SAVE.104:君との出会いを、君との日々を①
ルーク殿下の顰蹙を買ったミリアだったが、特段処罰を受けるような事にはならなかった。件の聖女は王族との結婚まで白いドレスを着てはいけない、というのは所詮慣習でしかないのだから当然と言えば当然の結果だ。彼女を罰するだけの正当な法が存在しないのだ。
ただ慣習だからこそ、彼女に向けられる目は白い物ばかりであった。恥知らずのミリア、史上最低の聖女、王子に取り入る売女。いつか誰かに向けられたような聞くに堪えない言葉は、今や彼女に向けられている。それに耐えられなかったのか、噂によると彼女は寮の自室に引きこもってしまったらしい。
あのダンスパーティから二週間、もうミリアの姿を学園で見かける事は無くなった。
◆
「行きたくねぇなぁ……」
放課後の教室、机に突っ伏しながら俺は素直な言葉を吐いた。そう、今年も近づいてきたのだ……あの全校生徒の大嫌いな行事が。
「だらしないなぁ、そんなに行軍演習が嫌かい?」
すました顔のクリスがそんな事を言い出す。
行軍演習。その単語を耳にして震え上がらない生徒はいない。
「当たり前だろ……あんな地獄が好きな奴がこの学園に一人でもいるかよ」
その言葉にまだ教室に残っていた生徒達が静かに頷く。ちなみにわざわざ学園になんて一言を足したのは、身内に約一名大好きな人間がいるからだ。義父だ。
「まぁそうだけどさ、貴族の義務なんだから諦めた方が早いと思うよ」
この演習の意味ぐらい、ここにいる誰もが理解している。貴族の義務――それは有事の際に兵を率いて戦場に立つという事だ。
大陸の中央から東部にかけて広大な国土を誇るこのアスフェリア王国だが、丘陵地帯を超えた先にある西側諸国とは二十年以上前には戦火を混じえた間柄だ。また山脈を超えた先にある北方連合は付き合いこそあるものの、そこまで仲がよろしくないのが現状だ。ちなみに東側は最近なにかとよく耳にするエルディニア地方が広がっており、そこは王家直轄地となっていて安定している。
とまぁそんな情勢下だろうが、野営道具一式を背負って登山しておまけに一泊までして帰ってくる演習が地獄と呼ばれるのに変わりはない。特にこの学園に通うような貴族のほとんどは生まれも育ちも王都で、領地なんて休暇の時にしか顔を出さない上に普段は代官任せという家ばかりだ。
そんな都会の軟弱者に自然の恐怖と貴族としての意識を植え付ける洗礼。それこそがこの行軍演習なのだ。
「というか、君はむしろ体力がある方だろう。そこまで気が重くなるものかい?」
「いやまぁ、そっちの心配はそんなに」
「ならどうしてさ」
クリスの指摘する通り、荷物を背負って山を歩くという行為自体に忌避感はない。疲れる事は確定しているが、それでも不可能ではない事ぐらい去年の自分が証明している。
「班分けがな」
「ああ、それはまぁ……」
個人的にこの行軍演習が『だるい』原因は、個人ではなく四人一組の班単位で行動する所にある。当然のように生徒達の意見は通らず、学級どころか学年さえも無視される。仲良しこよしの馴れ合いを捻り潰すかの如く向かう先も日程もバラバラで、女性だろうが駆り出される。死人が出てない事が不思議なぐらいの過酷な行事だ。
ちなみに普段の優美で麗しい学園生活とは似ても似つかないこの脳筋行事は、学園がまだ軍の士官学校としての側面が強かった時代の名残なのだが……何と発案者は先々代のアズールライト家当主らしい。つまり養子とは言え直系の俺は死んでも参加しなければならないのだ。
「そんなに酷かったのかい? 去年の班分け」
「ああ、思い出したくもない」
暑苦しい最上級生にやたらと口喧しい女子生徒二名、それから最下級生だから荷物を多めに持たされる俺。当然のように行軍のペースは合わず、その度に最上級生が叱咤激励し女性陣との温度差は広がりあの光景が本当の戦場で起きると考えると……いや、この辺りで止めておこうか。
「せめて気楽な相手が一緒なら」
まだマシだろう、という言葉は中断する。そう、こういう時は決まってもっと最悪の結果が待っているのだから。
ガラッ。教室の扉が勢い良く開かれる。姉貴だ。
キリッ。めっちゃ俺とクリスを睨んでる。こわい。
「ちょっとそこの二人……殿下がお呼びよ」
……ほらな。
◆
「今度の行軍演習だけど……僕とシャロン、それからアキトとクリスの四人になったから」
例によって生徒会室に呼び出された俺――これでもう三回目――とクリスと姉貴を待っていた殿下が、相変わらずの生徒会長の席に座りながらそんな事を言い出した。
なったから、じゃないんだよな。
「職権乱用……」
「何を言うんだアキト君。僕とシャロンは自分で言うのも何だがこの国の重要人物……共に行動するのは当然じゃないか。そして腕の立つ上に気心の知れた護衛が二人、と来れば君とクリスが選ばれるのも当然だと思わないかい? それに頼もしい事に君はこと戦闘においては学園最強の男、さらに次席のクリス=オブライエンだ……いたって妥当な人選だよ」
「はぁ……」
若干早口で捲し立てられれば、本当に妥当なような気がするから困る。
「それで本心は?」
「ちょっとシャロンに良いところを見せたいから、二人共お膳立てよろしくね」
「殿下! そういう冗談は……」
耳まで赤くして否定する姉貴だったが、きっと冗談ではないのだろう。半分ぐらいは、だろうが。
「ごめんごめん、本人のいない所で言うべきだったね」
そんなやり取りを見せつけられていたクリスが思わずため息をついた。その真意は『イチャつくなら自分達のいない所でやってくれ』に違いないだろう。というか俺もそう思う。
と、ここで思い出す。そう言えばゲームでもこの行軍演習はあったなと。それこそ彼の言う通り、王子様がミリアに良いところ見せるためのイベントだ。相手は好感度の高い王子様が選ばれ、残りの随伴は俺とクリスだ。
王子様は慣れない山歩きで足元が覚束ないミリアをエスコートし、襲ってきた野犬を薙ぎ払い、夜は焚き火の前で野外料理を振る舞う。それから睡魔と戦いながら見張りをしている俺を尻目にヤダッ、寝ぼけた王子様が私のテントに……みたいな事をやり始める。
男の俺からしてみれば何の面白みもないイベントだが――いや待てよ、この行軍演習では他でもない、クリスが女性だと発覚するイベントがあったじゃないか。
近くの小川で交代で水浴びする予定になった俺達、クリスの後に自分の順番が回ってきたミリアがうっかり彼女の裸を見てしまうイベントだ。
ということは、クリスの後に俺の順番が回ってくれば。
「アキト君、聞いてるかい?」
「え?」
なんて邪な事を考えていると、殿下に責められてしまう。それだけならまだ良かったものの、え? などという不敬罪まっしぐらの返事をしてしまったせいで隣に立つ姉貴の視線が一層冷たくなる。
「あー……すいません」
頭を下げずに謝罪の言葉を口にすれば、殿下は優しい微笑みを浮かべる。
「よしっ、じゃあ罰としてシャロンとクリスの荷物も君に背負って貰おうかな」
優しさなど微塵もない、無慈悲な命令を下しながら。
「いやそれは流石に」
「アキト」
食い下がろうとした俺の肩を、クリスの小さな手が叩く。
「クリス……」
彼女もまた優しそうな笑顔を浮かべているから、思わず俺も見つめてしまったけれど。しかしこんな状況で心配してくれるなんて、やっぱり俺の親友は頼りになるな。
「武器とか鍋とか多めに持っていけばいいかな?」
堪えてた笑いを吹き出してから、彼女も随分と無慈悲な事を言い出す。違った、こいつも面白がっているだけだったようだ。
「あーもう」
誰が悪いのかと言われれば、それは間違いなく話を聞いていなかった俺なのだけれど。
「やっぱり行きたくねーっ!」
人目も憚らずにそう叫べば、笑い声が聞こえてきた。玩具を手にした子供のように無邪気に笑う殿下を見て、不敬では無いとわかったけれど。
姉貴だけは冷たい目をして、深い溜め息をついていた。
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