SAVE.105:乙女ゲーム世界のセーブ&ロード①


 ミリアが消えた……それは言葉通りの内容だった。彼女が生活していた学生寮から忽然と姿を消した、という話だ。貴族の子息御用達の学生寮で、さらに国の監視がある状況で失踪した、というのはあまりに不可解な状況だった。


 だからこそ、それは秘匿されるべき事件だった。聖女が衆人の目を掻い潜り失踪した――なんて話は、これ以上にない醜聞になるのだから。


「で、それって俺達が耳に入れてもいい話だったんですか?」


 翌日、姉貴から話を聞かされた俺達は相変わらずの学園の生徒会室……ではなく、王城にあるルーク殿下の私室に呼び出されていた。集められたのは俺と姉貴、それにクリスとダンテだ。


「当然さ、君達にはミリアを探してもらおうと思ってるんだから」

「何でオレも……」


 笑顔で決定事項を告げる殿下に、不満を隠そうともしないダンテ。


「君の熱烈なアプローチから逃げた可能性もあるんだけど?」

「……探さないとは言ってないだろ。ルークに命令されるのが気に入らないだけだ」


 舌打ちを混じえながらダンテが答える。それも当然の話だ、この中でミリアを一番必要としてるのは彼なのだから。政治的にも必要だし、何よりダンテはミリアに惹かれているみたいだしな。


「それでルーク殿下、探すあてはあるんですか?」


 険悪になりそうな雰囲気を察したのか、クリスが話に割って入る。


「場所はわからない……が、犯人の目星はついてる」


 人差し指をぴんと立て、殿下が底意地の悪そうな笑みを浮かべる。だが冷静に考えればわからない話でも無いのだろう。国の監視のある学生寮から聖女を連れていけるだけの力がある連中……もう答えを出しているような物だ。


「聖光教会……でしょうね」


 そう呟けば殿下は満足そうに頷く。だから今回の件は単純な誘拐とは少し毛色が違うのだろう。


「言われちゃったね。別の派閥も考えたけれど……それはないだろうね。学園の寮の警備を掻い潜れるだけの力を持っているのは教会ぐらいさ。大方信徒に金でも握らせたんだろうさ」

「だったらこんな所で油売ってる場合じゃないだろ」

「わかっているさ、だけど無策で挑むのは愚かだろう?」


 鼻息の荒いダンテと冷静な微笑みを浮かべる殿下。二人の王子様は随分と対照的な表情をしていた。


「まず作戦その一。僕とシャロンとダンテの三人はレティシア大聖堂に向かう……寄付をしたいという名目でね。僕とシャロンが適当に彼らを喜ばせておくから、ダンテには建物内部を探ってほしい」


 王子様と聖女様が尋ねてくれば注目の的になるのは間違いない。その隙を見て教会の本部でもあるレティシア大聖堂を捜索する……というのは良い方法のように思えた。その教会を嗅ぎ回る役目も王子様ってのを除けば、の話だが。


「いいのかよ、オレがお姫様を探しに行って」

「勿論。連中みたいな汚い手なんて使わないんだろう?」


 ダンテは挑発的な態度を取ったものの、文字通り殿下の一笑に付されてしまう。この二人の力関係は崩れないだろうという確信だけは揺るぎそうに無かった。


「それで、僕とアキトはどうしますか?」

「作戦その二さ。二人は王都にある教会の関連施設を漁ってもらうかな。リストは作ってあるから上から潰していってもらって……僕達も本部で収穫が無かったら下から潰していく。それなら間違いなく合流できるだろう?」


 そんな事を言いながら、殿下は俺とクリスに地図と一枚の紙を手渡してきた。施設といっても教会そのものが建てられている訳ではなく、使われなくなった倉庫や空き地が殆どだ。


「ってことは、俺達も全部外れたら大聖堂に?」

「ああ。もしこっちで収穫があれば、極力使いを出すようにはするから……入れ違いにはならないだろうさ」


 どこかにミリアがいるにせよ、またどこにもいなくとも、俺達は合流出来るという訳だ。


「幸いミリアの失踪に気付いてる人は少ない……出来るだけ早く決着をつけたいね」

「それはいいんですけど……殿下」

「なんだい?」


 笑顔で聞き返してくる殿下に、俺は当然の疑問をぶつける。


「何で俺達が探すことになったんですか? 人手が足りないって事は無いと思いますが」


 失踪した聖女の捜索ともなれば、いくら貴族とはいえ学生風情がどうするという話ではない。秘密裏に探すとしても、王家にはそういう手足なんていくらでもいるのだ。


「何でって、それは勿論」


 その疑問に、殿下は満面の笑顔を浮かべる。出されてた答えは心の底から納得出来る内容だった。


「僕の点数稼ぎだけど?」







 殿下に渡されたリストを半分程埋めたあたり――教会所有の土地や建物を十軒ほど回ったあたりで、俺とクリスは路地裏で小休止を挟んでいた。肉体的には行軍演習より余程楽だが、精神的には随分疲れていた。


「中々見つからないな……」


 廃墟、廃屋、倉庫、更地。王都をこれだけ練り歩いて、ここまで見所がないというのも珍しいだろう。


「まぁ普段は使われていない場所ばかりだからね。僕達の役目は彼女を探すというよりむしろ、『この場所にはミリアがいない』というのを確認する事さ」

「ま、そういう地味な仕事の方が楽でいいか」


 背筋を伸ばしながら、クリスの表情を覗き見る。真剣な眼差しでリストに線を引いていく彼女の姿に、ふと目を奪われる。


「ねぇアキト……さっきの殿下の話なんだけど」

「点数稼ぎ?」


 その言葉にクリスは怪訝な顔で小さく頷いた。俺にとってはこれ以上にないぐらい納得できる物だったが、どうやら彼女には違ったらしい。


「言葉通りの意味だと思うかい?」

「どうだろうな、あの人の考えてることは……よくわからないから」


 思えばここ最近はあの人には振り回されてばかりだった。姉の好みを聞いてこいなんて話で始まり、今ではどこかの聖女探しだ。変な事も頼まれたが、その意図は……俺にはよくわからない。


「それはまぁ、そういう所がある人だけどさ」

「クリスはどう思ってるんだ?」

「ルーク殿下は……珍しく怒っていたからね。君も見ただろう? あのパーティでの表情を」


 忘れたくても忘れられる物じゃない。あれだけ感情的に怒鳴る彼の姿を見る日はもう来ないだろう。その対象は勿論ミリアだったが、直接の原因はあの白いドレスを着ていた事だ。


「あのドレスは……店にあったやつだよな」

「あれは」


 一瞬何かを言いかけてから、クリスは首を横に振った。


「雑談はこの辺にしておこうか。あんまり話し込んでいるとそれこそルーク殿下に怒られそうだ」

「違いない」


 疲れた足と心を休ませるには十分過ぎる時間だった。残り半分となったリストを見ればうんざりするが、終わらない訳じゃない。


「しかし聖女様はどこに消えたんだろうね」


 呆れたようなため息をつくクリス。その表情から、彼女の唇から、なぜだか目が離せなくて。


「……アキト?」

「あ、いや……何でも無い」

「しっかりしてくれないかな、あと少しで終わるんだからさ」

「ああ、そうだな」


 自分の頬を軽く叩く。集中しろ、アキト=アズールライト。けれど何かを忘れているような違和感だけは、消えてくれる事は無かった。


「そうさアキト……あと少しで終わりなんだ」







 小休止からさらに五ヶ所ほど回った先で、俺達は歓楽街の外れにある二階建ての廃倉庫にたどり着いた。


「ここは」


 廊下を歩けば、浮浪者が暮らしていたような痕跡が残っている。だが今現在、そういう類の人間が生活しているような雰囲気は無い。擦り切れた毛布やどこかで拾ってきたような空いたワインの瓶には厚い埃が積もっていた。


「知ってる場所かい?」

「ああ、来たのは初めてだけどな……」


 割れた窓から差し込む日光が、宙に舞った埃を照らす。この汚く湿っぽい場所は、確かに記憶の中にある。あのゲームという記憶の中に、だ。


 ここは悪役令嬢シャロンが最期に逃げ込んだ場所だった。貴族としての地位を奪われ罪人として手配された彼女は、他の貴族達を集め王家にクーデターを試みる。その目論見はミリア達によって打ち砕かれ、モノローグでシャロンが処刑されてめでたしめでたし、という訳だ。


 なんて事を考えていれば、鎧の擦れる金属音が耳に届く。咄嗟に近くの壁に身を隠し、倉庫内の様子を伺った。


「当たりだな」


 最近置かれたような木箱や道具類のほか、朽ちた樽や箱が乱雑に置かれている。それらが壁になって障害物なっているのは、こちらとしては好都合だった。


「四人か」


 メイスで武装した四人の教会の騎士が壁際にある地下室へ続く隠し通路の前を守っていた。ゲームの知識のおかげでそこにあると知っていたが、それだけ厳重に守っていれば何かありますよと言っているようなもので。


「どうしようか……一人づつ片付けるかい?」

「いや、あれぐらいなら」


 彼らの表情は顔面まで覆った兜のせいでわからないが、それでも雑談や笑い声が聞こえてくる程度には油断しているようだ。鎧の装飾から察するにそれなりに地位が高いのは間違いないが、この程度の相手なら。


 足元から手頃な木の棒――木箱かなにかの破片だろう――を拾い上げ、俺は真っ直ぐと彼らに向かって走った。


「な、侵入しゃ」


 最後まで言わせはしない。一番反応が遅い騎士の手をめがけて、思い切り棒を叩きつける。木片が砕け散り、メイスが地面に落ちる、直前に拾い上げると、そのまま二人目の脇腹めがけて遠心力で叩きつける。


「ひっ」


 一人が怯えた声を漏らす――次の狙い目はこの騎士だな。及び腰になったその体にそのまま横蹴りを食らわせれば、そのまま体勢を崩して倒れる。箒で床でも払うかのようにメイスで頭を叩けば、そのまま気を失ってくれた。


 最後の一人は声も出さず、真っ直ぐと襲いかかって来た。だがあまりに動きが遅すぎる。足をかければそのまま地面に倒れ込むので、背中に一撃をお見舞いする。最後に這ってでも逃げようとしていた最初の男の顔面を踏みつければ、四人の騎士の制圧はあっさりと終わってしまった。


「手練って感じでもなさそうだな」


 弱いな、というのが素直な感想だ。いくら不意打ちとはいえこれぐらいも対応できないとは、教会の練度も蓋を開ければこんなものなのだろう。


「あのねぇ、教会の騎士を四人も同時に倒せる学生なんて君ぐらいだよ?」

「まぁ……義父に鍛えられてるからな」


 俺の強さの秘訣、というものがあるとすればそれは師でもあるカイゼル=アズールライトのおかげだろう。


「ああ、アズールライト卿……」


 この国の軍務の長を務める義父は『アスフェリアの青獅子』の異名で国内外から畏れられている。そんな男に鍛えられればこれぐらいは出来て当然だ……というか。


「これぐらい出来なけりゃ鍛え直されるんだよ」


 四年前に身代金目当てで街の不良に攫われそうになった事があったが、返り討ちにしたものの頬に怪我を負ってしまった俺を待っていたのは『はっはっは、鍛え方が足りないな』という意味不明の一言だった。恐らく脳が筋肉で出来ているのだろう、姉貴が義母似で本当に良かった。


 そんな義父の事はさておき、クリスと手分けして騎士達を縛り上げて、俺は周囲を見回した。


「それよりも、確かこの辺に……」


 ゲームの記憶とさっきの騎士達の配置を思い出しながら、隠し通路の場所に目星を付ける。そこには古びているくせに埃一つ無い木箱の蓋が置かれていた。なのでそいつを思い切り蹴飛ばせば、地下へと続く階段が日の目を見た。


「地下室か。随分と用意が良いじゃないか」


 階段を睨みながらクリスが呟く。ゲームのようにクーデーターを企むというのであれば、こういう地下室を用意する理由は頷ける。だが今追われているミリアには、ここまで追いやられる理由が見つからなかった。


「どうしようか。殿下達を待つかい?」

「いや……先に進もう。こいつら程度なら障害にもならないからな」

「わかったよ……ただし、危なくなったら逃げる事。いいね?」


 今度のクリスの提案には、俺は黙って頷いた。それから呼吸を整えてから、地下へと続く階段を下り始めた。







 地下室へと続く階段には不快な湿気が充満しており、思い出したように置かれていたいくつかの松明だけが足元を照らしていた。


 そんな不安を駆り立てるような階段を降りた先に待っていたのは、無数の教会の騎士達――ではない。まるでそこが演劇の舞台かのように、彼女だけがそこに座り込んでいた。


「なぁんだ、あなた達ですか」


 松明の明かりに照らされた彼女が、虚ろな眼差しで俺たちを見据える。その頬は誰かに殴られたかのか真っ赤に腫れていた。


「ミリア……」

「脇役風情が……私に何の用ですか?」


 壊れたように笑う彼女が、突き放すような冷たい台詞を吐いた。思わず背筋が凍ったのは、記憶の中にある彼女と随分違ったせいだろう。彼女と過ごした時間は長くはないが、それでも平気で他人を見下すような言葉を使うような人間ではなかった。


「急に寮から消えたんだ……探しにも来るさ」


 目を伏せながら、嘘も誇張もない言葉を呟く。


「随分とお優しいんですね」

「そういう訳じゃ」


 答えようとしたところで、クリスが間に割って入る。


「アキト、彼女と会話なんてしなくて良い……君の言う通り、僕達はただ彼女を探しに来ただけなのだから」


 クリスの言葉は随分と冷たいものに思えた。けれどそれは紛れもない事実でもあった。彼女が心配だとか助けたいとか、そういう情があった訳ではない。ここで安い同情をするぐらいなら、最初から……。


「そうですか……では、連れて行って下さい。私なんて、どこにいても一緒ですから」


 消え入りそうな声で、両手を差し出してくるミリア。少しだけ居心地の悪さを覚えながらも、俺は彼女の手を引いた。しかし膝に力が入らないのか、自力で立ち上がる事は出来なかった。


「背負っていくか?」

「いや、僕が人を呼んでくるよ。外に出た瞬間誰に見られるかもわからないからね」

「そうだな……クリス、頼んだぞ」


 ため息をついてから、小走りで階段を駆け上がっていくクリス。残された俺はミリアの横に腰を下ろすも、その生気のない顔からつい目を背けてしまった。


「……私、役立たずだったみたいです」


 彼女は消え入りそうな声で、零すように語り始める。


「神託の通りにいかなくって、教会の皆さんに怒られて……北の果てにある修道院に送られるんですよ? 家族とはもう会わせてもらえないみたいです」


 悲惨な末路だな、というのが率直な感想だった。勝手に期待され、勝手に失望され、勝手に自由を奪われる。それでも姉貴と、ゲームでの悪役令嬢の最期と比べれば、命があるだけマシなのかもしれないが。


「ずっと考えていたんです……私、何を間違えたんだろうって」


 懺悔でもするかのように、ミリアは言葉を続ける。


「神託の通りに行動しました。偉い人の言うことだってよく聞きました……だから私は、何も間違えてなんていなかったんです」


 彼女の言葉が途切れる。振り向く気にも、掛けるべき言葉も見つけられず、そのまま黙って天井を見上げた。


「間違えているのは、神託と違うのは」


 一瞬。


 彼女の声に感情が宿ったような、気がした。




「あなただって」




 背中に激痛が走る。思わずその場に倒れ込み、何が起きたのかを理解する。


 ああ、俺は刺されたのかと。傷口に手を伸ばせば、掌が一瞬で真っ赤に染まる。


 ミリアからナイフを取り上げようと手を伸ばそうにも、体は思い描いたように動かない。


「毒、か……」


 指先すら動かせず、ただその場にうずくまる。何とか動いた眼球は、狂ったような笑顔を浮かべるミリアの姿を映すだけだった。


「本当はあの女に使おうと思っていたんですよ? だって、この場所は、あの女を、私が……」


 段々とミリアの声が遠くなっていく。血を流しすぎたのか、それとも毒が回ってきたのか。指先すら動かせくなり、痛みはもう感じない。


 ああ、これで死ぬのは何度目だろう。そんな諦めにも似た感情が自分の頭を埋め尽くす。


 それなのに、何故か。いつも浮かんでいたあの言葉が――現れる事は無かった。


「なん、で」


 掠れた声が漏れ、ミリアが死にそうな俺の顔を満面の笑みで覗き込む。そこでふと、思い出す。やり直す条件は、死ぬ以外にもあった事を。


「なぁ、ミリア……」


 彼女から返事はない。それでも俺が言う事に意味は必ずある筈だ。


「俺さ、死んでも、やり直すから……こんな事を、したって……」


 俺がこのやり直しを経験してすぐ、俺はクリスに伝えた。その時も俺が死んだ時と同じように、あの文字が俺の視界に過った。


 だから、今回だって――。


「はぁ」


 ミリアの言葉は漏れた声が、辛うじて耳に届く。


 戻れ、戻って、やり直せ。どれだけ強く願っても。




「……そんな命乞いってありますか?」




 あの文字列が――意味の分からない文字の羅列が――現れる事は無かった。 

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