SAVE.105-1:乙女ゲーム世界のセーブ&ロード②

「幸いミリアの失踪に気付いてる人は少ない……出来るだけ早く決着をつけたいね」


 耳の奥に響いたのは、落ち着いた殿下の言葉だった。


「……アキト君?」


 名前を呼ばれ自分の額に脂汗が浮かんでいた事に気付く。周りを見回せば、俺は殿下の私室にいた。


「ああ、いえ……すいません」


 謝罪の言葉を口にすれば、姉貴のため息が聞こえてきた。


「散々寝ておいて貴方はまだ眠いのかしら?」


 姉の文句に返すべき言葉もない。そう、今は緊急事態だ。失踪したミリアの行き先を突き止める方が先だ……それなのに、寝ていた? あり得ないだろう、そんな事は。


「じゃあ手分けして」

「あの、殿下」


 殿下が立ち上がろうとした矢先に、それを止めたのはクリスだった。


「街中の探索は僕とダンテ殿下が担当します。だから、アキトは大聖堂へ」


 いや、何を突然言い出すんだクリスは。俺が大聖堂の探索なんてどう考えても不向きだろうに。


「なぁクリ」

「大丈夫」


 名前を言い終える前に、彼女の言葉に遮られる。その眼差しが真剣そのものだったせいで、言いかけた文句はどこかへ消えた。


「君なら何か名案を思いつくさ。ほら、あの時みたいにね」


 あの時。それは多分、聖女の認定式の前にあった一悶着の事だろう。あれが名案等と担ぎ上げられるのは、何か違うような気がする。そもそもあれはクリスの発案だったような……。


「まぁ……やってみるよ」


 けれどせめて彼女の前では、一応の格好をつけておきたかった。

 






 教会。そう呼ぶべき建物は王都に山という程ある。方や貧民街に、方や貴族街のど真ん中に。だが今回に限って言えば、街の外れにある聖光教会の総本山レティシア大聖堂においてほか無かった。


 管理の行き届いた人工の自然に囲まれた、二つの尖塔が特徴の建物だ。その大きさと絢爛さは王城にさえ引けを取らない。


 その巨大な――教会の権力を示すかのような大聖堂を見上げながら俺は大きく肩を落とした。


「それで、何か名案は思い付いたかい?」


 殿下がからかうような笑顔を浮かべながら、そんな事を尋ねてきた。馬車に揺られる間、俺がさんざん思い悩んでいたのを知っているくせに。


「一応、もしかしたらって事が……調べられたらの話ですけど」


 ミリアが行きそうな場所の心当たりなんて、当然俺にはない。だがミリアがどういう基準で行動しているか、というのは知っている。そう、以前殿下の言っていた『神託』だ。もしその神託が俺の思った通りの物なら、少しぐらい役に立つ筈だ。


「なるほど。なら君が自由に調査できるよう頑張ろうかな」

「アキト、言っておくけれど」


 満足そうに頷く殿下をよそに、姉貴の棘のある言葉が飛んでくる。


「わかってるって、姉貴には迷惑かけないし、家の名前にも傷はつけないよ」


 だが流石に姉貴とも長い付き合いだ、何を言いたいかぐらいは理解している。だから先手を打って続くであろう言葉を返したのだが。


「わかっていても、行動にしないと意味ないわよ」


 ため息交じりの返事には不安の色が隠れていた。


「それは、まぁ……善処します」


 それを払拭できる程品行方正ではない俺は、もう一度肩を落として精一杯の言葉を返す事しか出来なかった。







「いやはや、ルーク殿下とシャロン様ではありませんか」


 大聖堂の扉を開けるなり、恰幅のいい聖職者が俺達を出迎えてくれた。その剥げた頭は教会の威光を示すが如く光り輝いており、身に包む衣装はお布施の使い道を示すが如く高級な生地で織られている。おおかた窓の外から俺達の乗る馬車でも見えたのだろう、随分と準備のよろしい事で。


「……もう一人いるのだけれど?」


 満面の笑みの聖職者とは裏腹に、殿下は不満そうな態度を何一つ隠そうともしない。まぁ王子と聖女と並び立つには地味だからな、俺は。


「アキト=アズールライトです」


 一歩前へと踏み出して、ゆっくりと右手を差し出す。 


「これはこれは……お噂はかねがね」


 が、返ってきたのは随分と堂に入った、祈りにも似たお辞儀だった。なるほど、これが文化の違いという奴か。どんな噂を耳にしているか、というのはきっと知らないほうが良いだろう。


「それで、本日はどういったご要件で?」

「なに、彼に聖光教会がどういうものか改めて学んでもらおうと思ってね」

「はぁ、左様ですか……」


 怪訝な顔で俺の顔を見つめる聖職者。それはそうだ、何せ当の俺もそんな予定は今知らされたばかりなのだから。しかし俺に何を学ばせるっていうんだ殿下は。


「なにせ彼は将来の内務大臣だ。君達だって顔を覚えて貰ったほうが得だろう?」


 ――え? 


「内務っ」


 のけぞる聖職者、


「大臣っ」


 倒れそうになる姉貴。


「おや、僕の未来の義弟なら現実的な役職だと思うけど?」


 そう言われると本当にそうなんじゃないかという気がしてくるから恐ろしい。俺の肩には随分と重い気がするが……冗談ですよね? 


「でっ、では僭越ながらわたくしめが案内を……」

「いや、必要ないよ。何せ蒼の聖女様が直々に案内を買って出たからね」


 もう一度深々と頭を下げる聖職者を、冷たく袖にする殿下。


「ですが……」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、俺に疑いの眼差しを向けてくる聖職者。まぁいきなり身内を連れて来て好きに建物を歩き回らせろ、と言われれば当然の反応か。


「それに……ちょうど相談したい話もあるからね」


 殿下は自分の上着の内側を、指先で数度叩いた。その瞬間、聖職者の顔が一瞬で明るくなる。


 敬虔なる聖光の信徒の顔が思わず綻ぶ話題……そう、金だ。


「ええ、我々に協力できるのであれば」

「話が早くて助かるよ」


 それでようやく、殿下の行動の意図がわかった。


 ここで改めて、この聖職者の立場で物を考えてみる。まずミリアを王室に送り込むという作戦は失敗に終わっている。だから次の彼らの課題はどうやって王族に取り入るか、だ。


 そこに王子様が未来の妻と、余り評判のよろしくない元孤児の義理の弟を連れてやって来た。そんな弟を『未来の内務大臣』などと言い張り、すぐに献金の話を持ちかける。とくれば、彼はこう思うに違いない。


 ――ああ、この馬鹿そうな義弟を要職に就かせるための後ろ盾を買いに来たのか、ならばこちらの言い値で恩と抱き合わせで売ってやろうじゃないか、と。


「それではシャロン様、アキト様。心ゆくまでお過ごし下さい」


 という訳で俺達は売り物のオマケとして、大聖堂探り放題の権利を手に入れましたとさ。







「はぁ……貴方が内務大臣に就任したら、いよいよこの国も終わりね」


 盛大なため息を漏らしながら、姉貴がそんな事を言いだした。


「いや、流石にあれは方便だろ」

「だといいけれど」


 当然の反論をするものの、どうやら姉貴はいまいち信じてくれないらしい。大体後ろ盾はともかくとして、俺には要職に就けるだけの能力も実績なんてある訳が無い――あれ、もしかして俺の案でこの件を解決したら実績になるのか? 


 殿下、本当に方便なんですかね……いやこれ以上考えるのはやめておこうか。


 なんて事を考えながら、姉貴と並んで大聖堂の中を進んでいく。先程の聖職者の煮え切らなかった態度とは裏腹に、すれ違う人達は皆姉貴に対して好意的な態度を示してくれた。


 こんな所で聖女様と出会えるなんて、日々の平和も聖女様のおかげです、聖女様握手して下さい。


 いや、やっぱり教会の人間も握手するんじゃないか。


「しかしまぁ、聖女様か」

「……貴方にそう言われると、何か含みを感じるのだけれど」


 思わず俺が漏らした感想に、姉貴の非難混じりの言葉と視線が返ってくる。


「いや、何ていうかさ……やっぱり聖女ってのは特別なんだなって」


 教会の本拠地であるこの場所で、改めて聖女という存在の重さを実感する。もちろん学園内でも姉貴は尊敬の眼差しを向けられているが、ことこの場所では畏敬という言葉が自然と頭を過ってしまう。


「当然よ、立場で言えば先程の司教より上になんだから」

「そうだったのか……なら、わざわざ許可を貰わなくても良かったんじゃないの?」

「向こうにだって面子も縄張りもあるでしょう? 相手の顔を立てたのよ」


 なるほど、そういうところは貴族社会と一緒だな。


「本当にこの愚弟は……これぐらい常識でしょうに。これだと内務大臣以前どころか宮仕えさえ怪しいわね」

「どっちもやる気はないよ」

「ええそうね、あなたにはアズールライト家次期当主という大仕事が待っているものね」


 それも冗談だよな、姉貴……とは聞き返さずに、黙って後ろをついていく。


「一応書庫に向かっているのだけど……何を調べるつもりなの?」

「ああ、神託について知りたいんだ」


 立ち止まり、姉貴が振り返る。それから俺を一睨みして一歩だけ前へ詰め寄る。


「貴方、それをどこで」


 間抜けな俺は、そういえば聖女が未来を見えるというのは秘密だったなと今になって思い出した。また姉貴に説教されるのかと諦めかけたが、意外なことに返ってきたのは一際深い溜息だった。


「殿下の入れ知恵ね……そんなことまで教えているなんて、貴方には随分と甘いようね」


 心の中で殿下に小さく謝罪する。やはり腹芸すらまともに出来ない俺に内務大臣は無理があることも付け加えて。


「ああ、ミリアが受けたっていう神託の内容がわかれば、行き先もわかるんじゃないかなって」

「そんな事は……」


 呆れたように姉貴が両手を広げる。


「有り得るわね」


 顎に手を当て直して、姉貴が小さく頷く。あるのかよ、もう心臓に悪いな。


「わかったわよ、ついてきなさい」


 踵を返し、書庫とは違う場所へと向かう姉貴。


「……これじゃあ殿下の事は言えないじゃない」


 途中漏らしたその言葉を、俺は聞かなかった事にした。問い詰めれば姉貴が拗ねる事ぐらい、流石の俺でもわかっているから。

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