SAVE.200:歪な再会の果てに②
俺がこの世界に来て――少年時代からやり直して――もう五日が経っていた。だけどクリスとは会えないどころか、まだヴァーミリオン家の別荘に留まっている。
その間俺は、何もしなかった。本当に何も出来なかった。ただ目の前の現実を受け入れるのが精一杯で、一日の殆どをベットの上で過ごしていた。いつもなら……俺がアキト=アズールライトであれば姉貴に批難されている所だったが、幸いなことに王太子という立場はそれが許される物だった。
「アキト殿下、よろしいですか?」
俺の世話をしてくれる執事……長年ヴァーミリオン家に仕えていた壮年の家令であるジョージが、断りもなしに部屋へと入ってきた。
「普通はよろしいですって言われてから入るんじゃないのか?」
「聡明なアキト殿下なら許可を頂けると」
しれっと答えるジョージの対応に思わずため息を漏らしてしまった。聡明なという単語がここ数日の生活態度に対する皮肉な事ぐらいわかっていたからだ。
「……それで、何の用だよ」
「良い知らせと悪い知らせがございます。どちらからお聞きになりますか?」
彼と過ごしたのはたったの五日だったが、それでも性格は把握出来た。仕事は完璧で家令としての能力に申し分はないが、茶目っ気が玉に瑕の壮年……それがジョージという人間だ。
「悪い知らせから頼む」
だから本当に悪い知らせであれば、こういう物言いはしないだろうという目論見があった。
「妹君がこちらへ向かっております。ここ数日アキト殿下の具合が悪いと知らせたところ、いても経っても居なかったようですね」
「妹? 俺に」
妹との記憶は俺には無かった。あの庭園でクリスと出会っていた事を思い出せても、それ以上記憶を辿る事は出来なかった。
「……いたんだろうな」
だから今はジョージの話を信用するしか無かった。王家の家令だというなら少なくとも俺に悪意をもって嘘を伝える人間には思えないという打算もある。
「妹が来たら悪い知らせなのか?」
「それはもう、ミリア様はアキト殿下が大好きでございますので……一晩中泣いて離さないでしょうね。ですので殿下にとっては悪い知らせかと」
「それぐらい」
何だその程度かと安堵する。これぐらいの年齢であれば妹が兄に甘えるのは珍しい事ではないだろう。例えそれがミリアであっても――。
「……ミリア?」
あのミリアの姿が頭を過った。冗談でそんな事を言った覚えがあったが、本当にあのミリアが俺の妹だとでも言うのだろうか。
「ええ、ミリア様です。まさか双子の妹の名前を忘れたとは言いませんよね?」
名前が偶然一致している、という可能性もある。だがそれを判断するだけの材料は今の俺にはないので、さっさと話を進める事にした。
「……それで、良い知らせは?」
俺が答えなかった事が不満だったのか、ジョージはわざとらしい咳払いをして。
「クリスティア様が見つかりました」
本当に良い知らせを教えてくれた。
「どこで!」
思わずベッドから起き上がりジョージに詰め寄る。
「その反応、ミリア様が見れば嫉妬間違いないでしょうね」
「そういうのは後にしてくれ」
今は冗談に付き合ってる場合じゃない。それを察してくれたのかジョージはすぐに態度を改めてくれた。
「失礼しました。オブライエン男爵家が街道沿いで赤毛の少女を保護したそうです」
「オブライエン……」
その名前が偶然だとは思えなかった。だが今は自分で言った通り、そういうのは後回しだ。
「ここから近いのか?」
「ええ、馬車ですぐです」
「出してくれ」
そう命じながら俺はすぐに着替えを始めた。ジョージは黙って頭を下げるとそのまま部屋を後にする。
クリスがいた、クリスに会える。それだけで心臓の鼓動が早くなる。妹の名前がミリアだという事も、俺が知らない国の王太子だという事も、今だけは――本当にどうでもよかったんだ。
◆
ジョージの言葉通り、オブライエン家の屋敷はすぐに到着した。突然の、それも隣国の王太子という非常識極まる来客にも関わらず屋敷の人達は快く応対をしてくれて、すぐに主人の待つ客間へと通してくれた。
「いやはや、まさかアキト殿下がいらっしゃるとは……」
額の汗をハンカチで拭いながら、オブライエン男爵がそんな言葉を漏らした。初めて見たオブライエン男爵――つまりクリス=オブライエンの義父――は、中年と若者の間ぐらいの年齢で、服の上からでも鍛えている事がわかる顔立ちの整った男だった。
「こちらこそ急な来訪にも関わらず対応頂き、感謝いたします」
用意された茶に手を付けるより早く、男爵に深々と頭を下げる。その対応が間違いだったのか、目を丸くする男爵と咳払いをするジョージ。
「……頭を下げるのは私の役目ですよ」
それからジョージが小声でそんな言葉を漏らした。王族が軽々しく頭を下げるなという意味な事ぐらいすぐに解ったが、それでも今は自分の頭よりも重い物があった。
「それで、クリスの様子は」
本題を切り出せば、男爵はゆっくりと目頭を押さえる。
「その、あの子は……クリスティア様なのでしょうか」
男爵の表情にあるのは、心配や安堵といった類のものではない。有り体に言えば彼は、どうしようもないくらいに困惑していた。
「それは、どういう」
「伺った特徴から察するに、御本人で間違いないとは思います」
「ああ良かった、安心しました……まさか街道で倒れていた少女が王女様だとは夢にも」
俺の言葉を遮ったジョージの発言を聞くなり、男爵は胸を撫で下ろす。何の話だとジョージに視線を向ければ、彼はそっと耳打ちをしてくれた。
「クリスティア王女が居なくなってすぐに、オブライエン男爵には赤毛の少女を探すよう頼んでいたのです。勿論王女殿下御本人であることは伏せていましたが」
その言葉に納得する。つまり男爵は保護した少女が誰なのか確信が持てなかった、という訳だ。
――いや、それはおかしいだろう。そんなもの本人に聞けば済む話だ。クリスには何か、自分の素性を話せない状況にあるんじゃないのか?
「旦那様、クリス様のご準備が整いました」
そんな疑問をかき消すかのように、扉越しにメイドの声が聞こえてきた。男爵はジョージと目配せをしてから、静かに頷き声を上げる。
「ああ、通してくれ」
ゆっくりと扉が開かれる。軋む扉の音と心臓の鼓動が、余計に時間以上の長さを感じさせた。
「失礼、します」
それからメイドに支えられながら、か細い声を上げる少女が姿を表した。
「――ぁ」
間抜けな声が口の端から漏れる。だってそこにいたのは、俺の知っているクリスだったのだから。
幼くても見間違うはずはない。あの庭園で手を引いたことを覚えている。学園で過ごした時間を、共に悪巧みをした事を、一緒に街を歩いた事を、全部、全部覚えているから。
「クリス!」
彼女の名前を叫んで彼女に駆け寄り、その小さな手を握りしめる。まだ幼いままの指先から伝わる体温が、彼女がここにいる事を教えてくれた。
「良かった、君が無事で、本当に……」
漏れた声のせいで、自分が情けなくも泣いている事に気付いた。
会えなかったのは、そんなに長い時間じゃない。あの倉庫でのひと悶着から今日まで、両手で足りる程度の日数しか経っていない。
だけど二度と会えないかもしれないという不安が、それを永遠だと感じさせて。どうしてやり直したのかなんて知らない。何で俺がここにいるのかなんて、納得出来た訳じゃない。
それでもここには俺がいて、目の前にはクリスがいて。
それだけで良かったんだ。
「あの、貴方は」
「俺はアキト=アぁ……っと、アキト=E=ヴァーミリオン。エルディニア国の王子で、その、まぁ……君の婚約者でって、いきなり言われても困るよな?」
「その、あたしは」
困惑するクリスを見て、自分がまくし立てていた事に気付く。だけど自分が何を言いたいのか、それとも何を言うべきなのか。わからないまま迷っていると、男爵に肩を叩かれる。
「その、アキト殿下……彼女は」
何かを言い淀む男爵だったが、意外にもそれを止めたのはクリスだった。
「……あたしは、その」
クリスは目を伏せながら、何度も躊躇いながら口を動かす。だけど覚悟を決めたかのように、まっすぐと俺を見据えて。
苦しそうに、笑った。
「記憶が無いんです」
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