SAVE.104:君との出会いを、君との日々を②

 そして迎えた行軍当日。俺は女性一人分の重さはありそうな荷物の塊を背負いながら、三人の後を玉のような汗を流しながら必死でついてく。頭上から照りつける太陽は容赦なく俺の体力を奪い、喉の乾きは限界にまで達している。出発当初腰から提げていた水筒の中身はもう空になって久しい。


「大丈夫かい、シャロン」

「ええ、殿下……ありがとうございます」


 一人分の荷物を背負う殿下がまるで舞踏会のエスコートのように最低限の荷物を背負った姉貴に手を差し伸べたり。


「危ないシャロン……段差だ!」

「殿下、お心遣い痛み入ります」


 そんなもの誰も転ばないだろうという小さな段差を警戒したり進んでいった俺達だったが。


「シャロン、そろそろ休憩にするかい?」


 なんて殿下が提案してくれた時にはもう、太陽が天辺まで登りきっていた。


「あの、殿下……そろ、そろ」

「いいえ殿下、まだまだ大丈夫ですわ」


 息が絶え絶えの俺を差し置いて、姉貴がそんな事を言い出す。それは荷物が少ないんだからそうだろうな、という文句が乾ききった喉から出てくる事はない。単純に疲れているせいだ。


「きゅうけ……」

「お二人共、そろそろアキトが」


 そんな俺の様子を見かねたクリス……やっぱり最低限の荷物だけ背負った彼女が、ようやくそんな提案をしてくれる。


「……冗談だよ」


 悪戯っぽく殿下は笑う。だが俺にはわかる、クリスがそう言い出さなければ遠慮も容赦なく前へと進んでいた事に。







 山道から少し外れた所にある、俺達は小川の流れる木陰で昼の休憩を取る事にした。俺はと言えば倒木に腰を下ろすや否や背嚢から取り出したもう一つの水筒の中身を浴びるように飲んでいる。


「……水がこんなに美味いと思ったのは一年ぶりだ」

「良かったじゃないか、飲水は多めに用意しておいて」


 隣に座るクリスがタオルで汗を拭きながらそんな事を言い出した。


「そうなんだけどさぁ」


 結局クリスが武器を多めに用意する、と言ったのは冗談で実際に追加したのは食料や飲み物が殆どだ。もっともそれが重いせいで余計に体力を奪われたので、なんとも言えない気分になるが。


「殿下、簡素ではありますが食事の準備が整いました」


 何て事を考えているうちに、姉貴の声が聞こえてきた。食事はこの行事の数少ない楽しみの一つなので、少しだけ気分が楽になる。


「頂こうかな」


 各々が程度の良い場所に腰を下ろせば、待ちに待った昼食の時間である。


 姉が薄くて軽い木皿の上に用意してくれたのは、黒パン数枚と薄切りにした干し肉、少し硬めのチーズ数欠片に胡瓜のピクルスだ。この世界の軍の携行食と考えればそれなりの部類に入るだろう。何せピクルスは瓶ごと運んでいるせいで無駄に重くなっているのだから。


 出された食事をそのまま摘んだり、たまにはパンの上に乗せるなどして食事を始める俺。保存食中心のせいで硬いのは否めないが、それでも塩分やピクルスの酸味が疲れた体に染み渡る。


 いつもの学園生活の喧騒から離れた自然の中で、不意に鳥の声が聞こえてきた。重い荷物を背負わされるのは良い物じゃないが、それでも陰謀渦巻く貴族社会の縮図よりは余程心地の良い場所だった。


「長閑だな……」

「また呑気な事を……これはれっきとした軍事演習なんだからね」


 なんて言葉を漏らせば、クリスに釘を刺されてしまう。


「それにこれだけ要人が揃ってるんだ、本物の賊に襲われない保証だって無いんだよ?」


 言われてみれば、と辺りを見回す。王子、その婚約者、さらにその弟、王妃の親戚筋の貴族。この四人を誘拐するだけで一生遊んで暮らせる額は要求できるだろう。


「クリスの話も尤もだけど、その心配は必要ないかな。城から護衛は出ているよ……今は森の中に隠れているけどね」


 だがここで殿下による種明かし。当然と言えば当然の措置である、王族と聖女を放っておくほど国も阿呆ではないだろう。


「それはその……そうですけど」

「あら、じゃあこの愚弟が倒れても担いで帰らなくても良いのね」


 考えを否定されて少し不満そうなクリスに、これ幸いと皮肉を言う姉貴。その齧っているピクルスは一体誰が運んだものが今一度噛み締めて欲しかったが、無理だろうな。


「まぁ、ちょっと疲れるピクニックだとでも思えばいいさ……ここ最近は色々あったからね」

「ミリアの事、ですかね……」


 思わず零した彼女の名前に、殿下は乾いた笑いを浮かべながら頷いた。


「本当、誰の入れ知恵か知らないが人の神経を逆撫するのは止めて欲しいかな」


 あれだけ感情的な殿下を見たのは、ダンスパーティの時が初めてだった。願わくば最後にして欲しい物だが、気がかりはどちらかといえば殿下の対応ではなく。


「彼女、これからどうなるんですかね」


 気になるのはやはりミリアの進退だ。学園に顔を出さなくなった、乙女ゲームの主人公。その役割はまるで、婚約破棄をされ居場所を失った悪役令嬢を思わせるが――。


「聖女の価値は計り知れないからね。学園を中退するのは外聞が悪いだろうけれど、教会が最後まで面倒を見るだろうさ」

「そう、ですわね……」


 淡々と語る殿下に、俯いたままの姉貴が同意する。命までは奪われないという解釈で間違いないのだろうが、後味の悪さは否めない。


 殿下や姉貴はともかく、俺は直接ミリアに何かされたという訳ではない。それにミリアの裏で糸を引いていたのは間違いなく聖光教会の連中だ、恨むならそいつらだ。彼女もまた被害者の一人なのだから責任だけを負わされるのは酷な気がしてしまう。


「問題は……それに彼女自身が納得するかどうかだろうけどね」


 それが一番難しそうだな、とは思わなくもない。それからミリア絡みで気になった事はもう一つ……というかもう一人。


「そういえばダンテ……殿下は元気ですか?」


 呼び捨てにすると姉貴がまた怒り出しそうだったので、敬称を略さずに殿下に尋ねる。第二王子本人が許しても姉貴が許さないのだ、こればっかりは仕方ない。


「酷なことを聞くね、元気な訳ないじゃないか。僕の顔に泥を塗ったミリアを娶るなんてもはや許されはしないよ。とくれば彼が王冠を戴ける日は来ない……勝負あり、だね」

「厳しい世界ですね」


 ダンテにとってミリアを……聖女を手中に収める事は、そのまま王位への挑戦権でもあった。前提条件、と言っても良いかもしれない。それが崩れ去った今、最早次の王が誰なのか問うまでもない。


 なんて話をしているうちに、各々が食事を終える。殿下は立ち上がって背筋を伸ばしながら、気持ちの良さそうな笑顔を浮かべる。


「さて、それではそろそろ出発の準備をしようか」


 長閑な時間はここで終わりだ。これからまた大量の荷物を背負って歩き続けるのかと思えば挫けそうになるが、歩かなければ終わらないのでさっさと諦める事にした。


「お楽しみは……これからだからね」


 行軍演習に一体何のお楽しみがあるのか。その時の俺はまだ、いまいち理解していなかった。







「よし……到着だ」


 さらに歩くこと数時間、俺達はようやく目的地である野営場に到着した。野営場と言っても整備されている訳でもなく、木で出来た簡素な椅子と机、石で作られた原始的な石のかまどがある開けた場所でしかない。


 幸いなのは近くに小川が流れているおかげで水の心配がない事だろう。汲みに行く手間はもちろん必要だったが、水がないという不安からの解放とは天秤にかけるまでもない。


「早速で申し訳ないけど、僕とクリスはテントの設営。シャロンには夕食の準備をお願いしようかな」


 つまり何が言いたいかというと、到着したから終わりではない、という話だ。寝床の準備に食事の用意、それから燃料となる薪の確保。さらに荷物の整理に道具の手入れ……やる事は沢山あったけれど。


「アキト君は」


 全員疲れが残っている事は誰が見ても明らかだ。しかしその中でも俺の疲れ方は客観的に見ても群を抜いている。座りながら出来る作業ぐらいならまだ出来るかもしれない――そう思っていた矢先に。


「少し休んでいてもらおうかな……君のおかげで大分時間を短縮できたんだ。今日一番の功労者だよ」


 そのありがたい言葉に、俺は無言で頷いた。そのままフラフラと木陰まで歩いていき、仰向けになって横になる。目を閉じた瞬間に押し殺してきた疲労を実感する。ゆっくりと睡魔に身を任せていくうちに、ぼんやりと思い出す。


 そう言えばクリスと初めて出会った時も、こんな木陰で寝ていたような――。 

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