SAVE.EXTRA:再会

 学園に入学して数ヶ月、俺はいつものように中庭の木陰で昼寝をしていた……筈だったのだが。


「君がアキト=アズールライトだね?」


 目を開ければそこには、名も知らぬ同級生の姿があった。赤毛で腰から細剣を提げた、少し華奢な男子生徒。見覚えはあるが名前までは興味がない――それが俺のクリスに対する印象だった。


「……そうだけど」

「遅刻、欠席、それにサボり……随分と素行が悪いみたいじゃないか」


 頭を掻きながら体を起こせば、男子生徒は俺を睨みつけながらそんな事を言い出した。


「それ、あんたに関係あるか?」

「僕の名前はあんたじゃない。クリス……クリス=オブライエンだ」

「そのオブライエン君が何の用だよ」


 あくびをしながらそう呼べば、クリスは不快感を顕にした。だがそれはお互い様だ、というのが当時の俺の感想だ。


 当時の俺は名家の跡取りでありながら、今以上に素行が悪かった。蒼の聖女様を姉貴と呼ぶようになって以来続いていた反抗期が、ちょうど絶頂を迎えていたせいだ。


 そして俺の反抗的な態度を逆に利用してやろうと目論んでいたのが、他でもない教師陣だ。


 この学園で貴族の生徒相手に教鞭を執るのは、当然のように貴族階級だ。彼らは『アズールライト家の長男を更生させた』という実績を喉から手が出るほど欲しがっていた。そして察しのいい生徒は教師からの覚え良くするために、自ら俺の指導を買って出る……そんな流れが出来上がっていたのだ。


「君に生活態度の改善を促しに来た」

「だから、それがあんたに何の関係があるんだよ。俺の素行が悪くて何か不都合でもあるのか?」


 俺はクリスもそういう類の連中だと思っていた。点数稼ぎで教師に尻尾を振る優等生君。反抗期なら誰でも中指を立てたくなる、そんな存在だと。


「……気に入らない」

「は?」


 だが、クリスは違った。


「この学園に入る事が、どれだけ大変か君には解っているかい? 実力だけじゃない、家柄や運、それに寄付金だってかなりの額だ……恵まれてるんだよ、ここの連中は」


 力説する理由が説教じみていた事はよく覚えている。


「なのに、当たり前の顔をして享受するばかりか、それを無駄にするような君の行いが」


 だがそんな言葉の中に、これだけは真実だと思えた言葉があった。


「気に入らないと……言ったんだ!」


 クリス=オブライエンはアキト=アズールライトを気に入らない。その言葉を証明するかの如く、クリスはポケットから取り出した手袋を俺に向かって投げつけた。


「受け取れ、そして誓え! 僕が勝ったらそのふざけた態度を改めると!」


 だが反対に、俺は鼻息を荒くするクリスをどこか気に入っていた。


「だから……僕と決闘しろ!」


 虚飾や打算ではなく、真正面から文句を言われた事が頬を緩めるぐらいには嬉しかった。


「えっ、嫌だけど……」


 ただそれはそれとして、俺は手袋を受け取らずに立ち上がった。


「え?」

「俺に良い事無いだろ? それに今日の授業は全部終わりだしな」


 空を仰げば日が傾き初めていた。その時点で俺には学園に居残る理由が消えたので、急いでその場を後にした。


「いや、ちょっと」

「じゃ、そういう事で」


 肩を掴もうとするクリスを躱し、捨て台詞を吐いて逃げる。


「待て、アキト=アズールライト」


 呆気に取られるクリスの声が小さくなる。




「僕と決闘しろーーーーーーーっ!」




 青空の下、クリスの声が木霊した。だがその時の俺はまだ知らなかった。事の重大さを、問題を先送りにする事の面倒臭さを。


 ――彼女の諦めの悪さを。




 ◆




「アキト、僕と決闘しろ」


 それからというもの、クリスは俺を見つける度にそんな事を言うようになってしまった。


「決闘しろ」


 ある時は食堂で昼食を食べている時。


「決闘だ」


 またある時は授業終わりの帰り道。


「決闘」


 さらにひどい時は便所の前で出待ちされて。


 そんな事もあってか、クリスが俺と決闘したがっているというのはもはや学園中に知れ渡っていた。俺も何とか逃げ回っていたが、噂を耳にした姉貴に釘を刺される事態にまで発展していた。


 いよいよ覚悟を決めなければ、なんて思っていた矢先にその事件は起こった。


「ちょっと、アキト様が迷惑だって言っているのがわからないのかしら?」


 放課後の中庭で、クリスが女子生徒達に絡まれていた。アキト様、なんて仰々しく俺のことを呼ぶ彼女の名前は知らなかった。


 俺の肩書、というかアズールライト家の次期当主との縁談が目当ての貴族の子女とその取り巻きなのだろうが、言葉を交わした記憶はない。今度は『俺の役に立って覚えを良くしよう』という魂胆だろうか。


「……君達には関係ないだろう」


 ため息交じりにそれを払おうとするクリスだったが、その腕を女子生徒が掴む。その拍子にポケットからはみ出ていた手袋が、音を立てず地面に落ちた。


「いいえ、あるわ。あなたを追い返した手柄で彼と縁談を結んでもらうんだから」


 女子生徒のあまりにお花畑な回答に思わず頭が痛くなった。何をどう考えたらそういう答えが出てくるのか不思議で仕方なかった。


「呆れて物も言えないね。それで彼が喜ぶとでも?」

「当然でしょう?」


 おおむね俺と同じ感想を抱いたクリスの言葉に、女子生徒は得意げな顔をして鼻を鳴らした。そのあまりにも根拠のない自信を少しぐらい他人に配って欲しいぐらいだ。


「それならいっそ、本人に聞いてみるかい?」

「……隠れていた訳じゃないんだけどな」


 クリスの言葉に促され、物陰から俺が姿を出す。


「これはアキト様、ご機嫌麗しゅう。この私めがあなた様の邪魔な存在を排除して差し上げますわ」


 そして深々と頭を下げながら、物騒な事を言い出した女子生徒。


「それで君は、人に難癖をつけるような女性が好みな訳?」

「いや、その前にだな」


 あらためて女子生徒の顔をまじまじと見つめる。編み込んだ茶髪を後ろでまとめ上げ、狐っぽい顔をしたまぁまぁの美人ではあったが。


「あー……どちら様、でしたっけ」


 この場を収めるにはその一言だけで十分だったらしい。女子生徒はそのまま糸が切れたように後ろに倒れると、取り巻きに運ばれながら中庭を後にした。


「これはひどい」

「仕方ないだろ、全く覚えてないんだから」

「あのねぇ、女の子ってのは想い人との出会いは忘れない物なんだよ? それを袖にされるなんて……全く紳士じゃないね君は」


 俺の邪魔をするクリスを邪魔をする女子生徒を追い返した所、なぜか俺が説教される羽目になってしまった。大方どこかのパーティで顔でも会わせたのだろうが、そんな場所で挨拶した奴の顔なんて覚えちゃいないのが俺の頭だ。


「どっちの味方なんだよお前は」

「お前じゃない、クリスだよ」


 ふと足元に落ちていたクリスの手袋が目に留まり、何の気なしにそれを拾い上げた。


「名前は忘れてないっての、ほらよ手袋」

「……受け取ったな」

「え?」 


 思わず聞き返してしまうが、俺の手にはしっかりとクリスの手袋が握られていた。


「あー……」


 少し悩む。まさかこんな形で決闘を成立させられるとは考えもしなかった。こんなやり方は卑怯だろうと抗議すれば正しさを良しとするクリスなら物言い一つで思い直してくれるかも知れない。だがこれ以上長引かせれば、今回みたいな問題がまた生まれる可能性もある。


「ま、良い機会だな」


 俺が諦めた顔で頷けば、クリスは携えていたもう一本の剣を俺に投げて寄越した。


「じゃあ早速、僕と決闘してもらおうか」

「随分と準備がいいな」


 受け取ったロングソードの鞘を抜けば、刃が潰されている練習用の物だった。おおかた学園の練習場から借りてきた物なのだろう。


「いつでも君と決闘できるようにね」

「そりゃどうも。立会人はどうする?」


 辺りを見回せば、立会人どころか人っ子一人いなかった。これだと正式な決闘とは言えないだろうな、なんて思っていた所クリスは首を横に振った。


「必要ないさ、勝敗ぐらいお互いにわかるだろう?」

「だな」

「僕が勝ったら、君の素行を改めて貰おうか」


 クリスは腰から細剣を引き抜くと、真っ直ぐと剣を構えた。震えなく突きつけられた剣先は、クリスが剣に費やしてきた時間と労力の証明だった。


「俺が勝ったら?」


 頷きながら俺も構えた。体を半身にし左足を半歩前へ出し、膝を少し曲げ腰を落とす。腕を引き鍔を顔の前まで持ってくると、水平だった刀身に少しだけ角度を付けた。


「……君が困った時、僕が必ず力になろう。必ずだ」

「随分と抽象的だな」

「仕方ないだろう、今考えたんだから」


 二人して、一瞬だけ小さく笑った。すぐに表情を固めると、互いに睨み合った。


「……始めようか」


 中庭に吹いたささやかな風が木々を揺らす。立会人もいなければ、観客もいない決闘。互いの矜持を握りしめ、真っ直ぐと相対する。


 ――今。


 クリスが駆ける。間合いを詰めると同時に、躊躇なく俺の首をめがけ細剣を放った。


 引くか、防ぐか。取るべき選択肢が瞬時に駆け巡った。


 こと決闘という点において、有利なのはクリスの得物だ。細く長く靭やかで、人を殺せるという最低限の剣こそが、最適解の一つだった。クリス自身も細身で鋭敏だからこそ、急所狙いの一撃だ。


 だからこそ結論が出る。引いても、防いでも不正解だと。これがクリスの戦い方ならば、その後もあるのだろうと。引けば更なる刺突が、防げば無数の斬撃が。握られた剣の重さが理解できるからこそ、次の攻撃が予想できる。


 俺は迷わず前へと踏み出す。後ろ足で地面を蹴り、剣そのものを垂直にし、盾のようにしてクリスに突っ込む。無骨で重いロングソードと体格で勝る俺の取った行動――体当たりだ。


 クリスは無理やり前足を突き出し、後ろへ下がろうとする。放たれていた一撃は勢いを殺され、剣先が俺のロングソードの刀身に弾かれた。


 その瞬間を見逃さない。掬い上げるようにして、剣を下から上に斬り上げる。狙うべきは剣を持つクリスの右手だ。


 空に向かって放たれた刃は届かない。常人なら避けきれないそれを、クリスは持ち前の俊敏さで避けきっていた。そのまま後ろへ下がろうとするが、俺は追撃の手を緩めない。


 クリスは身を崩しそうになりながらも、引き抜いた剣を顔の前に構える。そこに俺は一撃を振り下ろす。細腕で受け切れる筈もなく、そのままクリスは倒れ込む。


 仰向けに倒れたクリスの喉に剣先を突き付ける。クリスの言葉通り、勝敗は互いに納得の出来る形で決した。


「……聞きしに勝る強さだね」


 清々しい表情をして、敗北を認めた台詞を口にするクリス。俺は剣を鞘に収め、真っ直ぐと手を差し伸べた。


「そりゃどうも」


 一瞬躊躇ってからも、クリスが俺の手を掴む。そのまま体を引き起こしたものの、体勢を崩したクリスが俺の胸により掛かる。


「あ、ごめ……」


 肩で息をしながら、潤んだ目で見上げるクリス。それがあまりに艶っぽくて、急いで引き剥がした俺。


「……困ったな」


 何とか誤魔化そうと思った俺は、頬を掻きながら必死に理由を探した。


「あーその、なんだ……腹が減った、な」


 明後日の方向を向きながら何とか言い訳をひねり出した。


「相変わらずだね、君は」


 クリスは小さく笑いながら、わざとらしく俺の肩を叩いた。


「奢るよアキト。美味い屋台を知ってるんだ」


 帰りに食べた屋台の串焼きの味はよく覚えている。あの時もそう、こんな香ばしい肉の焼ける匂いが――。

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