SAVE.102:蒼の聖女とセーブ&ロード②

「やぁアキト君、よく来てくれたね」


 生徒会長の席に座り、微笑みを浮かべるルーク=フォン=ハウンゼン。机に肘をつきながら、両手の指同士を合わせている。その前に立たされている俺は、マナーなんてものを指摘されるまでもなく背筋をピンと伸ばしていた。ちなみにクリスは生徒会室の外で待っている……帰ってくれて構わないのに、全く律儀な性格だ。


「ええ、まぁ……」


 どう返すのが正解かわからず、思わず気のない返事になってしまう。


「そんなに緊張しないでくれないかな……足の方はもう良いのかい?」

「はい、そこはお陰様で」


 軽く頭を下げる俺。殿下が直接来てくれた訳ではないが、見舞いの品の一つに彼の名前で珍しい果物が届いていたのをよく覚えている。あれは中々美味かった。


「この学園は王家直轄の場所だ……施設側の不備ともなれば、それは我々王家の責任だ。改めて謝罪を」


 彼は立ち上がり深々と謝罪の意を込めた礼をする。ルーク殿下が愚弟に頭を下げている場面なんて姉が見ただけで卒倒すること間違いないだろう。ここにいなくて良かった、本当に。


「いえ殿下、あれは自分の不注意でした……それにほら、足もこんなに元気に」


 片足を上げ足首を軽く振ってみせる俺。全治二週間の診断ではあったものの、十日で歩けるようになったのも事実だ。あの高さから落ちてこれで済むとは運が良いのか、それとも当たりどころが良かったのか。


「そう言ってくれると救われるよ」


 顔を上げた殿下の表情は少しだけ申し訳無さが残っていた。きっと真面目なルーク殿下の事だ、直接謝罪しなければ気が済まなかったのだろう。という事で今日の用事はこれで終わり。


「それで、ここから本題なんだけど」


 の筈もなく。先程とは打って変わって無邪気な微笑みを浮かべる殿下。そりゃそうだよな、謝罪が主目的なら足を怪我したばかりの人間を呼び出したりしないさ。


「実は婚約者に……シャロンに何か贈り物をしようと思ってね。彼女がミリアを指導してくれたおかげで、つつがなく認定式を終えられたからね」

「ええ、喜ぶと思います」


 話の内容は理解できるし、ルーク殿下になら何を送られても頬を染める姉貴の姿が容易に想像出来る。


 問題はなぜそれを俺に言うのか、だろうか。


「それで、何を贈れば彼女は喜ぶかな……」

「え?」


 少しだけ憂いのある、そでいて熱っぽい目を背けながら殿下がそんな事を言いだした。いや文字通り何でも良いだろうに。


「ん?」


 小首を傾げる殿下。どちらかというと『ん?』という台詞は俺の物じゃないだろうか。何で俺が知ってると思ったんだろうかこの人は。


「いやその、何と言われましても」

「だって君たちは貴族にしては珍しいぐらい仲が良いじゃないか。何を送れば喜ぶかなんてわかっているものじゃないのかい?」


 じゃないのかい、と言われましても。


「ご存知だと思いますが、俺と姉貴は血が繋がっていませんからね」

「奇遇だね、僕も弟と血の繋がりはあるけれど仲は悪いよ」


 ……そういう事ではないんだけどな。


「実はシャロンが君とミリアを指導しているのをこっそり見ていてね。それが普段の彼女とあまりにも違うものだから驚いたよ」

「普段というのは……」


 そこで言葉を詰まらせて、自分がどこに立っているのかをようやく思い出す。ここは生徒会室で、殿下と姉貴はその会長と副会長だ。


「少し長くなるけどいいかな?」


 目配せで椅子を勧めてくれる殿下。拒否権のない俺は、四週間ぶりに応接用のソファに腰を下ろす羽目になった。






「君も知っての通り、学園に来るまで彼女とは年に一度会うかどうかの関係でね……仲が良いとか悪い以前の、それだけの間柄さ」


 殿下の言葉に早速言葉を詰まらせる。なぜならアズールライト家……何より姉貴にとって、年に一度の殿下との交流は『それだけの間柄』で済まされない一大イベントだったからだ。やれドレスは何色が良いか、やれ土産は何が良いか、やれ愚弟の意見は参考にならないとか。


「学園で共に生徒会に入ったけれど、彼女の印象はあまり変わらなかった。僕にお似合いの真面目で優秀で品行方正な人間……聖女という立場を抜きにしても、僕の婚約者は彼女だっただろうね」


 自嘲気味にルーク殿下は言葉を続ける。真面目で優秀で品行方正――それはルーク=フォン=ハウンゼンを表す言葉でもあった。ただ彼の場合は、さらに別の二文字が加わる。


 天才だ。


「僕のような人だと思っていたんだ。何でも卒なくこなせる、面白みのない政治の器。人形の王子様の隣には人形の聖女様が必要だろう?」


 最早自嘲という言葉では収まらない心情を吐露する殿下。それは自己嫌悪と呼ぶに相応しい、生々しい感情だった。


「だけどそれは……浅はかな僕の勘違いだった」


 無力感に打ちひしがれるかのように、祈るように殿下が天を仰いだ。その言葉に黙って頷けば、彼は微笑みを返してくれた。その顔は『ほら、仲が良いじゃないか』とでも言いたげな、そんな表情をしていた。


「ミリアに指導している彼女を見て気付いたんだ。何でも上手くやってきたと言うには、彼女は……シャロンはあまりに詳しすぎたんだ。何が難しくて、何を間違いやすくて、どうすればそれを正せるのか。それから君と話しているのを見て思ったんだ。本当の彼女というのはああいう表情なんじゃないかって」


 シャロン=アズールライトという人間にとって、それは恥ずべき姿だった。だからこそ殿下にその姿を晒すような『下手』を打ってこなかったのだが。


「アキト君……僕は彼女に演じさせていたんだろうか。僕に相応しい人形の聖女様を」


 少しの間言葉に詰まる。口から出かけた言葉は『そんなもん喜んでやってるに決まってるだろうが地獄のドレスとお土産選びに付き合わされてないからそんな感想が出てくるんだろうがこの王子様め』だったが、それを口にすればいよいよ俺の首が危ういので例え話に切り替える事にした。


 それに『演じる』というのは……俺にとっても身につまされる言葉なのだから。


「殿下は……何か劇を見たことはありますか?」

「ああ、あるよ。有名な演目を何度かね」

「ではお尋ねしますが……舞台で演じる役者は不幸でしょうか。努力を積み重ねる事も、自分とはかけ離れた役柄を演じる事も」


 自分で吐いた言葉がそのまま胸に突き刺さる。俺はアキト=アズールライトを演じているから。出来の悪い不良の貴族を、いつか来る日に備えて演じている。きっかけは姉貴に対する些細な反抗心からだったが、今ではそれに満足している。


 覚えた知識に目を背け、身についた所作をわざと忘れ、剣の腕は……まぁこれぐらいはもらっておいていいだろう。


「それは大舞台で演じるからだろう?」


 大舞台……彼女が演じる舞台はそう呼ぶに相応しいだろう。家と学校だけの狭い舞台の俺とは違う、国を相手に演じている。使命感もあるだろう、責任感だって当然ある。だけど。


「違います、殿下。彼らが演じて幸せなのは、観客が喜んでくれるからです」


 彼女が全力で演じる理由は舞台が大きいからじゃない。観客はどれだけいたって、見せつけたい相手は一人だ。いつだって彼女の心の指定席に座っているのは。


「観客?」

「そうです。そして姉貴にとっての観客は、喜んでもらいたいたった一人のお相手は……殿下ならわかるでしょう?」

 

 最後まで俺は口にしない。それは姉の口から語られるべきだし、何より無粋な真似をして馬に蹴られて死にたくないのだから。


「そうか……僕はそこまで愚かだったのか」


 さすが天才ルーク殿下、事情を理解した瞬間に顔を真っ赤に染め上げた。俺は何を見せられてるんだと思えば、思わず無礼なため息が出る。


 そこでふと思ってしまう。俺が演じる舞台の客席には誰がいるんだろうって事を。無様な三文芝居を、この間みたいに道化を演じるのは――誰が座っているのだろうか、なんて考えても仕方のなさそうな事を。


「で、姉への贈り物ですが」


 立ち上がりながら言葉を続ける。本当に何でも良いだろうが、折角なのでこのまま恩を売ることにした。それに殿下が姉貴を夢中にさせてくれるなら、俺への小言も減るだろうから。


「夢を壊して悪いのですが、姉との仲はそこまでよろしくないため俺の意見は未だ姉に採用された事がないものでしてね。ここは未来ある殿下に媚の一つとして何が欲しいか伺って参りましょう」

「よろしく頼む……」


 仰々しく頭を下げれば、右手で顔を隠しながら――理性で身が悶えるのを我慢しながら――そんな言葉を返してくれた。そのために呼んでおいて凄い態度だなと思わなくもないので、皮肉を一つ口にする。


「最後に殿下、あなたは自分を人形だなんて言いましたが……意中の相手の弟を呼び出して好みを下調べする人形なんて、俺は見たことありませんね」


 呼び出された腹いせ嫌味の返事を待たずに、そのまま生徒会室を後にする。振り返らなくたってわかる、そろそろ彼の理性が負けそうになっている事ぐらいは。

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