SAVE.201:そして世界は狂い始める②
認定式までの毎日はそれなりに忙しさを感じるものだった。いつもは授業が終わればクリスとその辺で遊んで寮に帰るだけの日々だったが、認定式の打ち合わせや準備に大きく時間を割かれてしまった。
そして迎えた当日、俺は前と同じように吹き抜けで会場を見下ろしていた……のではなく。会場である聖堂の目の前で、曲がったタイをクリスに直してもらっていた。ルーク殿下と姉貴の横でそんな事をされるのは気恥ずかしかったが、それでも姉貴に嫌味を言われるよりはマシだろう。
「これでよしっ……うん、やっぱりネクタイはちゃんとした方が良いと思うな」
いつもは開けているシャツの第一ボタンを締めれば、物理的な息苦しさを感じてしまう。
「苦しいだけだろ。それに『ちゃんとしてる』のはそっちもだろ」
俺がそう言えば、クリスはその場でくるっと回る。珍しく着ていたスカートが風に翻って、一瞬だけ太ももが顕になる。腰にはいつもどおりの細剣を携えているのは彼女なりの反抗心なのだろうか。
「流石に公式な場で男子の制服は着れないからね」
彼女の言葉通り、クリスが男子の制服を着ているのはあくまで普段の学園生活の間だけだ。当然だ、何も彼女は自分の性別を偽っている訳ではないのだから。
「似合う?」
女子の制服も嫌いじゃないのか、からかうようにポーズを取るクリス。
「なんで男子の制服着てるか不思議なぐらいだな」
皮肉っぽくそう尋ねれば、クリスはわざとらしく肩を竦めた。この答えがいつものようにはぐらかされるのなんて――どうせわかっていたのだから。
「それは似合っているっと受け取って良いのかな」
そこは否定しないが、気恥ずかしくなって目を背ける。流石にやりすぎてしまったのか、ルーク殿下が静かに咳払いをした。俺とクリスは思わず背筋を伸ばしてしまったが、意外な事に姉貴からの言葉は無かった。
「その……シャロン先輩?」
恐る恐る姉貴の顔色を伺ったが、怒っている様子はどこにもない。むしろ俺達以上に緊張しているように思えた。
「何?」
「何って……顔色が悪いように見えたからさ」
「……あなた達が失敗しないか不安なだけよ」
「良かった、大丈夫そうだ」
ため息交じりの皮肉が返ってきたので、安心して扉と向き合う。
「ほら行くわよ、二人共」
聖堂の鐘が鳴り響けば、重苦しい扉が開かれる。まさか自分がこんな生徒達の視線を浴びせられるなんて、あの吹き抜けで見下ろしていた時は思わなかった。
赤い絨毯が敷かれた道を一歩づつ進んでいく。壇上へと向かうたびに、こんな形だけの儀式の何が楽しいのか生徒達の楽しそうな声が少しづつ耳に届く。
――恥知らずのアズールライト。
足が止まる。振り返ろうとした瞬間、見えないように背中を小さく叩かれる。その言葉が誰に向けたものなのかなんて確かめるまでもない。だって俺はその台詞を一度聞いた事があるのだから。
――史上最低の聖女、王子に取り入る売女。
まただ。またシャロン=アズールライトを批難する声が聞こえる。何でだよ、何でそんな台詞が今この瞬間に聴こえてくるんだよ。違うだろ、あれはもう終わった事だろう?
拳を強く握りしめながら、壇上で生徒達を見下ろした。まだ姉貴を責める言葉は止まない。それを見て生徒達が、この連中が、この世界の人間というものが酷く醜悪な存在に思えた。
瞬間、けたたましいまでの鐘の音が響いた。耳の奥で反響する金属音は不快感だけを引き起こす。そしてもう一度開かれた扉から、ミリアが、ミリア=E=ヴァーミリオンが、あの女が――。
新緑色のドレスに身を包み、知らない誰かを引き連れてゆっくりと進んでいく。
一歩。進む度に心臓の鼓動が早くなる。一歩。頼むから来ないでくれ、頼むから止まってくれ。そんな事を願っても、誰かが聞き入れてくれる訳がない。
ミリアが壇上へと上り、ルーク殿下の前へ立つと恭しく頭を提げた。それを見た殿下はゆっくりと頷き、隣に立つ姉貴に視線を送った。やめてくれ、もう俺に見せないでくれ。あの過去をあの地獄を繰り返したくなんてないんだ。
「それでは、翠の聖女ミリアの認定式に先んじて」
会場がざわめく。驚きや息を飲む声の中に、卑下た笑いを混じえながら。
それからルーク殿下はゆっくりと息を吸い、姉貴に向かって右手を伸ばした。その仕草は王の号令そのもので、事の重大さを聴衆に理解させるには十分だった。
違うだろ、もう終わった事だっただろう。何でこうなるんだよ、何で繰り返されるんだよ。
それでも殿下が紡ぐ言葉は、俺の知っていたそれと同じで――。
「蒼の聖女、シャロン=アズールライトの断罪を始める!」
事態は淡々と進んでいく。このどうしようもない現実の結末を俺はもう知っているから。
頼むから、お願いだから。こんな世界を避けるためなら、また道化だろうが演じるから。血まみれになっても、短剣で胸を貫いたっていいから。
やり直させてくれよ。
歪んでしまった、俺が望んでなんかいない。
――この狂った世界を、もう一度。
◆
「どうしてなんだよ……!」
認定式を終えた俺は、生徒達のいなくなった聖堂でクリスに詰め寄っていた。なぜ、どうして。延々とその言葉だけが頭の中を巡っていた。
なぜ姉貴がこんな目に遭うのか。どうしてこんな現実を迎えてしまったのか。だけどそんな事はもうどうでもいいんだ。俺が知りたいことはたった一つ。
なぜクリスはやり直してくれないんだ、と。
「アキト、今回の事は」
「なぁ、クリスなんだろ?」
クリスの両肩を掴み詰め寄る。
「ずっとやり直して来たのは、俺じゃなくてクリスなんだろ!?」
俺が今までロードしていたのは、自分が特別だったおかげじゃない。前世の記憶も関係ない――クリスだけがその力を持っていたんだ。
「だからさ、やり直させてくれよ」
俺に残された選択肢は情けなくもクリスに縋る事だけだ。項垂れながら必死に懇願する事しか、今の俺には出来やしない。どれだけの覚悟があったところで、その機会すら無いんだ。
「すまない、アキト」
だけどクリスが首は縦に振らない、振れる筈なんてない。
「君が何を言いたいのか……僕にはわからないんだ」
――クリスティア=フォン=ハウンゼンは記憶喪失なのだから。
俺のように記憶を引き継いでいたとしても、既に失われてしまった。そしてその可能性すらも、俺の希望でしかない。
「……だよな」
彼女の腰に下げられた細剣に自然と目が奪われる。人を殺すための武器が、今は唯一の方法に見えたから。
「アキト、何を」
クリスを突き飛ばし、尻餅をつかせる。そのまま腰の剣を引き抜いて、自分の首筋へと当てた。
「こうすれば」
焦りも不安も今は無かった。そうだ、クリスなら俺を助けてくれるのだから。
だって俺は何度も死んで、何度もやり直してここまで来たのだから。その度にクリスが助けてくれたんだろう、俺を救ってくれたんだろう?
だから。
「こうすればやり直してくれるんだよな……?」
深く刃を当てれば、血が流れ出るのがわかる。でもいいんだ、これでいいんだ。
だって俺が死ねば、もう一度やり直せるのだから。
「アキト殿下」
かつては聞き慣れたその声に、余計な呼称がついた呼び声に、思わず振り返ってしまう。そこにいたのは姉さんで――。
頬を叩かれた。
呆気に取られたせいで、剣をその場に落としてしまう。乾いた音が響いた瞬間、胸ぐらを姉さんに掴まれる。
「何をしているのよ、貴方は!」
「何って、死んでやり直そうと」
「出来るわけないでしょう、そんな事が!」
……何を言ってるんだろう、この人は。
だって出来たじゃないか、ずっとそうやって来たじゃないか。だから俺はここにいて、だから今死のうとして。
だったらこの剣を使って、さっさと死んでしまわないと。
「アキト!」
剣を拾い上げる前に、クリスに奪われてしまった。駄目だろう、それを取ったら。だって俺はクリスの目の前で死なないといけないんだから。
「なぁクリス……それを貸してくれよ」
右手を差し出しながらクリスに頼む。だけど彼女は剣を抱きしめ、首を横に振るだけだ。
「じゃないと俺は」
変わらない。俺がやるべき事は、やらなきゃいけない事は、ずっと。
「姉さんを、救えないじゃないか」
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