SAVE.101-3S:聖女達の邂逅

 私、シャロン=アズールライトには矜持がある――いや、『あった』という方が正しいのかも知れない。


 聖女として認められたその日から、聖女として恥じぬ生き方をする事。例えその先にあるのが、我が身の破滅だとしても。


 子供の頃、不意に明日の天気が解った。次に私が気づいたのは、鮮烈なまでの日々の既視感。勘が良いでは済まないそれに耐えかね、両親にそれを打ち明けた。そして教会に連れて行かれた私は――蒼の聖女と認められた。


 十五歳を迎えたその日、私は一つの未来を……神託を受けた。突如現れた翠の聖女が、ルーク殿下と大恋愛の末に結ばれるという、乙女の見る甘い夢のような未来を。


 そして私に示されたのは、敬愛するルーク殿下から婚約破棄を告げられ、卑しくも翠の聖女への復讐に身を費やし、最後は呪いの言葉を喚きながら断頭台で首を落とされる――そんな最低で救いようのない唯一の未来だ。


 私だけじゃない、家族にだって同じ未来が待っている。いや、貴族として産まれてきた両親ならばまだこの結末を受け入れてくれるかもしれない。


 けれど、アキトは? 拾われてきただけの私の弟は、いつか来る破滅に巻き込まれてしまう。


 だから誕生日のあの夜、私は彼を突き放した。この家から離れても生きていけるだけの強さと正しさを持っていて欲しかったから。嫌われてしまう事は――もう神託で知っていた。


 けれど私に出来るのはそこまでだった。本当は逃げ出したかった、泣き出したかった。どうして私がそんな目にと大声で叫びたかった。それでも私はそうしなかった。いや、出来なかった。


 予知した未来を辿る事が、神託の通り行動する事が――聖女の努めなのだから。




 だが、その日は来なかった。虐げる筈のミリアを相手に、私はなぜか認定式の指導をした。私に冷たい目を向けるはずの殿下は、何故か満足そうな微笑みを浮かべていた。


 その発端は意外にも、弟のアキトだった。相変わらず不真面目で頭の悪いフリをしながら、まるで口笛でも吹くように、あっさりと未来を変えた。


 その鮮やかながらも腹立たしい手際は、今や歴史から姿を消した宮廷道化師を見ているかのようだった。今時のサーカスの笑われ役とは違う。王を笑い王を諌め、王の側に立つ愚者にして智者。ルーク殿下の一言を引き出させた彼の姿が、私の瞳にはそう映った。


「こうしてあなたとお茶を飲むのは……本当に久しぶりね」 


 そして彼の隣には、いつも彼女がいた。十年前に死んだはずの彼女は、気がつけばアキトの側にいた。


「ええ、そうですね」


 冷たい笑みを浮かべながら、彼女がゆっくりと紅茶を啜る。


「今回の一件は」


 口にするのも憚られる話題に、思わず喉が乾いてしまう。少しだけ口を湿らせてから、私は静かに言葉を続ける。


「何か……考えがあったのかしら?」


 カップを持つ手が震えているのが自分でわかる。考え、という言葉ですら生ぬるい。不可能を可能にする事など、絶対に出来ないというのに。


「クリス=オブライエンとしてではなく……クリスティア=フォン=ハウンゼンとして」


 その名前を口にした途端、現実感の無さに卒倒しそうになる。死んだ筈の彼女が目の前に座っているという状況が、まだ理解できない自分がいる。


「『緋の聖女』として」




 ――何のことだと、笑い飛ばして欲しかった。




 私の盛大な勘違いで、ここにいるのはただのクリス=オブライエンという少年だと。


「……未来を変えたかったから、変えただけの話さ」


 彼女はまた冷たい笑みを浮かべていた。幼い頃、ほんの僅かの間だが友人として――同じ聖女として――過ごした王女クリスティア。そんな彼女が生きていたというのに、素直に喜べない自分が嫌になる。この胸を埋め尽くす感情が、得体の知れない物に対する恐怖しか存在しない自分の心が。


「そんな事、出来るはずが……」


 彼女の言葉を汲んで、私は首を横に振った。そう、出来るはずがないのだ。


 きっと全ての聖女がそうしたように、私も未来をほんの少しだけ変えようとした事がある。些細な事は変えられても、大きな流れは変えられない――それが私の出した結論だった。


「でも出来た。君はこうやって今ここで紅茶を飲んでいる……兄から婚約破棄もされずにね」

「それは……」


 それなのに、彼女は出来た。事の発端がアキトの行動だったせいだろうか? しかしそれをここで悩んだ所で答えは出ない……だから私はもう一つの疑問を彼女に問う事にした。


「そもそも、あなたは……亡くなった筈でしょう」

「折角王家から聖女が生まれたんだ……余所にやるより飼い殺しのほうが余程都合がいいと思わないかい? なにせ未来が見えるのだからね」


 クリスティアの出した答えに、私は何も言う事が出来なかった。聖女の利用価値を知っている自分だからこそ、王家がそうしてしまう理由に納得出来てしまうのだ。


 聖女が見た未来は変えられない……それでも、便乗する事は出来る。試験の内容を先に見せられるようなものだ。問題文は変えられなくとも、答えを準備すればいい。それが個人ではなく国という単位で行えるのだ、逃さない手はどこにもない。


「私はね、シャロン。思うんだ」


 右手をじっと見つめてから、クリスティアは静かに言葉を続けた。


「本当はこの聖女の力を……自分のために使うべきだって」


 彼女は嗤う。自分の境遇を、聖女の力を。幼い頃に見た無邪気な笑顔は、もうどこにも見当たらない。


「そんな事……許される訳ないでしょう」


 首を横に振りながらも、私は彼女の言葉を否定しきれなかった。もしあんな未来を選ばないで済むのなら――そう思ったのは一度や二度ではない。一頻り悩んだ後の答えはいつでも、聖女としての矜持だった。


 聖女だから、未来を変えてはならない。聖女だからこそ、自分の未来を変えてしまいたい。


 相反する二つの考えを抱えながらも、私は今ここにいる。


「誰が裁くのかな? 十年前に死んだ私を……それに君にとっても悪い話じゃないだろう。今までの努力が無駄にならず、家の名誉も守られ兄さんとも結ばれる。むしろ一番得をしているのは君じゃないのかな」

「……否定はしないわ」


 ここでこうして会話している事こそが、今回の一件で私が救われたという証左だった。ルーク殿下に捨てられなかったというだけで、私の心はどれだけ幸福で満たされた事だろうか。


「けれど私は蒼の聖女……私情に流されるつもりはないわ」

「つもり、ね」


 捉えられた言葉尻こそ、否定する事は出来なかった。なぜなら私は既に私情に流されてしまっているのだから。あのアキトにミリアの世話役にさせられた事……もっと言えば、彼に勉強を教えてほしい等と言われた事。本当に未来を守るならば、弟なんて無視するべきだったというのに。


 だからこそ、私は決意する。もし歪んだ現状を正せる機会があるのなら、どんな手段も厭わないと。例え自分の命でさえ投げ捨てたとしても。


「まぁ、君の好きにしたらしいさ」


 クリスティアの目は相変わらず冷たいままだった。懐かしさなど微塵も残っていないその瞳に、また新たな疑問が生まれる。


 ――なぜ彼女は一体何のために、私の婚約破棄を無かった事にしたのだろう、と。


「一つ聞かせて。あなたは何のために未来を変えるの? 私を救いたい訳ではないのでしょう」


 彼女には私を救う理由がない。今回の一件で一番利益を得たのが私というなら、何も得をしなかったのが彼女だ。何のため、誰のため? 幾ばくも悩まないうちに、遠い目をした彼女がゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「ねぇシャロン、君が見た未来だと……ミリアのお相手は誰だったかな」

「ルーク殿下よ」

「だろうね。そしてミリアもそう信じている」

「……質問の答えになってないわ」

「なってるんだよ、シャロン」


 私を真っ直ぐと見つめながら、語気を強めて彼女が言う。


「ミリアの相手が彼じゃないなら、それだけで十分なんだ。だけど、私は……」


 これ以上聞き出せる事はもうないのだろう――そう思った矢先に、彼女は残っていた紅茶を飲み干した。そして立ち上がるや否や、仰々しい一礼をしてみせた。


「ごちそうさまシャロン様、『僕』はこの辺でお暇させてもらいますよ」


 クリスティア=フォン=ハウンゼンの時間はここまでだと告げる、わざとらしいまでの丁寧な挨拶。私の許可を待たずして立ち去る彼女が、一つだけ言い残す。


「……アキトによろしく」


 友人の見舞いに来たという体裁を、少しでも保つかのように。

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