SAVE.200:歪な再会の果てに①

「……クリス!」


 叫んだ瞬間、周囲の空気が静まり返る。俺を取り囲んでいた大人達が、一斉に驚きの混じった視線を向けている。


 大人達――質のいい衣服に身を包み、俺を見下ろす貴族達。


 その光景には違和感があった。俺は立っているはずなのに、女性から見下される筈はない。それに今の叫び声だって、自分の声とは別物で。


 思わず喉に手を当てる。だが驚いたのは喉がおかしかったからじゃない。首元に触れた手が、指が、あまりに小さかったせいだ。


「なんだよ、これ」


 思わず自分の両手を返しながら、そんな言葉を呟いていた。それに袖を通していた白い上着も見覚えのないもので。


「いやはや、殿下もお耳が早いですな。驚かせようと秘密にしていた婚約者の名前を既にご存知だったとは」


 執事の服装に身を包んだ初老の男性がわざとらしくそんな台詞を吐けば、固まっていた場の空気が一気に解れる。


「殿下、って誰が」


 疑問が自然と口から漏れていた。だが殿下と呼ぶべき人間は、ルーク殿下もダンテの姿も見当たらない。


「おまけに冗談もお上手なようで」


 執事の一言で大人達が笑い声を上げた。それがこの場を取り繕うための物だとはすぐにわかった。だが肝心の話の内容が全くもって理解できない。


 いや、話の内容だけじゃない。ここはどこだ、どうして俺の手は小さいんだ? そしてなにより、クリスは今どこに――。


「誰とはまたおかしな事をおっしゃりますな。今日はささやかな集まりではありますが、王族としての公務である事はお伝えしましたね?」


 確かな事と言えば、せいぜい自分の名前ぐらいだ。


 そう、俺の名前は。




「エルディニア王国王太子……アキト=E=ヴァーミリオン殿下」




 アキト=アズールライトだ。







 貴族達が雑談に興じる中庭から少し離れた木陰で、俺は老執事に寝かされていた。額には脂汗が滲み、言いようのない頭痛が続いている。目頭を押さえながら、現状を整理する。


 まずは身分。老執事が言ったように、俺はエルディニア王国王太子という立場らしい。だがそんな名前の国は聞いたことがない。あるとすればアスフェリアの東側にあるエルディニア地方ぐらいだろうか。


 次に場所。今俺がいるのは、アスフェリア王国東端にあるヴァーミリオン家の別荘という事らしい。大使館としての役割も兼ねているらしく、公務だという執事の言葉とも矛盾してはいない。


 最後に時間。老執事から聞いた所、俺は今六歳……つまり十一年前という訳だ。




 俺の身に何が起きたのか、考えられるのは二つだ。


 一つは、あの認定式の時のように、別の世界でアキト=アズールライトの記憶を思い出した、という事だ。だがこれは違うだろう……ここは今までいた世界とあまりに似ているのだから。


 だから、二つ目。俺は今までと同じように、ロードしてやり直したという事だ。つまりこの場所は本当に俺の過去、という訳だ。


 馬鹿げている話だとは思う。だが孤児になる前の記憶が定かではなかった事と辻褄が合ってしまう。読み書きや計算が出来た事も、様々な本を難なく読めていた事も、事前に教育を受けていたからと考えるとおかしな話ではない。


 仮にここを、俺の過去だと仮定する。その原因があの最後の『ロード』だというのは解っている。だが俺は死んだ訳でも、今まで死に戻りした事を誰かに喋った訳でもない。いいやそもそも、俺は勘違いをしていた。




 ――俺は始めから、『ロード』なんて出来なかったんだ。




 思えば俺がやり直していた時は、いつも隣に彼女がいた。聖堂の吹き抜けから落ちた時も、姉貴の死体を見つけた時も……やり直していたのは俺じゃない、クリスだ。


 そう、クリスが、何度も。


「そうだ、クリスは」


 起き上がれば、側に立っていた執事に体を支えられる。もっとも俺の顔を見た瞬間、盛大なため息を漏らしていたが。


「全く、クリスティア様との婚約をどこでお知りになったんでしょうね」


 婚約、という言葉が引っかかる。


「クリスティアと婚約って……どういう事だ?」

「おや、知っていた訳ではないんですか?」


 ゆっくりと首を横に振る。自分がどこの誰かも怪しいくせに、そんな事情を知っている訳ない。


「……有り体に言えば政略結婚というだけの話ですがね」

「エルディニアの王太子と、そのクリスティア様がか?」


 クリスがクリスティアと同一人物だというなら、わからない事がある。オブライエン家の家格が別の国の王族と釣り合うようには思えないからだ。


「ええ、アスフェリア王国の王女であるクリスティア=フォン=ハウンゼン様です」

「王女って何かの冗談」


 ――瞬間、ひどい目眩と頭痛に襲われる。


 違うだろう、俺はそれが冗談じゃないって、ずっと前から知っていただろう。だって俺はこの場所で、彼女と出会っていたのだから。







 気がつけば俺は走り出していた。体が小さいせいで足取りは覚束なくて、喉を通る呼吸が焼けるように熱い。どうして忘れていたのだろうか、どうして覚えていなかったのだろうか。 


 この場所を覚えている。色とりどりの花が咲き乱れるこの庭園を。


 この体を覚えている。確かに彼女に差し出した、この小さな手のひらを。




 覚えているんだ。覚えている筈なんだ。この角を曲がった先に、確かに君がいた事を。


 聞きたいことが沢山あって、伝えたいことはたった一つで。


「いるんだろ、ここに」


 だけど、彼女は見当たらない。返事なんてどこにも無くて。 


「……答えてくれよ」


 走って、走って、走り回って。ここにいる筈の彼女を探して、どれだけ庭園を探し回っても。


 彼女は、クリスは、クリスティア=フォン=ハウンゼンはどこにも居ない。




 居なかったんだ、どこにも。

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