SAVE.102:蒼の聖女とセーブ&ロード③

 生徒会室の扉が締まれば、自然と大きなため息が漏れた。何を見せられたんだよ俺は。前世の言葉を借りるならば、出てきた言葉はたった一つ――さっさと爆発しろ、だ。


「アキト、終わったかい?」


 まだ外で待ってくれていたクリスが、小さく笑いながら声をかけてきた。こいつ話の内容知ってたな。


「終わったも何も、これから聞きに行く所だよ……お姉様、殿下から何を貰えたら嬉しいですか? ってさ」

「また随分な頼まれ事だね……僕も付き合おうか?」


 憔悴しきった俺がさぞ面白いのだろう、クリスが笑顔そのままにそんな提案をしてくれる。


「頼むよクリス、胸焼けして気分が悪いんだ」

「ふふっ、了解。それじゃあ未来の王妃様を探しに行こうか」


 芝居めいた口調をしながら、クリスが一歩先を行く。小さくなっていくその背中に頼もしさを覚えつつ、どうしようのない考えの続きが頭を過った。俺の舞台の客席には、こいつの指定席があるんじゃないか、なんて。


「何か言いたそうだけど……」

「いえ、なんでもございません!」


 精一杯の言葉を口にして、小走りで彼女に追いつく。彼女が飽きて席を立たないように、少しでももがいているかのように。







 姉貴はどうせミリアの所に戻っているだろう、という考えはすぐに打ち砕かれてしまった。


「まだ戻ってない……?」

「ええ、すいません私もどうしていいかわからず……」


 四阿に戻った俺達が見たのは、待ちぼうけを食らっているミリアの姿だった。机の上には空になったカップとまだ少し残っている茶菓子の類が物悲しそうに残されている。


「悪いミリア、姉貴は俺達で探しておくから……ここ片付けておいて貰ってもいいかな」


 両手を合わせて頭を下げれば、彼女は素直に首を縦に振った。


「はい、それは構いませんが……」

「恩に着るよ、埋め合わせは何か」

「アキト」


 ミリアに謝辞を述べていると、途中で深刻な表情を浮かべるクリスに遮られる。


「シャロン様が彼女に何も言わずに一人でどこかに行くと思うかい?」

「……思わないな」


 頷きながら、自分の心臓が跳ねる音を聞いた。クリスの言いたい事はすぐに理解できてしまった。何らかのトラブルに巻き込まれた、それも姉貴が標的の――。


 一瞬にして手のひらに不快感を伴う汗が吹き出していた。


「一緒に探そうか……まだ学園内に残っている生徒に尋ねてもいいかもしれないね」

「そう、だな……」


 俺が覚束ない返事をすれば、クリスが肩を貸してくれた。自分も一歩踏み出せば、不安に心臓が握りつぶされた事に気付く。ともかく今は姉貴を。


 姉さんを探さないと。







 体が鉛のように重い。それでもクリスと一緒に校舎の中で姉さんを探し続ける。それでも妙な直感が『ここにはいない』と教えてくれた。


「アキト、大丈夫かい……?」


 クリスの心配そうな声に答える元気はもう無かった。心臓の鼓動が煩いくらいに響いていて、喉は渇き、他人に所在を尋ねる余裕もない。違う、違う、ここじゃない。そもそも校舎にはいない。何で知ってるんだ、俺は、何を――。


「あ」


 間抜けな、気の抜けるような音が口から漏れる。知っているだろう、俺は。顔を出したのは前世の記憶だ。そうだ俺は、この出来事を知っている。ただ違う事があるなら、茶会からいなくなるのは、あの場所から攫われるのは。


 ミリアの筈だったじゃないか。







 走り方を忘れたかのように、不格好で進んでいった。向かった先は学園の外れにある資材倉庫だ。重苦しい鉄の扉で閉ざされたその場所を見た時、思わずその場でうずくまる。


「大丈夫……ではなさそうだね」


 息を深く吸って、吐いて。クリスに背中をさすられて、ようやく立ち上がることができた。


 ゲームで起きるのは、こうだ。ルーク殿下と茶会を楽しんでいたミリアが中座した所、悪役令嬢の息のかかった女生徒に拐かされる。彼女が傷物にされれば殿下も諦めるだろうという浅い理由で、だ。そしてその企みは偶然見ていた第二王子のダンテ=フォン=ハウンゼンに阻止される。


 そうだ、姉さんはもう助けられた後かもしれない。そう思い込もうとした矢先に、頭がそれを拒否し始める。


「アキト、これは」


 匂いがする。その扉を開ける勇気が俺には無かった。クリスが思わず顔を袖で覆いながら、その冷たい扉に手をかけた。






 日が沈みかけたせいで、倉庫に誂えられた小さな採光窓からは太陽が差し込む事はない。


 一歩。足元から伝わる感触の正体から、俺は必死に目を背ける。


 一歩。それでも頭は、この匂いの正体を何度も俺に伝えている。わかるだろう、それぐらい。頭に響く答えから目を背けたくて必死になって頭を振った。


 一歩。ようやく暗闇に慣れためは、それを捉える。床に転がる一振りの短剣は、真っ赤な血で染まっていて。


 一歩、踏み出せば躓いた。床に広がっていた液体に足を取られたせいだった。自分の呼吸の音だけが、いやに倉庫の中に響く。嫌だ、見たくない。それでも頬に、服に染み込んでいく血の感触がそれを許さない。見かねたクリスが無言で俺を起こしてくれたが、それが余計に目の前の現実を突き付けてきた。


「なん、で」


 ――何もかも上手く行っていたじゃないか。


 姉さんは悪役になんかならない。ミリアも不当に虐げられない。殿下も姉さんを婚約者として惚れ直す。これのどこに問題があるんだ? どこにもないだろう、大丈夫だろ、姉さん。


 返事はない、返ってくる筈はない。




 冷たくなった姉さんの体は、もう動かないのだから。




 血の海に横たわる体をそっと抱き上げる。前で縛られた両の手首に、喉元に残された生々しい刺し傷。状況を理解させるには十分すぎる光景を突き付けられる。


「アキト、シャロン様はもう」

「わかってるよ……わかってんだよ、そんな事は!」


 怒鳴った。クリスに言われるまでもない、もっと前から気付いていた。躓いた時でも、剣を見た時でも、血の感触を覚えた時でもない。重く冷たい扉の向こうから、血の匂いがした時からだ。


「わかってたんだよ……」


 何を間違えたのか、何が足りなかったのか。回らない頭で考えても、その答えは出てこない。


 どうして姉さんが死ななきゃならないんだ、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ。自問自答したところで結論が導き出される瞬間は永遠に訪れない。


 ――だから願うのは奇跡だった。全部をやり直せる、たった一つの奇跡だった。


 あの時はどうだった、あの時は何があった? 結論なんてすぐに出てくる――アキト=アズールライトが死んだのだ。


 目に入ったのは床に転がる短剣。拾い上げ、滲んだ視界でそれを睨む。


 確証なんてない、確かめる方法は一つだけだ。神の慈悲か悪魔の所業か、そんな事はどうだっていい。


 この惨状を、この現実を、姉さんの死を。





 やり直せるなら、俺は――。






『ロードしますか?』






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