SAVE.EXTRA:青い、蒼い空のような③

 シャロン=アズールライトを『姉貴』と呼ぶようになった日の事はよく覚えている。それは忘れもしない彼女の十五歳の誕生日、盛大なパーティの夜に変わったのだから。


「アキト、ちょっといいかしら」

「どうぞ」


 ノックよりも早く聞こえてきた彼女の声に、俺は驚きを隠せなかった。夜半に人の寝室の前に立つという行為を彼女は良しとしなかったし、何より人の部屋の扉を叩かないという無作法を彼女は許さないからだ。


「珍しいね、姉さん。こんな時間に」


 この頃ともなれば、俺は自然とアズールライト家の一員として過ごすようになっていた。この家に来てから四年、本当の家族のように接してきた。


「少しぐらい良いでしょう、私の誕生日なんだから」


 扉を開けて来た彼女は、藍色の寝間着に丈の長い白のガウンを羽織っていた。誕生日という単語とは裏腹に、暗い表情を浮かべていた事を今でもよく覚えている。


「それで姉さん、何か用事? それとも誕生日プレゼントが気に入らなかったとか……」

「馬鹿ね、あなたにしては悪くなかったわよ」


 彼女は促されるまでもなく、ベッド脇の小さな椅子に腰をかけた。それからカーテンの隙間から、星が瞬く夜空を覗いた。


「アキト、私は間違えてしまったわ」

「何を?」

「……あなたの教育よ」


 突然の宣告に思わず身震いをしてしまった俺。当時の俺は品行方正とまではいかないものの、それなりに優秀で真面目だったからだ。教育の失敗なんて、思い当たる節はどこにもなかった。


「俺、今日何かやらかした?」

「……別に」


 もしかしたら今日の誕生日の事では、と思ったものの、すぐに否定されてしまった。それでも彼女は変わらず窓の外を眺めながら、静かに言葉を続けた。


「でもね、私はもう決めたの……あなたには今まで以上に厳しくするって」

「何だよそれ」


 納得など出来る筈もなかった。唐突に、今まで間違えたから今後は厳しくする、だなんて言われて頷ける十四歳なんてこの世にはいないだろうから。


「アキト」


 彼女の目が、ベッドに腰掛ける俺の姿を真っ直ぐと射抜いた。


「あなたは、誰よりも強く在りなさい。どんな困難が待っていようとも、正面から打ち破れるぐらいに」


 淡々と彼女が告げる。


「あなたは、誰よりも賢く在りなさい。どんな理不尽に見舞われようとも、抜け道を見逃さないぐらいに」


 強くあれ、賢くあれ。たった二つの真摯な彼女の願いの意味ぐらいすぐに理解できた。


「……それだけが、私があなたに望む事よ」


 それでも俺には納得できなかった。言葉の内容じゃない、その言葉の意図に、だ。


「……嫌だ」


 どうして突然そんな事を言うのか、なぜ厳しくするだなんて言い出したのか。


「何でそんな事言いだすんだよ……」


 逃げるように、俺はベッドに潜り込んだ。無理やり体にかけた毛布は、まだ夜の冷たさが残っていたのを覚えている。


「決めたことよ」


 冷たく、今にも泣きそうな声で彼女が告げる。それが決意の重さを表している事ぐらい俺にはわかっていたけれど。


「俺が孤児だからか?」


 心無い事を言ってしまった。わかっていたくせに、この家の誰もが俺をアズールライト家の長男として扱ってくれているなんて、俺が一番わかっていたくせに。


「そうだよな、素性のはっきりしないガキなんてどれだけ頑張っても立派な貴族様にはなれないもんな」


 他でもない彼女に突き放された事が、悔しくて悲しかった。否定して欲しかった、だけど。


「……っ」


 姉貴は言葉を詰まらせていた。顔を見れば泣いている事に気づけただろう、優しい人だってわかっていただろう。何も言わずじっと耐える――自分の責任を果たしているかのように。


「だったら俺はそうならない、姉さんが望む俺になんかならない」


 だけど俺は……子供だった。何かを抱えている彼女に甘えたくて、仕返しのように突き放した。


「……おやすみ、『姉貴』」


 それから精一杯の反抗心を込めて、彼女の事をそう呼んだ。


「……あなたがそう言うって、あなたが私をそう呼ぶって」


 寂しげで、今にも泣き出しそうな彼女の声の後に、部屋を出る彼女の足音が聞こえた。




「知っていたわ」




 去り際の一言だけが、耳の奥で木霊していた。

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