SAVE.102:蒼の聖女とセーブ&ロード①

 認定式から三週間、学園はすっかりと落ち着きを取り戻していた。未だミリアに対する物珍しさは残るものの、あからさまな野次馬の姿はすっかりと消え失せている。もっとも人を寄せ付けない原因はミリア自身ではなく――。


「……カップの持ち手に指を入れない」

「は、はいっ!」


 絶賛ミリアを指導中の我が義姉、シャロン=アズールライトにあるのだが。






 中庭の外れにある四阿で、今日も今日とてシャロン先生のマナー教室は開講されていた。生徒はもちろんミリア……と日頃の行いが悪い俺。


「……少し休憩にしましょうか」


 眉間の皺を親指と人差指でほぐしながら、ため息交じりの言葉を漏らす姉貴。彼女にとってミリアの物覚えの悪さは、ここ最近の悩みの種の一つだった。


「その、ごめんなさい……」


 縮こまって謝罪の言葉を口にするミリア。足の怪我が治ったと思えばマナー教室に参加させられてはや一週間、もはや彼女の謝罪は見慣れた光景になっていた。


「謝らないで。何度も言うけど、ミリア……あなたはよくやってるわ」

「そう、ですかね……」


 そんな彼女を姉貴が諌めるのもまた、見慣れた光景の一つだった。姉貴の言葉は――慰めのための嘘である。確かにミリアは最初と比べれば貴族らしい振る舞いをできるようになっただろう。だが彼女はこの国で二人しかいない聖女の一人――その辺の貴族程度では困るのだ。


 まぁこの年で完璧にこなしている姉貴の方が異常なのだが。


「何度も言うけど、そこの愚弟よりはよほど貴族らしいわよね」

「そう、ですね……」


 後半を否定しないぐらいには逞しくなったミリアが苦笑いを浮かべる。悲しいかな聖女様の御慈悲は俺に向けられないらしい。


「ところで姉貴、俺はいつまで付き合えば良いんだ?」


 適当な茶菓子をつまみながら、姉貴に俺の懲役があとどれだけ残っているか確認する。ちなみに罪状は『聖女ミリアの教育係を姉貴に押し付けた罪』だ。心当たりがあるので今日まで何も言わなかったが、流石に一週間ともなれば文句を言っても良いだろう。


「それはもちろんミリアが一人前になるまで」

「えっ」


 それはつまり姉貴が満足するまで――つまり卒業するまでという意味では。


「……と言いたいところだけど、茶会について一通り教えたら開放してあげるわよ」


 ようやく向けられた聖女様の御慈悲に思わず胸を撫で下ろす。


「どうせ次のダンスの指導だと、あなたは役立たずなんだから」


 姉貴の無慈悲な言葉が胸に刺さる。実際その通りなので何も言い返さないが。


「少し席を外すわ。せっかくだし二人で練習していて頂戴……もっともそこの愚弟相手には茶を浴びせても失礼には当たらないけど」


 なんて台詞を言い残して、推定お花摘みに行く姉貴。そこで残されたミリアと俺だったが、当然のように共通の話題は少ない。だから必然的に話題に上がるのは。


「大変だよな姉貴の指導」

「え、えーっと……」


 困り顔のミリアが言葉をつまらせる。流石にはいそうですねとは言えないな、今の質問は。


「いやほら、俺ってこんな感じだろ? それに俺も生まれつき貴族って訳じゃないからさ……いやぁ昔はしごかれたしごかれた」


 首の後ろを押さえながら、それらしい言葉を並べ立てる。これは半分嘘だった。


 俺は姉貴からミリアのような厳しい指導を受けた事は殆どない。甘やかされた訳じゃない、単純に指導されるまでもなくこなせたからだ。今の姉貴が俺にやたらと厳しいのは……昔は難なくこなせていた俺を知っているからだろう。


「えっ、アキトさんってシャロン様の弟ですよね……生まれつき貴族じゃないって、どういう」


 だがミリアの興味を引いたのは別の事だったらしい。学園内なら誰でも知っている話だが、転校してきたばかりのミリアが知らないのも当然か。


「あ、もしかして妾腹だと思ってるとか?」


 バツの悪そうに下を向いたミリアの考えそうな事を口にする。普通に考えればそれが平民から貴族になる方法だよな。


「違う違う、俺は孤児院から拾われて来たんだよ。姉貴が王家に嫁いだら跡継ぎがいなくなるだろ? 姉貴の本当の弟が産まれるまでの代理なんだよ俺は」

「孤児だったんですか……?」

「珍しいだろ」


 ミリアが目を丸くする。例外だから驚くのも当然だろう、なんて思ったが彼女はすぐに首を横に降った。


「いえ、実は私もそうなんです。今の両親は本当の両親じゃなくて……十歳の頃に引き取ってもらったんです」


 今度は俺が驚く番だった。まさか自分と同じ境遇の人間がこの学園にいるとは――それも噂の翠の聖女だとは夢にも思わなかった。


「これはまた意外な共通点があったな」


 思わず背もたれに身を預け、天井を見上げてしまう。


「他にもあるんですか?」

「髪の色とか」


 前髪をつまみながら、横目でミリアの髪色を見る。不意にクリスの言葉を思い出す――黒髪だから親近感が湧くのかとか言ってたよなあいつは。流石にそれだけでは湧かなかったが、出自が一緒であれば多少は湧くというものだ。


「ミリアの生き別れの兄貴だったりしてな」

「もう、学年一緒じゃないですか」

「孤児の年齢なんて当てにならないだろ、それに双子って可能性もあるからな」

「まさかぁ」


 俺のわざとらしいまでの冗談にミリアが遠慮がちな笑い声を上げる。どうやら少しは緊張がほぐれてくれたらしい。これでこの間の借りは……人だかりの前で恥をかかせてしまった分は支払えただろう。そうであって欲しい。


「あとは姉貴によく怒られる所だろうな」


 そしてもう一つ冗談を飛ばせば、ミリアの表情が一瞬で固くなる。まずい、間違えた。姉貴の話はしないほうが良かったみたいだ。


「シャロン様は……昔からああいう方なんですか?」

「ああいう、ってのは?」


 表情を強張らせたミリアの話に耳を傾けながら、カップの取っ手に指を入れて残っていた紅茶で渇いてしまった喉を湿らせる。


「他人に……何より自分に厳しいというか」


 少し言葉を選んだのか、言い淀みながらも感想を口にするミリア。あまり真面目にならないように、出来るだけおどけた態度で答える。


「そりゃあ聖女様だからな。まぁ昔はもう少し可愛げがあったと思うけどさ」

「そうですよね……」


 若干思い詰めた顔をするミリア。一週間程彼女と接した印象だが、生徒としては真面目で謙虚という所だろうか。だが同時に少しの暗さと卑屈さを感じる、そんな少女だった。


 そこでふと思ってしまう。ゲームの主人公のミリアはこんな少女だっただろうか、と。天真爛漫で誰よりも優しい――悪く言えば頭にお花畑が広がっているような――性格だった気がする。


「まぁ比べる相手じゃないさ……姉貴と同じ土俵で戦うのが間違いだろうな、うん。ミリアらしい聖女でも目指せばいいさ」

「自分らしい、ですか?」

「そうそう、傷ついた猫を助けるとか貧民街で炊き出しするとか」


 続けそうになって急いで止める。それはミリアがゲームの中で取った行動の一つだったからだ。それを口にするのにどんな影響があるかは知らないが、少なくとも彼女は良い気がしないだろう。恐る恐る彼女の表情を伺っていたが、大丈夫だ特に変化はない。


「まぁ、そんな感じのやり方とか」


 気まずさを隠すように残りの紅茶を飲み干す。それでも考え込み始めたミリアとこれ以上会話を弾む筈もなく、姉貴が早く帰って来ないかと願う。


 ……まさか姉貴の帰還を望む日が来るとはな。


「あぁアキト、探したよ……」


 なんて自分に驚いていると、少しだけ息を切らしたクリスが額の汗を拭いながらやって来た。


「何か用事か?」

「ちょっとね……ミリアさん、彼を借りていっても?」


 クリスがそう尋ねるものの、ミリアは顎に手を当てたまま返事をしない。


「ミリアさん?」

「……えっ、あっ、はいどうぞ」


 もう一度クリスが語気を強めて尋ねると、ようやくミリアが気のない言葉を返してくれた。


「どうぞ、ね」


 その態度が気になったのか、皮肉っぽい言葉を返すクリス。どうやらクリスはミリアの事があまりお気に召さないらしい。そして波風を立てたくなかった俺は急いで椅子から立ち上がる。


「よしクリス、さっさと用事を済ませようか」

「……だね」


 クリスの肩を軽く叩けば、納得したように頷いた。そのまま俺達は四阿を後にして、速歩きで校舎へと向かった。


「しかし俺に用事か……誰だろうな、姉貴ではないだろうし」


 少しだけ頭をひねると、クリスが少し口角を上げる。


「それはもちろん君が驚くような人さ」

「ルーク殿下とか?」


 この間の事を思い出し何の気なしにそう答えると、クリスは黙ってそっぽを向いた。


「……マジ?」

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