SAVE.202:惨劇、もう一度繰り返して①

 あの認定式から五日。久しぶりに登校した俺が向かったのは生徒会室だった。認定式の打ち合わせをしたせいで近寄りたくはない場所だったが。


「いいこと? ここにあるのが議事録で、こっちが各部活動の予算の書類。そっちにあるのが行事関係の書類で」


 淡々と資料の説明をしてくれる姉貴。どうして俺にこんな事をしているかと言えば。


「最後に、これが副会長の引継ぎ書」


 シャロン=アズールライトの穴を俺が埋めなければいけないからだ。


「聞いてるの? アキト殿下」


 不満そうに顔を覗き込む姉貴。その表情が記憶の中の彼女と同じものだから、つい目を伏せてしまう。


「なぁシャロン先輩、本当に」


 あの認定式での婚約破棄の一件で、彼女が負わされた責任は。


「本当に、退学しなきゃならないのか?」


 この学園から去る事だった。


「……少しだけ卒業が早くなっただけよ」


 わざとらしく肩を竦めながら、姉貴は皮肉と自虐の混じった台詞を吐いた。


「だけど、その……シャロン先輩は悪くないだろ。言われた通りミリアの指導をしていただけなんだから」


 その上、今のミリアは右も左もわからなかった平民の彼女とは違う。王族として産まれ、王族として育ってきた。だから姉貴による指導なんて些細な事しかなかった筈なのに、今回もその指導が悪評となりこんな結末を迎えてしまった。


「けれどそうは思われなかったのね」

「おかしいだろ……ルーク殿下が指示したんだから」


 そうだ、ルーク殿下ならそんな噂を聞き入れる必要はないんだ。どんな悪評が届いたって、それは生徒会が決めた指導だと一言返すだけで良かったんだ。


 だけど、そうしなかったのは――。


「まさか、殿下が」


 あの状況は他でもない、ルーク=フォン=ハウンゼンが望んでいたんじゃないか?


 そう気付いた瞬間、教室を飛び出そうとした。だが姉貴の腕が俺を掴んで、前に進ませようとしなかった。


「待ちなさい」


 姉貴は少しだけ考えたような顔をして、それから諦めたような表情を浮かべて。


「少し……話さないかしら?」


 微笑みながら、そんな提案をしてくれた。







 応接間のソファーに腰を下ろし、姉貴とまっすぐに向かい合う。姉貴は紅茶を淹れてくれたが、少なくとも今は口をつける気分にはならなかった。


「初めに言っておくわ。今回の件は……全員納得しているわ」

「全員って」

「私とルーク殿下、それにミリアの三人よ」

「何で」


 紅茶を一口啜ってから、姉貴はゆっくりと言葉を続けた。


「それが国にとって……アスフェリアにとっての利益になるからよ」

「どこが」


 姉貴を、アズールライト公爵家の令嬢との婚約を破棄する事が国の利益になるなんてあり得ない。かつてその家名を背負っていた人間としてそう思えるはずもなかった。


「まず今の状況だけれど……エルディニアとアスフェリア、それぞれに一人づつ聖女がいるわ。勿論私とミリア王女殿下の事ね」


 その言葉に躊躇いながらも頷く。二人の聖女――そう、この世界には聖女が二人しかいないのだ。


 俺が姉貴に連れられた『祈りの間』で見た聖女の日記は三冊だ。蒼、緑、そして赤。一人足りない……だけど今はその違和感を追求する気にはなれなかった。


「そしてアスフェリアは二人の聖女を自分の手元に置いておきたい。さらに言えば小国のエルディニアに聖女がいるという状況も面白くはない……だから方法は一つ。ミリア王女殿下を王子と結婚させる事よ」

「それならダンテでも」

「ダンテにとっては良いでしょうね。けれどルーク殿下とその派閥にとっては最悪よ、後継者争いが泥沼になるんですもの……国を二分したっておかしくはないわ」


 姉貴の説明に悔しいが納得してしまう。平民ではない王女としてのミリアとダンテが婚約してしまえば、それは驚異足りうるのだから。


「そして私はアスフェリアの貴族、殿下に捨てられたところで国外に行くわけじゃないわ。だから私と婚約破棄して、ほとぼりが冷めてからミリア王女殿下と婚約する……これでアスフェリアは二人の聖女を手に入れられるわ」


 結論を言い終えた姉貴は、もう一度紅茶を啜った。語られた事の顛末がわからなかったわけじゃない。だからたった一つの疑問は、怒りは。


「だったら」


 握りしめた拳が机を叩く。ティーカップの揺れる音がやけに耳の奥に残って。


「だったらあんな茶番は必要無かっただろ……!」


 それでも姉貴は眉一つ動かずに言葉を続ける。始めから俺がわかっている結論を、再確認でもするかのように。


「……あなたも王族なら聞いたことあるでしょう? 聖女の持つ力について」

「神託か」


 思えばそれが姉貴の不幸の原因だった。そして今も彼女を呪いのように縛り付けている。


「そうよ。始めからルーク殿下は、ミリアと婚約する事が決まっていたの……私が学園を去る事もね」

「なんで……なんでそんな事をしなくちゃいけないんだよ」

「聖女だから……なんて建前は信じないでしょうね。こう見えても私にも利益があるのよ?」


 微笑みながら姉貴がそんな事を言い出す。それが嘘を誤魔化している事ぐらいわかる。


「婚約破棄されたといえど、私は蒼の聖女……その後の地位が約束されているのよ」

「利益とか地位とか、そんな物……興味ないくせに」


 シャロン=アズールライトという人間を知っている。誰よりも他人に厳しく、それ以上に自分に厳しい。だけどその根底にあるものが優しさだと知っているから。


「貴方が思うよりずっと、私は俗物なのよ」


 二度目の嘘が、俺のためだとわかる。だからこれ以上、俺は何も言えなかった。


「これで私の話は終わり、次は貴方の話を聞く番ね。認定式のあの日……どうしてあんな事をしたのかを」


 避けていた話題を姉貴が切り出す。だけど答えない、答えられる訳はない。支離滅裂な与太話だって事ぐらい、経験してきた俺にもわかっているから。


「それに聞きたいのは私だけじゃないわ」


 姉貴がそう付け加えれば、生徒会室の扉が遠慮がちに開いた。恐る恐る入ってきたのは、あの場に居合わせたもう一人だった。


「やぁアキト……五日ぶり」


 不格好な微笑みを浮かべながら、ぎこちなく手を振るクリス。そんな空元気をさせるぐらいに、追い詰めてしまっていた。そして制服は普段の男子の制服なのに、腰の細剣は提げていなかった。当たり前だ、あんな事があったのだから。


「私が呼んだわ」

「呼ばれちゃった」


 わざとらしい台詞を口にしてから、クリスが俺の隣に腰を下ろす。表情だけは笑っている彼女の顔が辛くて、つい目を逸らしてしまう。


「話なんてしたって」


 何を言えば良いんだ? どこから話せば良いんだ? こんな二度目の人生だなんて気色悪いだけなのに。


 だけどクリスは俺の手をそっと握ってくれた。手の甲に触れた温かさのせいで、泣きそうになってしまう。


「ねぇアキト、僕は……ううん、僕達は」


 顔を上げれば、そこには笑顔のクリスがいて。それからいつものように紅茶を啜る姉貴の顔があったから。


「そんなに信用出来ないかな?」


 信じてみようと思った。


「どこから」


 信じてみたいと思えたから。


「……どこから話せばいいんだろうな」


 長い長い『アキト』の旅路を、零すように語り始めた。

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