SAVE.103:彼女達のダンス&デート①
約束というのは往々にして守られないものである。ちなみに俺の場合は『茶会が終わったら解放してやる』という姉貴との約束だった。
「1、2、3! 1、2……そこっ、もっとターンを早く!」
たどたどしい足取りでダンスを踊るミリアに姉の厳しい檄が飛べば、バイオリンの音が止まる――さてここで問題です、ミリアのダンスの相手は誰でしょうか。
俺……は当然不正解だ。姉貴に『あんたと踊るぐらいなら猿と踊った方がマシ』とまで言われた俺に白羽の矢が立つ筈もない。ダンスだけは勉強やマナーとは違って、昔から出来なかった事の一つだ。彼女に言わせれば『絶望的にリズム感がない』らしい。なので今日の俺は姉の『3』に合わせてトライアングルを叩く係だ――いらないだろこの係。
クリス、も不正解。文武両道才色兼備の親友がダンスを踊れないなんて事はないのだが、その多彩さ故か今日の彼女はバイオリン係だ。所謂貧乏くじを引かされるとはこのことだろう。
「少し休憩しましょうか。ミリアさん、まさかあなたがこれ程とは思わなかったわ……殿下もよろしいですね?」
殿下、となればこれはもうルーク殿下、とはいかないのが今日の問題だ。
「おいおい、殿下じゃ誰かわからないだろう?」
第一王子兼生徒会長という多忙を極める彼にミリアを指導する余裕などない。というわけで正解は。
「……ダンテ殿下も」
第二王子ダンテ=フォン=ハウンゼン殿下でした。
――なんで?
ダンテ=フォン=ハウンゼンもまた、異母兄のルークとはまた違ったタイプの『王子様』だ。
伸ばした黒髪を後ろに流し、母親似の浅黒い肌に高い鼻、少し垂れた目の下には極めつけの泣きぼくろ。勉学はさっぱりだが、一度流し目でウィンクすれば黄色い悲鳴を上げない女性はいない。そのくせ本人も女好きと来れば、学園を練り歩く彼の周りはいつも美女で溢れている。まぁ流石にこの場所に連れてこないだけの分別は持っているが。
そんな馬鹿で遊び人の放蕩王子……それがダンテ=フォン=ハウンゼンの一般的な評価である。
「それにしてもシャロンちゃん、厳しすぎない? ミリアは良くやってると思うけど」
「ちゃん……?」
袖口で額の汗を拭いながら軽口を叩くダンテ殿下を、姉貴の鋭い目線が射抜く。普通の女性ならそれで良いかもしれないが、姉は残念ながら普通の女性ではないのだ。
「……シャロン先輩」
一応及第点だったのか、姉が眉間に皺を寄せながら返事をする。ちなみに年齢の話をすれば、ルーク殿下と姉貴が最上級生で、ダンテ殿下と俺とクリスとミリアがその一つ下の学年だ。
「どうやらダンテ殿下は聖女がどれだけダンスを踊らなければならないのかご存知ないようですね。そしてたった一つでも失敗すれば、いえ失敗なんてしなくとも陰口を叩かれる……この指導はミリアにとって必要なのです」
刺々しさを隠そうともしない姉貴の言葉に思わずダンテ殿下がたじろぐ。学園としての呼び方をしたダンテ殿下に、あえて王族に対する口調と敬称を使う姉貴。馴れ合う気は無いという意味を込めるには十分すぎる返答だ。
「それにこの程度、厳しさのうちには入りません」
極めつけは戸でも閉じるかのように言い放った否定の一言。もはやダンテ殿下に言い返せる言葉はないだろう。
「なぁアキト、君のお姉さん厳しすぎないか?」
なんて事を考えていたら、ダンテ殿下が耳打ちをしてきた……本当に馴れ馴れしいんだなこの人は。
「喜んでくださいよダンテ殿下、将来はあなたの義姉にもなるんですから」
「そいつは……今から楽しみだな」
少しも楽しみではなさそうな苦笑いを浮かべるダンテ殿下。彼もこれから先シャロンが義姉という同じ苦しみを味わうかと思うと、ほんの少しだけ親近感が湧いてきた。
「お前の目から見てミリア嬢のダンスはどうだった? いい線行ってたろ?」
「お言葉ですがダンテ殿下、俺がどれだけダンスが下手くそかご存知ないようですね。他人の良し悪しなんてわかるとでも?」
「そこはご存知無かったかな」
期待に添えず申し訳ないが、ダンスの素養が無いのに良し悪しなどわかるはずもない。軽口で答えれば返ってきたのはわざとらしく肩を竦めるダンテ殿下の姿だった。
「……なぁ、同い年なんだしその殿下って言うの止めてくれないか? せめて学園にいる間だけでもさ。知らない仲でもないだろう?」
思い出したような顔をしてから、ダンテ殿下がそんな提案をして来た。不敬罪の三文字が頭を過ぎったが、この場合どう答えても不敬な気がしたのでそれ以上考えるのはやめた……というか知らない仲だと思うんだけどな。
「あ、アキトお前もしかして……オレのこと訓練でボコボコにしたの忘れてるだろ?」
「え? やだなぁ王族をボコボコになんて」
するわけ無いだろ? とクリスに助けを求めるべく視線を向けるが返ってきたのは大きなため息。
「したよ、去年の終わりぐらいに。それはもう完膚なきまでに」
「いやー、あの時以上に自信を失った事は無かったな……これでもオレ、腕の立つ方なんだぜ?」
――まずい、本気で覚えていない。
戦闘訓練中に腕自慢から挑まれる事なんて山程あるんだ、きっとそのうちの一人だったのだろう。ちなみにそういう時は二度と歯向かう気が起きないよう叩き潰せというのが義父の教えだ。アズールライト家が悪いよアズールライト家が。
「あー……」
なんて言い訳を姉貴の前で口に出せる筈もなく。
「ダンテ、改めてよろしくな」
かくなる上は、無理やり話題を元に戻す。取ってつけたような笑顔を浮かべて右手をダンテに差し出せば、随分と強く握り返され、おまけに引き寄せられてしまう。
「よろしくなアキト……せっかく出来た男友達だ、逃げられると思うなよ?」
なんて嬉しくない言葉を耳元で囁かれる。ああ女友達しかいないもんな、という失言は当然漏らさない。
「すいません、皆さんにご迷惑をおかけして」
ようやく息を整え終えたミリアが、至極まっとうな事を言い出す。姉貴による聖女様向けのお行儀教室は今や随分と大所帯だ。
「気に病むなよ、こうして君とお近づきになれたんだからさ」
さっきまで俺の隣にいた筈のダンテが、気づけばミリアの手の甲にキスをしていた。光の速さで女の所に行くから男友達がいないんだろ、とつい言いたくなってしまったが考えるのは別の事だ。
この台詞ゲームで聞いた覚えがあるな、と。
「あ、いえ、私なんかそんな……」
ミリアは若干頬を引きつらせながら精一杯の謙遜をする。おかしいなここは頬を赤らめながら恥ずかしそうに体を縮こまらせて……そんな考えが巡った瞬間、ダンテがここにいる理由に思い至った。
彼の目的はミリア……翠の聖女とお近づきになる事だ。彼女がダンテの婚約者となれば王になる事も夢ではない、というかゲームでは正にそうなるのだ。
倉庫から救出されたミリアは、事件の翌週に行われる学園のダンスパーティに向けて友人たちと練習する事になる。そこに突如現れたダンテがさっきの台詞を言い放つ。それからミリアは徐々に彼が気になり始め、胃もたれしそうな甘いイベントやそこはかとなくシリアスなイベントを経てハッピーエンドだ。
いや待て、ダンスパーティ? 翌週って来週か?
「アキト、何でダンテ殿下がいるのかって顔してるね」
「ああ、そうだな……」
クリスが声を掛けてくれるが、俺の頭は来週のダンスパーティで一杯だった。え、踊るのかこの俺が。ミリア以上に練習が必要なんじゃないのか。トライアングル叩いてる場合か?
「実はルーク殿下から提案されてね。ほら、あんな事があったばかりだろう? だから聖女様には護衛を付けようという話になって……選ばれたのは僕と君とダンテ殿下って訳さ」
去年はどうしていた、思い出せアキト=アズールライト……サボってたな、うん。今年は、無理だろトライアングル係をしておいて当日いませんは許されない。腹痛か、それとも風邪か? 何にせよ仮病で休むには数日前から伏線を――。
「ねぇアキト、僕の話聞いてる?」
クリスの指先が俺の制服の襟をつまんでいた。少し上目遣いで頬を膨らませて、自分の不機嫌さを精一杯教えてくれるその姿に、俺は目を背けるぐらいしか出来なかった。理由はまぁ、言うまでもないだろう。
「ああ、ダンスパーティの話だろ?」
「……全然聞いてないね」
聞こえてくる彼女のため息。仕方ないだろ取り繕う余裕なんて無かったんだから。
「そのダンスパーティの話をすると、君は僕と一緒に警備担当だよ?」
「本当か!?」
俺は思わずクリスの右手を両手で掴む。踊らなくていいなら警備なんて屁でもない、なんなら一晩中出入り口の前で突っ立っていてもいい。
「……よ、喜んでくれて何よりだよ」
クリスのくぐもった声が耳に届いた瞬間、急いで自分の両手を離した。いや今のは俺が悪かった、いきなり手を掴むのはあんまりじゃないか。
怒ったかなと思いつつ、横目でクリスの方を見る。彼女はもうそっぽを向いていたが、真っ赤に染まった耳は確かに見えていた。
と、ここで姉貴のわざとらしい咳払いが響く。どうやらお時間が来たようだ。
「さて、休憩はもういいわね」
俺達は反論などせずに、いそいそと各自の持ち場へと戻った。ダンテとミリアは中央に立ち、それを鋭い目で見張る姉貴。クリスはバイオリンを構え、俺はトライアングルを――いるか、これ?――を構えたその瞬間。
「あの……アキト=アズールライトさんはいますか? ルーク殿下がお呼びなのですが」
突如現れたその辺の女子生徒に、いきなり呼び出しを喰らってしまった。
ほら、やっぱりいらないだろトライアングル係。
◆
「やぁ、アキト君よく来たね」
「いいえ殿下、少しもよくありません」
例によって呼び出された生徒会室で、俺は早速文句を口にした。普段なら不敬罪に問われかねない態度だが、今の俺にはそれを言うだけの権利があるのだ。
「暇そうだって聞いていたけど?」
殿下は走らせていたペンを机上に置いて、首を鳴らしながら殿下が嘯く。
「一心不乱にトライアングルを叩いてましたが、『ルーク殿下に呼ばれた』というだけで姉に死ぬほど睨まれるには十分すぎる理由ですので」
姉貴に睨まれるという恐怖を是非とも殿下にも味わって欲しい物だが、残念ながらその日は来ないだろう。もっともそんな日が来れば、この国もいよいよ終わりかも知れないが。
「それはつまり」
殿下は腕を組み直し、真剣な顔をして言葉を続ける。
「僕の婚約者が……可愛すぎるって事だよね」
――よし、帰ってトライアングル叩くか。
「じゃあ俺はこれで」
「ごめんごめん、今のは悪ふざけが過ぎたね」
心優しい殿下の微笑みに免じて、俺はわざとらしい大きなため息一つで許す事にした。
「勘弁してくださいよ……殿下を諌める忠臣の役なんて俺には向いてないんですから」
「ん?」
「え?」
とぼけた表情で首を傾げるルーク殿下。ん? っていうのはもしかすると、勝手に俺の将来設計をしているという事かも知れない。まさかね、重要職の縁故採用してないよな。してないだろうな?
「まぁ君の卒業後の進路は一旦棚上げするとして……実は頼みがあってね」
「姉貴絡みなら今度こそ帰りますよ」
棚上げする前に殿下の魂胆を聞いておきたいところだったが、話が進まないので仕方ない。
「なら良かった、話を続けようか……なぁに、男女の仲を取り持つのが得意な君にはぴったりな頼みごとさ」
「そんなつもりは無いんですけどね」
勝手に人を恋の天使にされても困るのだが、殿下は相変わらずの微笑みを浮かべながら話を続ける。
「実は弟……ダンテとミリアの仲を」
また王子様と聖女様絡みかよ、なんて思ったのも束の間で。
「ちょっと引き裂いてくれないかな?」
殿下は天使のような笑顔を浮かべながら、悪魔のような頼み事をしてきた。
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