SAVE.104-1:君との出会いを、君との日々を⑥
白み始めた太陽に起こされれば、俺は手早く着替えを済ませてテントの外へと出た。消えてしまった焚き火の前には、膝を抱えたクリスの姿があった。
「クリス」
「ああ、おはようアキト……」
瞼を指先で擦りながら、クリスは眠たそうな声で応える。
「アキト、昨日は……」
昨日。その単語に思わず心臓の鼓動が早くなる。そう、昨晩、俺は――。
「頼む、恥ずかしいから誰にも言わないでくれ」
「どうしようかな」
悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、大きく背伸びをするクリス。それから紅茶を沸かし始めれば、茶葉の香りがよく晴れた空の下に漂い始める。
「おはよう二人共……それと、見張りお疲れ様」
そんな匂いに釣られたのか、姉貴がテントから顔を出す。寝起きだというのに髪はブラシで梳かしており、顔には薄く化粧をしていた。こんな場所でも身支度を欠かさない姉貴に思わず感服してしまう。
「あら、紅茶なんて気が利くわね。一杯頂くわ」
「あっ」
気付いたときにはもう遅い、姉貴は紅茶をカップに注ぎ終えていた。それから近くにあった砂糖も。
「……何よ」
「あー、その」
言うべきだろう、というか言わないと怒られるだろう、殴られるまであるかもしれない。その貴方が砂糖だと思って入れた白い粉の正体について、早いところ打ち明けなければ。
「全く、朝からおかしな愚弟だこと」
駄目だ、もう間に合わない。いや物凄く頑張れば間に合うかも知れない……だが考えようによっては良い機会なのかもしれない。なにせ姉貴を一泡吹かせる――それも物理的に――滅多にないチャンスなのだから。
「……ッ」
一口だけ含んだ瞬間、姉貴の体が硬直する。流石聖女、流石公爵令嬢。吹き出すだなんて粗相はしない。ただ代わりに物凄い鋭い視線で俺を睨んでいるだけで。
「ああシャロン様、それ昨日僕もやられたんですよ」
「ちが、クリス! 暗くて砂糖と塩を間違えただけだ!」
そう、それが昨日の夜の秘密。クリスに差し出した紅茶の中にたっぷりの塩を入れて吹き出させてしまった、なんて色気も雰囲気もない事件。結局俺は交代の時間を待たずして逃げるようにテントへ戻っていったのだ。
それだけの話だ。こんな恥ずかしい話、しばらく忘れられないだろう。
他には、何も――。
「……ねぇアキト」
「はい、何でしょうかお姉様」
思わず最大限礼儀正しい呼び名になるが、それでも彼女の険しい表情が和らぐ事はない。
「普通そういうのって、気づいた時に正しておくべきじゃないかしら?」
「はい、その通りです」
「百歩譲って塩のままだったとしても、私が飲むのを止めるタイミングはあったわよね?」
「それは……あんまりなかったような」
「あったわよね?」
「いや、その」
「あ、っ、た、わ、よ、ね?」
駄目だ完全にバレてしまっている、俺が半分ぐらい面白がっていた事に。
「……ははっ」
「ちょっとアキト! 責任持ってこれはあなたが飲みなさい!」
「誰が塩入りの紅茶なんかっ!」
昨日あれだけ疲れていた筈なのに、姉貴から逃げる元気が残っていた自分に思わず驚く。結局走り回っている姿を起き抜けの殿下に発見され、帰りも沢山の荷物を背負わされる羽目になった俺。
結局今年もいい思い出なんて何一つ無い行軍演習は、こうして幕を閉じるのであった。
だけど、何か。
大事なことを、大切なことを。
忘れてしまったような……不思議な感覚が、どこかに。
◆
行軍演習から早三日、学園は容赦なく始まろうとしていた。たった二日の休み程度では背負わされた大量の荷物に負わされた疲労が抜けきらない。という訳で俺は朝食を諦め、代わりに遅刻ギリギリまでベッドの上で過ごすという極めて理性的な選択を取っていたのだが。
「アキト、入るわよ」
突然ノックもせずに部屋に入ってくる姉貴。しっかりと身支度を終えていた彼女だったが、その表情にいつもの余裕の色は無かった。
「何だよ姉貴……俺が着替えてたらどうするんだよ」
「どうもしないわよ」
まぁそうだろうな、俺も気にしないし。
「それよりも……今日は学園に行かなくていいわ」
「そりゃ助かる」
突然休みになるだなんて、神に俺の願いが通じてくれたらしい……なんてふざけた考えは姉貴のため息にかき消されてしまう。
「代わりに王城に行くわよ。さっさと制服に着替えなさい」
「え……何で?」
どうやら学園以上に面倒くさい事案が発生してしまったようだ。
「ミリアが」
「ミリアが?」
全くまた翠の聖女様が何かやらかしたというのか、こっちはそれどころじゃないというのに。
「……消えたわ」
――なんで?
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