SAVE.103:彼女達のダンス&デート⑤

 あれよあれよという間に、迎えたダンスパーティ当日。校舎の別館二階にある綺羅びやかなダンスホールには、ルーク殿下主催という事もあってか大勢の生徒達が集まっていた。


 まさしく貴族社会の縮図といった光景で、派閥同士で集まったり挨拶回りに翻弄したり、将来の伴侶を見つけようと目を血走らせたり。時間が経てば嫌でもやる羽目になる事を学生のうちからやるだなんて、呆れるぐらいに真面目な連中ばかりである。


 俺はと言えばダンスホールから扉一枚隔てた所にある、中庭を見下ろせるテラスでそんな景色をぼんやりと眺めていた。


 と、ここで人影を察知した俺は支給された剣に手をかける。だがその顔を見た俺は思わずため息をついてしまった。随分と機嫌の良さそうなルーク殿下だったからだ。


「やあアキト君、今日は警備をよろしくね」

「任せて下さい、このテラスは死守しますよ」

「もしかしたら壁をよじ登ってくる連中がいるかもしれないからね、よろしく頼むよ」


 相変わらずの笑顔を浮かべて、冗談を言う殿下。俺がサボりたくて誰も来ないようなこの場所を陣取っているぐらい分かっているくせに、言うじゃないかこの人は。


「それでどうだった? ダンテとミリアの様子は」

「あー……芳しくないようですね。ダンテは結構本気みたいですけど、ミリアは興味ないというか。ちなみに正直に言いますが、俺とクリスが何かしたって話じゃないですよ」

「だろうね」


 そんな事はわかっていたとでも言いたげに、殿下は大きく頷いた。


「けど報酬はちゃんと渡そうかな。さっきは随分と落ち込んだダンテが見れたからね……大方ミリアに今日のパートナーを断られたのだろう」

「報酬って……ああ、聖女様の秘密でしたね」


 そんな約束を交わしていたなと、今更になって思い出す。この間の件で疲れ切ってしまっていたせいで頭の片隅に追いやられていたが、いざ切り出されると気になってしまう。


「この間は脅しすぎたけど、安心していいよ。君は将来僕の義弟になってもらうんだからね」


 含みのある笑顔を浮かべる殿下に思わずたじろいでしまう。


「その義弟ってどういう意味なんですかね」


 殿下は返事の代わりにわざとらしく肩を竦めた後に、テラスの手すりに背中を預けて語り始める。どうやら俺からの質問は答えてくれないようだ。


「王族も教会も欲している聖女の力、君は何だと……いや、謎掛けはやめようか」


 星が瞬く夜空を見上げながら、殿下は静かに言葉を続ける。


「聖女はね、未来が視えるんだ」


 ぽつりと、零すように殿下が呟く。


「未来が、ですか」

「ああ、神託……だなんて言われてるね」

「それは随分と……利用価値がありそうですね」


 利用価値がある? 何をとぼけてるんだ俺は。それの価値は俺が一番知っているじゃないか。


「当然さ。何が起こるか知っていれば、国の繁栄も宗教の拡大も思いのままさ」


 ああそうだ、何が起こるか知っていれば思いのままに変えられる。他人の未来だって簡単に変えられるんだ。人の死をなかったことにだって――。


「醜いだろう? 皆の大好きな伝説の正体なんてそんなものさ。王族との愛の物語も、教会による御大層なお題目も……全てその力を手に入れるための方便さ」


 自嘲するように彼は作り笑顔を浮かべた。この人はずっと誰かに知ってもらいたかったのだろう。自分達の浅ましさを、この世界の汚さを。


「ルーク殿下」


 少女の小さな肩に世界を預けるのは、お話の中だけで十分だ。だからこそ、平然とそれをやってのけるこの世界は歪んでいるのだろう。治世の一端を担う彼が醜いと吐き捨てるくらいには。


「なんだい?」


 けれど俺は知っている。この世界がそんなに悪いものじゃないって事を。例えばそう、こうやって自分の愚かさを嘆く優しい王子様がいる事や、あそこで頬を膨らませてその王子様を待っているいじらしい聖女様とか。


「パートナーがお待ちですよ」


 姉貴を指差せば、殿下の表情が明るくなった。それだけで自分がしてきた事は、間違いじゃなかったように思えた。


「おっといけない、聖女様が僕をお待ちだ」


 ゆっくりと姉貴の元へと向かう殿下。だが足を止めて振り返る。今度は俺の目を真っ直ぐな眼差しで見据えながら。


「アキト君」


 殿下は自分の開いた右手をじっと見つめると、強く強く握りしめた。


「僕は王になるよ。聖女も血筋も関係ない……僕自身の我儘のために」


 そこにいつもの彼は居なかった。


「僕の大切な人には、一人残らず幸せになって欲しいからね」


 全部解ってるような微笑みも、人を茶化して面白がるような面影も。ただ決意を新たにした、王を目指す一人の男がいるだけだった。


「改めて……手伝ってくれるかい?」


 だからこそ俺は笑った。失礼なのは十分承知しているが、ここで笑うのが俺の役目だ。そんな肩肘張らなくたって貴方ならそれが出来るでしょう、と。


「断ったって、俺はもう引き返せないところに居るんでしょう?」

「解っているじゃないか、聞くまでも無かったかな?」


 そのまま殿下はその場を後にする。今日のダンスのお相手である、シャロン=アズールライトに向かって。 


「その時こそ君は、僕の義弟になってもらうからね!」


 最後に声を張り上げて、どうしようもない言葉を残してからだが。


「それはもう聞きましたよっと」


 誰かが返す当てのない言葉を呟けば、そのまま夜の空気に溶けていったような気がした。それからぼんやりとダンスホールを眺めていれば、さらに人が集まり始める。


 平和と呼ぶに相応しい景色がそこにはあった。貴族の子供が親達の真似をする、どこか滑稽な景色が。けれどそこには姉貴がいて、殿下の隣で少女みたいに笑っている。そんな光景が、それを見ている自分の事が、存外悪くないものだな、なんて思いながら。


「これはまた、随分な場所を警備しているね」


 パーティが始まって少し経てば、誰も来ないと思っていたテラスに二人分の飲み物を手に持ったクリスが現れた。もう休日の時の姿は見納めだったが、それでも月明かりに照らされた彼女の姿は綺麗だった。


「……安心しろクリス、ある筋からのお墨付きだ」


 自分の感情を誤魔化すように咳払いを一つしてから、『殿下』の宝刀をしたり顔で抜いた俺。もちろん返ってきたのはいつもの呆れたようなため息だったが。


「『ある筋』って言えば何でも許される訳じゃないんだからね?」


 相変わらず説教じみた事を言いながらも、柑橘系の果物で香り付けされた炭酸水を差し出してくれるクリス。俺は無言でそれを受け取ると、乾いていた喉を濡らすようにグラスを傾けた。


「踊る?」


 むせた。


 いきなり何を言い出すんだという言葉は咳込んだせいで出てこない。はいかいいえか、悩んだ末に出た答えはどちらでもなく。


「踊るぐらいなら、こっちの方が大分マシだな」


 腰から提げた剣の柄を叩けば、クリスにも意図が伝わる。俺達は踊るより、こっちの方が柄に合っているのだから仕方ない。


「最初に会った時もこれだったね」


 懐かしい話をクリスが持ち出す。そう、俺とクリスは初めから仲が良かった訳じゃない。


「そっちが突っかかって来たんだろう?」

「いいや、君が余りに不甲斐なかったから襟を正してやろうとしたんだ」


 事の発端はこうだ。あの完璧聖女のシャロン=アズールライトの弟が入学してくる……なんて湧いていた生徒達に突き付けられたのが、他の誰でもない不真面目でやる気のない俺だ。授業態度も悪く今よりもサボりが多い……そんな俺に腹を立てたクリスに決闘を申し込まれた、という顛末だ。


 して勝敗はというと。


「……まぁ、負けたのは僕だけど」


 俺の勝ちだった。クリスが弱かった訳でも、鍛錬が足りなかった訳でもない。ただ当時の俺は『武門の名門アズールライト家に泥を塗るような試合をしたら私が直々に息の根を止めてやるわよ』という発破をかけられた状態だっただけの話だ。


 情けなければ色気もない、そんな馴れ初めが俺達には丁度いいように思えた。


 そのまま無言で並んでグラスを空にすれば、突然会場がざわめき初めた。雰囲気から察するに剣が必要な事態ではなさそうだったが、この状況で突っ立っていて良い訳じゃない。


「行こうか」


 クリスの言葉に無言で頷き、ダンスホールの中へと入る。人だかりを割って進めば、中心には殿下と姉貴と……ミリアがいた。


 ダンスパーティに突如現れる、真っ白なドレスに身を包んだミリア。慌てて駆け寄る王子様が、静かに彼女と向かい合って。


 この光景を覚えている、ずっと前から知っていたんだ。やり直したからじゃない、ゲームという記憶の中にあったものだから。


「ミリア、そのドレスは……どういうつもりだい?」


 彼女が着ているドレスに見覚えがあった、いや忘れる訳はない。あれはあの店に飾られていた、美しい純白のドレスなのだから。今になってそれを思い出す自分の間抜けさが堪らなく憎らしい。


 けれど、違うものがある。ゲームでのミリアはルーク殿下に手を伸ばされ、優雅にダンスを始めていた。だがここにいる彼は、ルーク=フォン=ハウンゼンは。


「えっと、教会の方から頂いて……街で私が気に入ったのを」




 ――激怒していた。




「そういう事を言ってるんじゃない!」


 ミリアに差し伸べる筈の右手は、勢い任せに空を切る。慈しむべき眼差しは、怒りに満ちあふれている。甘い誘いは怒号となって、会場にいる全てを黙らせた。


「でも、今日はこれを着なきゃ」

「つまみ出せ」

「あの、ルーク殿下」

「……つまみ出せと言ったんだ、僕は!」


 泣きそうな声で弁解を始めるミリアだったが、それはもう遅すぎた。怒りに満ちた彼の命令が下されると、近くにいた殿下の護衛がミリアの腕を掴む。


「おかしいですよ、ルーク殿下……この服だって本当はあなたが贈ってくれる筈だったじゃないですか」


 引きずられるようにミリアが遠ざかる。それでも静まり返ったホールには彼女の声がよく響いた。


「亡くなった妹のために誂えたものを、せめて私に着て欲しいって!」


 殿下は無言でミリアを睨み、姉貴はただ物悲しそうに俯いて。


「間違ってますよ……あなたも、そこの女も!」


 大声で、金切り声を混じらせながら彼女は叫んだ。


 言葉に籠もった濁った感情が肌を通して伝わってくる。怒りじゃない、悲しみでもない。彼女が何を伝えたいのか、俺には、俺だけは理解できる。


「こんなのは」


 やり直した。婚約破棄だなんてふざけた景色から逃れるために。


 繰り返した。姉さんの死を無かったことにするために。


 間違えたとは思っていない、これで良かったと俺は言える。けれどその度に歪んでいったのだろう。この場所が、この箱庭のような世界が。


「こんなものは」


 だから。




「……私の知ってる世界じゃない!」



 

 それは世界を否定する、恨みに満ちた呪いの言葉だった。

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