SAVE.102-83:蒼の聖女とセーブ&ロード⑤

 ――真っ赤な血に染まった、彼女の死に顔が頭から離れない。


 走った。息を切らして、転びながら、這いずりながら前へと進んだ。何度も、何度も何度も何度も何度も。繰り返す、ただひたすらに繰り返した。何度目かなんてわからなくなるぐらい、必死に前に進み続けた。


 待っているのは決まって彼女の死だった。喉を刺された姉さんが血の海に横たわる光景だけが、この袋小路の行き止まりだった。


 彼女の目線はいつも虚空の先にあった。喉元から逆流した血が口の端から漏れていた。瞼をそっと閉じたところで、安らかになんてなりやしない。


 そんな最悪の景色だけが、頭の中を埋め尽くしていた。


「アキト、終わったかい?」


 最早聞き飽きたクリスの台詞に答える気力はどこにも無かった。そんな事をするぐらいなら、一歩でも前へ進みたかった。


 だって今回は、今回だけは生きてるかもしれないじゃないか。


 最早希望とは言えないような、くすんで濁った感情だけが俺の体を動かしていた。そうだ、次があるじゃないか。もし駄目でもまたやり直せばいいだけだ。次で間に合えばいい、またその次をやり直せばいい。彼女が生きていればいい、だから。




 ――今回ぐらいは、死んでいても構わないだろう?




 何を。


 何を考えたんだ、俺は。死んでもいい? 有り得ない、そうならないために俺は繰り返したんだろう。それなのに彼女が生きてるかもしれないという、唯一の希望を捨て去ってしまうなんて。


「あ」


 間抜けな声が漏れると同時に、視界が黒く染まっていく。それから少し遅れて、自分が無様にも転んでしまったと理解する。倒れてしまえば二度と起き上がれない事はわかっていた。けれどもう無理だった。足が、手が、体が。もう指先すら動かせやしない。


 諦めてしまった俺に、そんな資格はないのだから。




「……アキトッ!」



 

 最初に気付いたのは腹を襲った衝撃だった。次に自分の体がクリスの小さな腕に支えられてる事に気付いた。


「クリス……」


 遅れてようやく返事をする。たったそれだけの事が、俺にはただ辛かった。


「……具合が悪いみたいだね、医務室にいこうか」


 彼女は俺に肩を貸してくれた。まだ上手く動かない足で、自分より小さな彼女の歩幅を必死に追いかける。


「何が……殿下と、何を話したかは知らないけどさ」


 一歩、一歩づつ。確かに前へと進んでいく。自分だけの力じゃなくても、どれだけ無様で情けなくても。


「辛かったなら、呼んでくれたっていいじゃないか。それとも僕は……そんなに頼りないかな?」


 クリスの声が耳に届く。ああそうか、こいつはずっと横にいたんだ。そんな事すら俺は忘れていたのか。俺が何を言わなくたって、クリスは誰よりも近くで俺を見ていてくれたんだ。


「だって僕は、僕達は……」


 彼女は笑う、表情を見なくたってわかる。こいつはずっとそういう奴だって、こんな時はそうするって。


「親友、だろう?」


 その言葉で心が、体が少し軽くなる。こういう時は、どうしようもない時は誰かを頼れば良かったんだ。子供の頃はあれだけ怖かった孤独に浸かってようやく、そんな簡単な事を思い出した。


「そうだったな……」


 前へ、前へ。もう迷わない、もう間違えない。一人では辿り着けない場所に向かって、一歩でも進んでいく。


「わかってくれたかい? なら医務室に」

「駄目だ」


 クリスの言葉を否定する。彼女は信じられない物でも見るかのような目で俺を見ながら、その足を一瞬止めた。それもそうだ、今の俺はあまりに説明不足なのだから。


「外れにある倉庫に向かってくれ」

「倉庫? 何でまたそんなところに」


 また足を動かし始めたクリスに歩調を合わせ、重くなった唇を動かしながら必死に理由を説明し始めた。


「……姉さんが捕まっている。相手は誰かわからない」

「シャロン様が!? 何で」


 驚くクリスを尻目に、俺は小さく笑った。


「本当に」


 わからない事だらけだ。何で姉さんが捕まった、目的はなんなのか。ゲームではミリアに嫉妬した悪役令嬢シャロンの仕業だったが、今となってはそんな物は何の役にも立たない。


「何でだろうな……」


 足りない頭の限界が来たのか、意識が徐々に遠のいていく。けれど不安も焦燥感も今の自分にはもう無かった。


 大丈夫、もう大丈夫だ。


 だって無様な俺の三文芝居を、仕方ないなと見守ってくれるクリス=オブライエンがいてくれるから。




「全く君は、人の気も知らないで……」

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