SAVE.102-83:蒼の聖女とセーブ&ロード⑥

 体を揺らされ、ようやく重い瞼を開く。飛び込んできたのは心配そうなクリスの顔と、冷静なルーク殿下の表情だった。


「殿下、なんで……」


 まだ上手く回ってない頭を押さえながら、精一杯の疑問をそのまま言葉にする。


「あのねぇ、気絶した人を運ぶのって重労働なんだよ? 僕一人で運べる訳ないじゃないか」


 呆れたように首を振りながら事実を口にするクリス。そんな当然の事も思いつかないぐらい、思考が鈍ってしまっていたらしい。


「それにシャロン様が捕まってるんだろう? 今回も『これ以上にない人選』だと思うけどね」


 その言葉でようやく自分の置かれた状況を理解出来た。クリスに肩を借りるも気を失ってしまった俺は、更に殿下の手を借りて倉庫近くまで運ばれてきた、という訳だ。


「……そうだ、姉さんは」


 ゆっくりと立ち上がろうとしたところ、また転びそうになってしまう。だが今度はクリスと殿下二人がかりで支えてくれた。


「微かだが、何やら会話が聞こえていた……大丈夫、捕まってるだけだよ」


 声を潜めながら殿下が状況を説明してくれる。


「生きて」


 自分で言葉にした瞬間、力が抜けていくのがわかる。また倒れそうになるが、今度は背中にあった壁に身を預ける事が出来た。


「そっか、生きて……」


 心の底から安堵する。数え切れない程やり直した先に掴んだ、たった一つの可能性。


 だが『間に合った』とはどうしても思えなかった。むしろ時間という観点では何度も繰り返した時より余程遅れているはずなのに。


 だが今はそんな事はどうでもいい、重要なのはまだ姉さんが死んでいないという事実だけだ。


「急が、ないと」


 ようやく巡ってきた千載一遇の機会を無駄にする訳にはいかない。逸る気持ちをそのままに前へ進もうとするものの、今度は殿下に止められる。


「落ち着くんだアキト君、気付かれてしまえば全てが台無しだ」


 殿下の言葉を聞いてまだ自分の頭が上手く回っていない事に気付かされる。殿下の冷静さに救われた……そう思って彼の右手を見れば、爪が手のひらに食い込みそうな程強く握りしめていた。


「声からして女生徒のようでしたね……殿下、心当たりは?」

「ない、と言えれば良いのだが……逆だね、ありすぎるんだ僕達は」


 クリスの言葉に皮肉っぽく答える殿下。表立って反発するような連中は少ないだろうが、水面下では様々な思惑が渦巻いているのが貴族という生き物だ。王族に聖女ともなれば、そういう類のものは数え切れないだろう。


「まあ、素性は後回しですね」


 そう言いながらクリスはいつも腰から提げている細剣に手をかける。


「アキト、ここで休んでいても」


 彼女の提案に俺は無言で首を横に振った。きっとこんな状態の俺がついて行っても、大して役には立たないだろう。だがここでじっとしていられるなら、何度もやり直してなんかいない。それに今は何よりも――姉さんの顔が見たかった。


「そうだったね、君はそういう男だ」


 その言葉で少しだけ心が軽くなった。姉さんが生きてて、助けられる。だったら俺が動かない理由はどこにもない。


「アキト君、クリス。静かに……そして一気に行こうか。誰の婚約者に手を出したのか」


 倉庫を睨みながら、殿下が護身用の短剣を取り出す。


「その身をもって、思い出させてやろうじゃないか」


 刃に写った彼の目は冷たく鋭く、押し殺した怒りを表わすかのように鈍い光を放っていた。


 



 足音を殺しながら、倉庫の扉へと辿り着いた俺達三人。殿下の言った通り会話が外に漏れていた。


「……シャロン様、わかっているのでしょう? 間違えているのはあなたの方だって」

「そうですよ、あなたのお役目は我々を正しい未来へと導く事なのですから」


 聞こえてきたのは二人の声。姉さんの声は聞こえないが、その息遣いが聞こえてくる。俺達は顔を見合わせながら互いに頷く。


「行こうか」


 その一言が号令だった。前を行く殿下とクリスが勢い良く扉を蹴破る。倉庫に響いた轟音に驚いた女生徒二人、それに対峙する姉さん。


 生きていた、生きていてくれた。俺に居場所をくれた人が、まだこの世界にいる――それだけで何度も繰り返した悪夢が無意味じゃなかったと胸を張れる。


「……姉さん!」


 彼女に飛びかかり、盾になるように両肩を掴む。手のひらから伝わる彼女の体温が、俺にはただ嬉しかった。


「動くなっ!」


 凛としたクリスの声が響く。振り返れば彼女の細剣が茶髪の女生徒の喉元に突き付けられている。もう一人、金髪の生徒はルーク殿下の短剣に手の甲を切りつけられている。少し遅れて彼女の握っていた短剣が床に落ちる音が聞こえた。


 その瞬間、全身の力が抜けた。


 ――できた、救えたんだ俺は。あの最悪の結末を変える事が出来たんだ。


「良かった、生きて、本当に……」


 項垂れながら言葉が漏れる。それ以外の感情なんてもうどこにも無かった。


「あのねぇ、アズールライト家の長女がこんな相手に遅れを取るわけ無いでしょう? ちょうど片付けようとしたところよ」


 何事も無かったかのように、姉さんは気丈に振る舞う。けれどそれが嘘だと俺は何度も思い知らされていた。


「今ぐらい、そんな嘘はつかないでくれよ……」


 ふとそんな言葉が漏れていた。それを聞いた彼女はいつかのように優しく微笑んでくれた。


「敵わないわね、アキトには」


 それから少しだけ悪戯っぽい笑顔を浮かべて、余計な一言を加えてきた。


「それにしても……久しぶりに『姉さん』って呼んでくれたわね」


 そうだった、のかもしれない。俺は気恥かしさを紛らわすように咳払いをしてから、わざとらしく両手を広げて首を振る。


「気のせいだろ、『姉貴』」

「何だよ、やっぱり仲が良いじゃないか……」


 なんて様子を見ていた殿下が、口を尖らせながら子供みたいな不満を口にする。


「あー、ご歓談中申し訳ないけど……この二人はどうしましょうか」


 そしてその様子を見ていたクリスが、ようやく本題を切り出してくれた。


「わ、私達は命令されて」


 怯える茶髪の女生徒が、震えながらそんなありきたりの弁解を始める。そんなものに耳を貸す価値は無いと判断したのかクリスが更に細剣を突きつける。


「だろうね。王子の婚約者にそんなものを向けるだなんて、自分の頭で物事を考えられない証拠だ」


 その言葉は細剣の刃以上に彼女達を突き刺していた。彼女達の命以外の全てが失われてようやく、一番甘い罰と釣り合うだろう。


「ちが、これは」

「君たちは確か……マリアンヌ=フェレールとクロエ=ラシーヌだったね」


 首を振り否定し始めた二人に、殿下がその名前を呼んだ。


「殿下、私達の事を」


 自分の名前を知っていた事に喜んだのか金髪の女性との声が明るくなるが、そのおめでたさに思わず頭が痛くなってしまう。知っている事がそのまま味方になるだなんて、随分と甘やかされて生きてきたのだろう。殿下は、この国の第一王子はそんな男ではないというのに。


「どちらの家も地方の子爵家で……敬虔な聖光教会の信徒だ」


 聖光教会という単語を聞いた瞬間、女生徒二人の顔が一瞬で青ざめる。最早白状させる必要もない。やはりというべきか、裏で糸を引いているのは教会だ。理由は――姉貴を排除しミリアを王家に輿入れさせたいのだろう。


 乙女ゲームの悪役令嬢が、いつかどこかでそうしたように。


「流石ルーク殿下、よく覚えていますね」

「当然さ。獅子身中の虫ぐらい目星は付けておくものだからね」


 クリスがそう茶化せば、殿下が自嘲気味に笑って答える。だが次の瞬間にはその表情を為政者の顔へと変わった。


「クリス、剣を」

「……仰せのままに」


 傅きながら献上するように細剣を差し出すクリス。殿下はそれを一度振ると、教本のように美しい型で構える。


「僕の大事な婚約者を拐かした罪を」

「嫌っ、殺さない、で」


 最早二人の生徒の声に耳を傾ける奴はどこにもいない。


「……償ってもらおうか!」


 薙いだ。


 剣が彼女達の鼻先をかすめる。伸びていた二人分の前髪がはらりと宙を舞ってから、そのまま床へと落ちていく。


「とりあえずは……牢屋の中でね」


 またいつもの調子の、穏やかな口調に戻る殿下。だがこの場で殺されると思った二人はそのまま気絶して倒れてしまった。


「もう聞こえないか」


 呆れたような乾いた笑いを浮かべながら、殿下はクリスに剣を返した。この二人は斬られなかったが、あくまでそれは『ここでは』という程度だ。最早彼女達にもその家にも、未来は残されていないだろう。


「あーアキト君、ところでそこを変わって欲しいんだけど……」


 なんて事を考えていると、殿下はわざとらしい咳払いをして姉貴の前に立っている俺にちょっとした要求を突きつける。


「大切な、婚約者……」


 当の姉貴と言えば、自分が攫われた事よりも殿下に大切な婚約者と呼ばれた事が嬉しくて仕方のないようだった。頭が茹で上がってるとさえ言い切って良いのかもしれない。それを見て思ったのは、だから贈り物なんて何でも良いだろうという素直な感想だった。


 ――いや、待てよ。今こそ未来あるルーク=フォン=ハウンゼン第一王子に恩を売る機会なんじゃないか? 姉貴の欲しい物なんて、今は顔に書いてあるからな。


「恐れながら殿下、申し上げます!」


 俺は膝を折り拳を床につけ、王に上奏するかの如く意見を始める。今日の演目の役柄は……アスフェリア王の忠臣とでもいったところか。


「手短に頼めるかな」

「姉が喜ぶ贈り物ですが……ここはやはり殿下の熱い抱擁しかないのではないでしょうかっ!」


 少し不機嫌な顔をしている殿下にそう申し上げれば、その表情が一瞬で明るくなる。


「承知した、下がって良いぞ」

「ははーっ!」


 芝居に乗って尊大に振る舞ってくれる殿下に小物みたいな台詞を言いながら退場する俺。苦笑いが混じったクリスのため息は二人共聞かなかった事にしていた。


「ちょ、何を言い出すのよこの愚弟は!」


 なんて姉貴の言葉はもう聞こえない。だがルーク殿は姉貴の手を取り、真っ直ぐと彼女の目を見つめた。もうこ見ているこっちが恥ずかしい。


「今までの僕なら……こんな気持ちにはならなかっただろうね」

「気持ち、ですか……?」


 宝物を確かめるかのように、白く細い姉貴の手を殿下がさする。姉貴の顔は火が出そうな程赤く染まり、きっと正気を保つのがやっとなぐらいだろう。


「胸が張り裂けそうになったり、心の底から安心したり……アキト君との仲の良さに妬いたりね」


 いきなりの飛び火に思わず身を崩しそうになる。二人の世界に巻き込まないんで欲しいんだけどな。


「べ、別に仲良しなんかじゃありません!」

「そういう態度が僕を拗ねさせるんだけどな」


 苦笑いをした殿下が、もう一度姉貴と向き合う。そこに完璧で天才な――人形の王子様はいなかった。婚約者に恋い焦がれる、一人の男がいるだけで。


「シャロン」

「は、はいっ!」


 蕩けるような甘い声で、殿下が姉貴の名前を呼んだ。


「僕が君を想うぐらい、君を夢中にさせてみせるから……覚悟しておいてね」


 それから姉貴の手を取って……指先に小さなキスをした。どれだけ覚悟してても今の不意打ちを避けられる女性はいないだろう、なんて思いながら。


「姉貴はずっと前から殿下に夢中ですよ」


 つい先程まで刃物が飛び交っていた現場とは思えない空気の甘さに、思わず余計な一言が飛び出てしまう。それを聞いたクリスに鳩尾を肘で付いてきたので、俺は口を固く閉ざす。


「それから」


 それから殿下は姉貴の背中に両手を伸ばし、その小さい体を抱きしめた。


「君が無事で良かった。本当に、本当に……」


 少しだけ泣きそうな声をしながら、殿下が素直な心を零す。


「でっ……!」


 一瞬強ばる姉貴だったが、殿下は更に強く抱きしめる。最早こうなってしまえば逆らえるはずもない。流石の彼女も耐えられなくなったのか、『姉貴、勉強教えてくれよ』以来膝をつく羽目になっていた。


「はぃ……」


 姉貴が熱を帯びた吐息を漏らす。浮かんできた感想は、身内のこんな場面なんて見るべきじゃないな、なんてどうしようもない物だった。


「さあアキト、さっさと出ようか……僕達はどうやらお邪魔のようだ」

「うん、すっごい邪魔」


 女生徒二人を倉庫にあった手近な縄で縛り上げたクリスが俺と同じ感想を漏らせば、本当に素直な殿下の声が聞こえてきた。はいはい邪魔者は退散しますよ、なんて余計な事は口にせず二人して倉庫を後にする。また鳩尾に貰いたくはないからな。


「やっぱり……囚われのお姫様は王子様が助けるものなんだね」


 呆れたような物言いで感想を漏らすクリス。姉貴の死を回避するため何度も何度も繰り返した。けれど最後は婚約者であるルーク殿下の出番だったのだろう。


「……だな」


 けれどその事に不満なんてありはしない。心の中にあるのは清々しい満足感だけだった。姉さんが生きていて、幸せそうで良かった。それだけが俺の望みだったのだから。


「ねぇアキト」


 沈みかけた太陽が、優しくクリスの顔を照らす。


「何だよ」


 答えれば彼女はほんの一瞬だけ目を伏せる。それでも意を決して、その小さな手を握りしめながら言葉を続けた。


「僕が誰かに囚えられたら……君は助けに来てくれるかい?」


 答えるよりも先に、一歩前へと踏み出した。だけどそれは誰かを助けるためじゃない、自分の保身のためだった。


 理由なんて簡単だ。


「……当たり前だろ」


 こんな恥ずかしい台詞を面と向かって言える勇気なんて、俺は持ち合わせてなんていないのだから。

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