SAVE.000:始まりの場所

 知らない場所、知らない人、知らない景色が広がっている。


 王城に負けない程の豪華な庭園で、見たことのない意匠の服を着た偉そうな大人達が、俺を値踏みするように次々と挨拶をしていく。求められる握手に応じる俺の手は、ひどく小さな子供のそれだった。


 延々と列は続いていく。俺は子供のくせに世辞を口にしながら、次々とそれを捌いていく。およそ子供らしさとは程遠いその対応を見るなり、大人達は満足そうに頷いていく。彼ならばこの国の将来は大丈夫だ、と。


 そうやって続けていくと、突然列が止まってしまった。物腰の柔らかい付き人の老人が言うには、俺に引き合わせたかった少女が迷子になってしまった、との事だった。


 いい加減大人達への応対にうんざりしていた俺は、これ幸いと少女を探す役を買って出た。それがまた余計に好評だったのか、大人達はざわつき始める。それで察した――ああ、その少女は俺と婚約することを望まれているのだと。


 それでも俺は一人で庭園を歩き始めた。知らない場所、その筈なのに幼い俺は迷いなく進んで行く。


 そして、彼女を見つけた。


 色とりどりの花が咲き誇る庭園の角で、真紅のドレスを身に纏った少女は泣いていた。


「あー……迷子かな?」

「わた、わたし、はぐれてしまって……」


 赤毛の少女は言葉を途切れさせながら事情を説明してくれた。もっとも幼い俺の予想以上の答えは返ってこなかったのだが。


「そっか、今日はどうしてここに?」


 こういう泣いた子供の対応に、俺は不思議と慣れていた。まず泣き止ませる事が一番で、次に相手の話をよく聞く事。幼い俺は随分と苦労していたらしい。


「お父様が、婚約者にあいさつにいけって」

「婚約者、ね」


 相変わらず予想通りの答えに、ため息が出そうになる。もちろんその相手とは俺の事なのだろう。


「……それで?」

「わたし、怖くなったの。その人がへんな人だったら、いやだなって」


 この泣いている少女が、自分の婚約者なのか。値踏みするような視線を彼女に――それを、思い留まる。これでは、あの張り付いた笑顔を浮かべた大人達と一緒じゃないかと。


「そっか……まぁ気持ちはわかるよ」


 少しだけ素直になれた心で、彼女の頭を少しだけ撫でる。自分で涙を拭う彼女は、年相応に可愛らしい少女だった。


「ほんとう?」

「ああ、本当だよ」


 彼女の声色が少しだけ明るくなる。同意してもらえた事がそれだけ嬉しかったのだろう。実際のところ幼い俺もどんな婚約者なのか気になっていたのだからお互い様だ。


「よし、じゃあ……皆心配してるから、帰ろうか」


 安心した俺はそんな提案をしたものの、少女の表情がみるみる暗くなっていった。そんなに不安なのかと思わずため息が出そうになるが、必死にそれを飲み込んだ。


 どうしようかと首の後ろを押さえながら思案する。その時の俺が思い当たったのは、こういう少女の機嫌を取った事があったなという記憶だった。自分と同じ髪の色をした、ある少女を――。


 俺は近くに植えられていた一本の花を摘んだ。名前は確か――ヒナギクだ。こういう豪華な場所には似合わない素朴な花だったが、母の強い希望で植えられた花だった。


「手、出して貰ってもいいかな」

「なんで?」

「なんでも」


 微笑みかければ、赤毛の少女は恐る恐る左手を差し出してくれた。今にも折れてしまいそうな薬指に、俺はヒナギクの花を巻いて結ぶ。子供だましの些細な物だったが、それでも彼女の表情が明るくなった。


「きれい……」

「喜んでくれて良かった」


 左手の薬指に嵌められた花の指輪を、少女は嬉しそうに眺めていた。子供の俺でもそこに指輪を嵌める意味を知っていた。だがこれで大人達はもっと喜ぶだろうな、なんて可愛げのない事を考えていた。


「これからどうしたい?」

「……わかんない」


 これで機嫌は取れたかに思えたが、少女は首を横に振った。まだ気持ちの整理がついてないのだろう、彼女から『帰りたい』という一言は貰えなかった。


「困ったな」


 だから俺は、嘘を付く事にした。ここから動くためだけの、どうしようもない方便。


「あーその……腹が減ってさ」


 わざとらしく腹を押さえながら、そんな見え透いた嘘をついた。それでも彼女が顔を上げてくれるぐらいの効果があったらしい。


「だからさ、ついて来てくれないかな?」


 花の指輪が嵌められた、彼女の左手をそっと握る。さんざん大人達と交わした握手とは違い、小さな少女の手が優しく握り返される。


「わかった、君が困ってるなら助けてあげるね」

「ありがとう、腹が減って死にそうだったんだ」

「こちらこそ、えっと……」


 笑顔を返してくれた彼女の言葉が詰まる。そこでようやく自分が名乗っていなかった事に気づく。


「アキト」


 だから俺は変わらぬその名と。


「アキト=E=ヴァーミリオンだ」


 聞き覚えのない家名を告げた。


「あなたが、わたしの」


 婚約者の名前は事前に聞かされていたのだろう、彼女は一瞬驚いてから穏やかに微笑んだ。表情から察するに、婚約者としては合格だったらしい。


「それで、君の名前は?」


 青空の下、無邪気な少女の笑顔がある。ヒナギクの指輪を嵌めて、長い赤毛が風に揺れて。




 ――ああそうか、俺はずっと彼女に笑っていて欲しかったのか。




 その笑顔が心に焼き付いて、どうも忘れられそうにない。結局俺は、大人ぶっても、擦れた事を考えても、この少女一人に笑って欲しいだけだったんだ。


 そう、俺は、彼女に――。


「わたしは――」

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