目配せをして声を殺して笑うから、気恥ずかしさでつい首の後ろを押さえる。


「いや、今のはその……」

「ふうん、そうやってお姉様を呼んでいたのね。不躾な事」


 何も言い返せないせいで、言われるまでもなく部屋を後にしたくなる。


「貴方の話で疲れたのよ。少し休んでからここを片付けてから帰るわ」

「片付けぐらい俺達も」


 手伝うよと言い終わる前に、クリスの手が俺を掴む。姉貴が一人になりたいと悟ったのか、彼女は首を横に振るから。


「……またな、姉貴」


 二度と告げないと思っていた呼び方で、学園を去る彼女に再会を願う言葉を残した。







 生徒会室を後にした俺達は並んで廊下を歩いていた。俺がやり直してきたという話をしたせいで、妙な気まずさが漂っている。気の利いた話題を頭の中で探していると、少し先を歩いていたクリスがゆっくりと振り向いて。


「ねぇアキト。僕は君の知っているクリスと……似ているかな」


 唐突に彼女がそんな質問をしてくるから、思わず言葉が出なくなる。


「似ているって」


 性格は前回の彼女よりも明るく、そして女性らしくなっている。だがこれは自然な話だ、彼女は身分を奪われる事無く、性別を偽る事もなく生きてきた。だから今のクリスが、俺の知っているクリスと違っていても納得は出来る。


 だからこそ、わからない事が一つある。どうして彼女は腰に剣を刺し男子の制服なんて着ているのかと。


 いや、なぜ着ているかなんかじゃない。




 ――クリスティア=フォン=ハウンゼンが、なぜ男子の制服を着るだなんて発想をしたのか。




「……クリスはクリスだろ?」


 肩を竦めてそう答えれば、彼女はどこか安心したように微笑んだ。


「そっか、それなら……いいんだ」


 つい彼女から目を逸らしてしまう。騙している訳でもないのに、また居心地の悪さが襲ってきた。それから互いに何事も無かったかのように繕いながら歩けば、またすぐに綻びが生じてしまう。あいつのせいだ。


「……ミリア」


 曲がり角から姿を現したミリアが、俺達の姿を見て小さく頭を下げる。そのまま何事もなくすれ違いそうになったが、それでも余計な事を聞かずにはいられなかった。


「あの人が、シャロン先輩があんな目に遭うって……お前は知ってたんだな」


 立ち止まったミリアが俺の目を真っ直ぐと見つめてきた。


「私がルーク殿下と縁談を結べれば、二国間のつながりはより強固な物になります。私達の国は小さく弱い……大国の庇護下に入るというのは、エルディニアの王族として当然の判断です」


 彼女の言葉が正しいから、思わず目を伏せてしまう。大陸の東端に位置するエルディニアの国境は全てアスフェリアに面しているのだから、その国と穏やかな関係を築くというのは当然の結論だ。


「そうじゃなくて……言ってくれれば、俺だって」

「貴方が、何をしてくれたっていうんですか」


 抑揚のないミリアの声が、俺達しかいない廊下に響く。


「私の話を聞こうとすらしなかった人が、他人のために何が出来たって言うんですか」


 彼女の言う通りだ。俺はこんな事が起きなければ、ミリアに声をかけようとすらしなかったのだから。今更兄貴面して、何が出来たっていうんだ。俺は……最低だ。


「昔の兄さんは優しかったのに、クリスさんと出会ってからはおかしくなって……!」


 追い打ちをかけるかのように、ミリアが恨み言を吐き出す。その言葉こそ否定できる要素が無かった。


 俺はあの日、アキト=E=ヴァーミリオンではなくなったから。


「行こうかアキト」


 クリスに袖口を引っ張ってくれたおかげで、その場から立ち去るだけの気力が戻る。


「いいですね、兄さんにはクリスさんがいるから」


 だけど背中越しに聞こえるミリアの言葉が、徐々に感情を帯びていくのがわかる。


「ねぇクリスさん……大国であるアスフェリアの王女様が小国のエルディニアに嫁ぐなんて、いくら王族同士とはいえ身分の釣り合いが取れないって思った事はないですか?」


 わかっている。わかっているんだ、それぐらいは。


「どんなに仲が良くっても、お二人は政略結婚なんですよ? だったらどうしてアスフェリアは、クリスさんを差し出したんでしょうね」


 姉貴の話が頭を過る。そうだ、結局俺達なんてものは政治の道具でしかないんだ。


「わかってるでしょう? あなた達が、そんな風に……そんな関係でいられるのは」


 クリスに支えられながら、ミリアから遠ざかる。彼女の目に映る俺達が、どれだけ身勝手な物に見えても。




「……私が犠牲になったからだって!」




 歩いて行く、二人で。


 ミリアと姉貴の犠牲で成り立つ、綺羅びやかなこの道を。

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