SAVE.105-1:乙女ゲーム世界のセーブ&ロード③
案内されたのは大聖堂の隅にある、鍵のかかった小さな部屋だった。建物の豪華さとは裏腹に壁と床が真っ白に塗装されているだけの質素な部屋だ。他にあるものといえば小さな机と椅子、それから聖女を象ったステンドグラスが嵌められた小さな天窓ぐらいだろう。
「ここは……」
独房にも似た小さな部屋。それなのにここは大聖堂そのものよりも、教会が崇めているものを感じさせた。
「祈りの間、なんて名前が付いてるわね」
「……ここで祈って神託を授かる、とか?」
「かつてはそういう聖女もいたけれど……そうね、敢えて言うなら執筆部屋かしら。聖女が受けた神託を書き記すための場所よ」
「その割には書くための道具が」
全てを言い終わる前に、姉が一枚の床板を持ち上げた。ちょうど蓋のようになっており、中からはまた新しい箱が姿を現した。
「なるほど」
無言で姉貴が箱を開ければ、そこにはインク壷と羽ペン、それから三冊の本があった。赤、緑、青。どれがミリアの物かなんて、想像に難くない。
「もっと厳重に保存されてるかと思ってたな」
「難しいところね。確かに厳重にするべきだけど……神託は公に存在しない物でしょう? これぐらいが落とし所なのでしょうね」
姉貴が顎で指したので、俺は黙って三冊の本を拾い上げる。
「それに、この部屋だって十分厳重なのよ? この鍵が無いと入れないんだから」
ポケットから取り出した小さな錫の鍵を姉貴は俺に手渡した。一見すると納屋の鍵にすら思える程の簡素なものだったが、鍵山の形状は随分と複雑なものになっていた。偽造するとしたら大変な労力が必要だと素人の俺でもわかる。
「という事は……俺がここにいるのは大問題?」
「まぁ教会の人間に見つかれば遺体は残らないでしょうね」
信徒の方々による天国行きの送迎付きだなんて、中々よろしくない事態のようだ。
「バレたら死ぬのは確定か……なら、さっさと中身を確かめないとな」
というわけで手早く確認しようと、とりあえず青い本に手を伸ばそうとする。
「痛っ」
が、伸ばした手は姉貴に叩かれてしまった。
「青いのは駄目よ。緑にしなさい」
「緑はミリアのだろ」
「だから読むんでしょ」
まぁそうだけどさ。
「内容は?」
「大体同じよ、違ったら神託の意味は無いでしょう?」
「だったら姉貴の本で良いんじゃないか?」
「……違うところもあるのよ」
というわけで、気を取り直して緑の本の中身を開いた。一ページ目、学園に入学する事について書いてある。二ページ目、姉貴に苛めらましたとさ。三ページ目婚約破棄、四ページ目は中庭でのお茶会で。
「ああ、やっぱり」
書かれている内容全てに、俺は覚えがあった。神託が現実になったからじゃない、知っていた内容の名前が神託だったというだけだ。
「神託って、つまり」
聖女は未来が見えるとルーク殿下は言っていた。それなのにミリアは殿下の顰蹙を買い、いまや俺達に追われる身だ。
だから神託は――本当の意味での未来を指している訳ではない。
「ルーク殿下のルートの事なのか」
決定的だったのはミリアが白いドレスを着てきた事だろう。あれが許されているのは唯一、ミリアがルーク殿下と結ばれるルートだけだ。ミリアは現実もそうなると信じて行動していたのだろう。いや彼女だけじゃない、神託の未来に近づくように行動していたのはもう一人いるじゃないか。
「ルートって何の事よ」
「ああいや……こっちの話」
姉貴の質問をはぐらかし、さらに読み進めていく。だが結末までは書かれていない、行軍演習の夜の話で止まっていた。
「ここで終わりか」
「まぁ、ここから先を書き記す時間はなかったのでしょうね」
本を閉じ、考える。現実は神託とは違う……それは当然わかっている。だが、全く違うという訳でもない。言うなればそう、配役が変わったような印象だ。翠と青が、主役と悪役令嬢が。
だったらルーク殿下のルートで姉貴がいた場所こそが、ミリアの居る場所なのだろう。だがそれは推測でしかない。確証が欲しい、もう一人の聖女から。
「なぁ姉貴、答えたくないなら良いんだけどさ……」
「何よ、はっきり言いなさい」
姉貴の目が真っ直ぐと俺を見つめてくる。そうだな、もうはぐらかすのも嘘を付くのは止そう。危険を犯しこんな所まで連れて来てくれたこの人に――俺に居場所をくれた大事な人に――あまりにも不義理じゃないか。
「姉貴の受けた『神託』って奴だと……もしかして、俺達は姉貴を探しているはずだったんじゃないか? ミリアじゃなくてさ」
「……ええ、そうよ」
「反王家の貴族を従えクーデター、か。アズールライト家が死んでもやらなさそうな事だな」
「……本当にね」
その言葉に姉貴はゆっくりと頷いた。これで俺は、何故か聖女様の神託の内容を知っている変な男に成り下がった訳だが……それでいい。俺がアキト=アズールライトであり、彼女の弟であることに代わりはないのだから。
それに、あの不可解な自殺の謎だって解けた。姉貴は聖女だからこそ、自分が退場するという未来を躊躇なく選べたのだろう。そして自分が消えればルーク殿下は翠の聖女であるミリアを妻に迎えるしかなくなる。過程の変更はあっても、結末は守られる。それが姉貴にとっての最善だったんだ。
「それ、片しておいてよね。その口ぶりだとミリアの居場所の目星は付いたのでしょう?」
「ああ、そっちもね」
街のはずれにある教会所有の倉庫の一つにミリアがいる。あとは向かうだけ……なのだが。
「赤い本、か」
一つだけ気になったのは、ここには三冊の本があるという事だ。緑はミリア、青は姉貴。そして最後の一冊の持ち主は。
「姉貴、赤い聖女って……誰か知ってる?」
そういえば知らなかったな、と思い出す。ゲームでも明かされていなかったんだよな。
「何よ、神託の存在は知っているくせにそれは知らないのね……私が答える訳にはいかないわ、特に鈍い愚弟にはね」
含みのある物言いをする姉貴だったが、今の優先事項はそこじゃない。が、つい好奇心に負けてしまい、そのページを俺は開いた。
「……何だよ、これ」
思わず口に出た言葉だったが、それは本の内容を端的に表していた。
無数の言葉があった。その上に無数の文字が綴られて、塗りつぶされて、ただ黒いだけのページが延々と続いている。辛うじて読めた文字は、決まってこう記されている。
『すまない』
誰が、何に? わからない、俺には何も。
「ほら、さっさと行くわよ」
姉貴に急かされ、大急ぎで本と床板を元の場所に戻す。それから一つ背伸びをすれば、自然と冗談が口をついた。
「ああ、姉貴が畏れ多くも国家転覆を企む予定だった場所だ」
「……どうやら私達、話し合いをする必要があるみたいね。議題はそうね、あなたのその口の利き方とか」
「姉貴と二人きりは辛いかな……」
「何よ、何の不満があるのよ」
口を尖らせる姉貴だったが、俺としては懇々と説教されるというイベントは回避したい。もう少しで肩の荷が下りるというのだ、折角なら楽しいやつがいいじゃないか。例えば、そうだな。
「あー……みんなで話し合うってのはどうかな。殿下とかダンテとか、クリスも呼んでさ」
俺がそう答えれば、姉貴は俺に背中を向けた。
「本当にこの愚弟は……」
その答えが気に入らなかったのか、はたまたはお気に召したのか。
「……楽しみ、増やさないでよね」
表情なんか見なくたって、その声色だけで十分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます