SAVE.101-3:婚約破棄とセーブ&ロード⑤
「……また性懲りもなく」
翌日の放課後、俺の顔を見るなり姉貴が漏らしたのはそんな一言だった。流石学園一の才媛と名高い聖女様、昨日の一件は何か裏があると見破っていたらしい。まぁ普段勉強なんてしない弟があんな事を言い出せば当然か。
「いや、今日は勉強じゃなくて」
「だったら何よ」
怪訝な顔を浮かべながら、ずいと詰め寄って来た姉貴。その圧に思わず何でもないですと口走りそうになるが、そうしてしまえば昨日クリスが立案してくれた作戦が無駄になる。
「噂のミリアに会いに行くんだろう?」
「ええ、昨日はどこかの誰かが邪魔をして来たんだもの」
どこかの誰かに向かって痛烈な嫌味をぶつけてくる姉貴。昨日まではそれを避ける事で頭が一杯だったのだが。
「それなんだけどさ」
昨日俺達が出した結論はこうだ。何をどう頑張ったところで、聖女同士が顔を合わせないというのは無理がある。ならばせめて、その状況を俺達が管理できる状況下においてしまおう。
題して。
「……俺も一緒に行っていい?」
『毒を喰らわば皿までも』作戦、開始だ。
◆
例によってとでも言うべきか、相変わらずミリアは教室の前で生徒達に囲まれていた。昨日よりも――記憶の中にある前回よりも――人の数は減っているが、それでも十分過ぎる程の野次馬で溢れていた。
そんな群衆の中を、一際大きな足音を立てて突き進む姉貴……の横を歩く俺。さすがは蒼の聖女様というべきか、有象無象の群衆達は彼女の顔を見るなり快く道を作ってくれた。最も近寄りがたいという言葉のほうが正しいのかもしれないが。
「ふぅん、あなたがミリアね」
姉貴がミリアの前に立つなり、さらに近寄りがたくなるような高圧な態度を取る。遠巻きに見ていた時はわからなかったが、これはいわゆる『引かれてる』ってやつだ。
「あ、あの……初めまして、ミリアと申します」
怯えながら小さく頭を下げるミリア。精一杯の挨拶なのだろうが、やはりこの学園の生徒としては不合格と言わざるをえない不格好なものだった。
「アズールライト公爵家の長女にして、国王陛下ならびに聖光教会より『蒼の聖女』を拝命しておりますシャロン=アズールライトと申します。挨拶に遅れた事を謝罪するわ」
「その弟、アズールライト公爵家が長男アキト=アズールライトです。以後お見知りを気を」
普段の俺なら絶対にしない丁寧なお辞儀をすれば姉貴からは俺にだけ聞こえる小さな舌打ちを一つ返した。
「なんであなたも挨拶するのよ」
「いや挨拶しない方が失礼だろ」
「だから腹が立つのよ」
随分な物言いの姉貴に思わず苦笑いを浮かべてしまうが、今はこれが正解なんだ。
「は、はぁ……こちらこそ」
ぎこちない笑顔を浮かべるミリア。それは俺達二人に向けられたものかも知れないが、野次馬達は俺に向けられたと思っただろう。二人の聖女が互いに頭を下げているのに何だこいつは、という声が今に聞こえてきそうだ。というか、姉貴に後で言われそうだ。
だがその文句は後で聞こう。具体的には無事に認定式を乗り越えてから。
「今代の聖女としての役割は私が果たし」
――さあ、作戦開始だ。
「おいミリア! アズールライト公爵家に向かってなんだその態度は!」
姉の言葉を遮り、俺は叫ぶ。こいつは何を言い出すんだとざわめく野次馬、さらに萎縮するミリア、視線だけで俺を射殺そうとしてくる姉貴。小火で済むと思われた火事に薪をくべるような所業なのでそうされても仕方ないのだが、これも作戦のうちだ。
「私は何もそこまでは」
「認定式には両殿下もご出席あらせられるのだぞ! 翠の聖女である君はお二方にそんな無様を晒すというのか!?」
仰々しい身振り手振りに、滅茶苦茶な言葉遣い。
「あの」
「ボクは心配でたまらないんだ! この学園はまさしくこの国の貴族社会の縮図……そう、まさしく陰謀渦巻く恐怖の場所!」
相変わらず芝居っぽい仕草を交えながら、口から出任せを並べ立てる。
――そうだ演じろ、信じろアキト=アズールライト。いつもの馬鹿な貴族の代わりに、物語をかき乱す不格好な道化師を。
これがあの未来を避ける、最善の策だと信じて。
「そんな中で新たな聖女が無作法だと知り渡れば……敬愛する姉の品位まで落としかねない!」
萎縮するミリアを見て、俺は思った――この少女に、姉をルーク殿下の婚約者の座から引き摺り下ろすだけの胆力は無いな、と。大方どこかに裏で糸を引いてる連中がいるのだろうが……今はいい、優先順位は間違えない。
「それとも何かい!? 君は幼児のお人形遊びよりひどい所作を殿下の御前で披露するというのか」
「アキト!」
痺れを切らした姉貴が、とうとうその沈黙を破った。彼女の価値観で照らし合わせれば、現時点で聖女が無作法という事よりも、家名を背負った義弟が衆目の前で女性を批難している事の方が余程耐えられないだろう。だから。
「無作法なのは仕方のないこと……認定式までに覚えれば良いのです」
シャロン=アズールライトは間違いなくミリアの肩を持つ。それこそがこの作戦の要だ。
「これはこれはお姉様」
「お姉様!?」
今日一番の大きな声を上げる姉貴。そりゃそうだろうな、お姉様だなんて今の俺から出てくる言葉じゃないからな。
だが動揺したな――そこが狙い目だ。
「しかし大きな問題があるのです! ここにいる我々は聖女様という存在とはあまりに縁遠い……そう、認定式における聖女様の正しい作法など、誰も教えられないのです!」
自分で言うが、これはいつもと変わらない詭弁だ。大体姉貴の横に立っておいて縁遠いとは白々しいったらありゃしない。それに認定式の手順書なんて探せばすぐに見つかるだろう、無くとも城の文官に頼めば一晩で出来上がるだろう。
だが手順書よりも正確なお手本がここにいるんだ。
「それとも……どなたか心当たりが?」
恭しく頭を下げながら、邪悪な笑みで姉貴に尋ねる。そのせいで姉貴の顔はよく見えないが、さぞ額に青筋を立てている事だろう。
「……謀ったわね」
俺にしか聞こえない小声で、一言だけ漏らす姉貴。これは顔を見ないほうがいいな、三日ぐらい。なんなら余裕をもって十日でもいいかもしれない。
それから体感としてはしばらくの間、実際はほんの数秒。気まずい時間が周囲を包んだ。
そして静寂を破ったのは、作戦を知っている俺でも驚くような人物だった。
「それは勿論、僕の婚約者しか居ないんじゃないかな」
鶴の一声とはまさにこの事だ、先程までざわついていた生徒達が一瞬で静まり返った。声のする方を見れば、どこか満足気に頷いているルーク殿下の姿があった。そしてその脇には、得意げに笑うクリスの姿が。
「るっ、ルーク殿下!?」
姉貴の声だけが廊下に響く。さっきまで青筋を立てていたであろう姉貴の顔は年頃の少女らしく真っ赤に染まっていた。相変わらず殿下には弱いなこの人は……そのまま俺への怒りも忘れて欲しいところが、難しいだろうな。
「これはまた凄い人が……」
思わずそんな感想を漏らしてから、クリスに目配せする。彼女は小さく手を降って返してくれたが、まさかこれ以上にない適任者を呼んでくるとは思わなかった。
『毒を食らわば皿まで』作戦の中身は、こうだ。姉貴のミリアへの態度が悪評の原因だというのなら、その指導を第三者に認められた正当な物に変えてしまえば良い。これなら姉貴がミリアに何を言っても、周囲の生徒達は表立って悪評を立てることが出来ないだろう。
というわけで俺は姉貴がミリアに指導しなければならないという状況を無理矢理にでも作り出し、クリスはその指導を公認出来る立場の人間を連れてくる、という役割分担だ。
もっとも俺は誰か教師を連れてくると思っていたので、ルーク殿下という人選には驚くしかなかったのだが。
「しっかし、どういう伝手を使ったんだか」
頭を搔きながら殿下を引っ張り出してきたクリスの手腕に脱帽する。なんて呆けていたら、殿下はミリアに歩み寄り彼女の小さな肩に手を置いた。
「と、言うわけでミリア君……それでいいかな」
「えっ、あの、事情がよく」
まだ驚いているミリアに微笑みを向ける殿下。女性にしてみればこれ以上にない目の保養なのだろうが、同性の俺としては最早脅しにしか見えなかった。
「そんなに難しい事じゃないさ。君は認定式までの間、シャロンから指導を受ける……いいね?」
ルーク殿下にいいね? と笑顔で聞かれて首を横に振れる人間はこの国には居ないだろう。女性はその魅力に、男性はその権力に抗えないのだから。
「あ……はい」
思わず首を縦に振ってしまうミリア。その瞬間、一気に群衆達が湧いた。それはそうだろう、噂の翠の聖女様が先輩聖女直々に指導される、という事になったのだ。噂に釣られて集まるような野次馬連中が新しい噂に喜ばない訳はない。
「それは良かった、何でもシャロンは出来の悪い子の晩ご飯は抜いてしまうみたいだからね。気をつけるんだよ」
「は、はぁ……」
「で、殿下っ!」
それに政治的な意味合いも生まれてくる。第一王子が婚約者である姉貴にミリアの世話をさせる、というのはミリアが第一王子の庇護下にあるというだけでなく、聖女間での上下関係さえ意味してしまうのだ。ルーク殿下がそこまで考えていたかはわからないが、少なくともアズールライトの家格は一段上がった事になる。
なんて長々と考えている間に、ルーク殿下はその場から去っていった……と気づいた瞬間には遅く、またミリアの元に人の波が押し寄せて来た。いやまだ俺ここにいるんだけどな。
「アキト、こっちこっち!」
と、少し離れたところでクリスが手招きしてくれていた。屈んで人の間をすり抜け、そのままクリスと合流する。
「作戦成功、だね」
満足気な顔で迎えてくれた彼女に、俺は全力で首を横に振る。この結果がどんな未来を呼ぶのかなんて、今の俺にはわからない。それでも心の中には不思議な満足感が満ちていた。
「いや、まだ最強の敵が残ってる」
まぁ目の前の現実には、まだ問題が残っているのだが。
「というと?」
後ろを振り向く。勇名轟くアスフェリアの青獅子、カイゼル=アズールライトが裸足で逃げ出す――実際しょっちゅう逃げている――鬼のような形相をした姉貴が睨んできた。なので前だけ見ておこう。
「……逃げよっか」
「だな」
クリスがクスっと笑ってから、俺も小さく同意する。そのまま俺達は走り出して、全力でその場を後にした。
「それにしてもアキト、何だか悪役みたいだったね」
走りながらクリスがそんな事を言い出した。その言葉に驚いてしまったのは、俺が図らずとも姉貴の役割を奪ってしまったからだろう。
――悪役令嬢という、今はもう必要ない彼女の役割を。
「みっともなかっただろう?」
もっとも口だけが上手く回り謀略なんて行き当たりばったりだった俺の姿は、とても立派な悪役ではなかっただろう。それこそ前世の記憶にあるような、作品世界を彩る悪役令嬢とは程遠い。
「そう? 格好良かったよ」
けれどクリスは笑顔を向けながら、そんな感想を漏らしてくれた。人を見る目が無いな、なんて失言は喉の奥に押し込んで。
「……そりゃどうも」
皮肉っぽく笑いながら、今回の報酬として素直に受け取る事にした。
◆
そして迎えた認定式当日。俺とクリスはさっさと聖堂に向かい、前回と同じように吹き抜けの三階でこれから起きる光景を見下ろしていた。
「こんな場所で良かったのかい?」
「良いんだよ、ここなら姉貴の目につかないからな」
人の目を避けるためこんな場所まで来ていたのだが、前回と違うのは逃げているのが姉の目から、という点だろうか。
「始まるみたいだね」
クリスがそう言えば、聖堂の鐘が響いた。雑談に興じていた生徒達は一瞬で静まり返る。開けられた扉から出てきたのは、ルーク殿下と姉貴だった。敷かれた赤い絨毯の上を、二人は堂々と歩いていく。
最早姉貴に罵詈雑言を浴びせるような連中はいなかった。それもそうだ、今日までに聞こえてきた噂と言えば、シャロン様はミリアが立派な聖女となるよう厳しくもしっかり指導している、という肯定的なものだったからだ。
――ああそうか、俺は変えられたのか。あの最悪の未来を、あの物語の筋書きを。
そう思えば俺のひどい芝居にも価値があっただろうなんて自惚れてしまう。
「さあ、次はミリアだけど……」
けたたましい鐘の音がもう一度鳴り響く。そして現れたのは翠の聖女様だった。伴にしているのは姉の友人達で、神秘的な新緑色のドレスをしっかりと着こなしていた。まぁその表情は姉貴の指導の賜物なのか、少々げっそりしているように思えたが。
「姉貴は厳しいからな……」
「さすが経験者の意見は違うね」
なんて冗談をクリスと交わしている間に、事態はただ進んでいく。ルーク殿下の前へと来たミリアは、恭しく頭を提げた。それを見た殿下はゆっくりと頷き、隣に立つ姉貴に視線を送った。目の前のミリアの仕上がりに満足したような、優しさ帯びた視線を。
それからルーク殿下はゆっくりと息を吸い、ミリアに向かって右手を伸ばした。その仕草は王の号令そのもので、この式の重要さを聴衆に理解させるには十分すぎるものだった。
「それでは、翠の聖女ミリアの認定式を始める!」
会場が静かに沸いた。そこに姉を批難するような連中の姿は無く、ミリアを利用しようとする連中は……まぁいるだろうが、少なくとも表立って姿は見えない。安心してそれを見下ろしていると、隣に立つクリスが小声で話しかけてきた。
「君はこんな結末が見たかったのかい?」
その言葉で、やっと肩の荷が降りたような気がした。思わず近くにあった手すりに身を預け、そのまま眼下に広がる光景を眺めてみた。
「そうだな、これが見たかったんだ」
粛々と進められる認定式。珍しいものではあるが、それでも予定調和の日常。こんな風に笑いながら、ただ過ぎていく毎日を俺は望んでいたんだ。
「そのためなら、俺は」
拳を強く握りしめる。何だって出来る――いや、やってみせるさ。不格好でもいい、間抜けでもいい。こんな平和な光景を、俺はいつまでも眺めていたいのだから。
――その瞬間、思い出す。この手すりが壊れていたという事実に。
「やべっ」
思わずそんな言葉を漏らすが、時間というものは待ってくれない。何とか距離を取ろうとするものの時すでに遅く、俺の体はそのまま自由落下しそうになる。
が、何とか右手がさっきまで立っていた場所を掴む。まるで崖からぶら下がっているかのような状況で、足元からは小さな悲鳴が聞こえてきた。
「どうしたの!?」
「いや手すりが壊れてて……」
ありのままの事実を伝えると、クリスはため息を一つ漏らした。そのまま屈んで右手を差し出してくれた。
「落ちなくて何よりだよ……ほら」
「ああ、たすか」
――その瞬間、思い出す。そういやクリスは女の子だったなって。
「あ」
なんて事を気にしてしまったせいで、彼女の手を掴みそびれる。
え、これで終わり? なんて間抜けな感想を漏らしても、俺の体は重力に従って落ちていくだけだった。幸いな事に足元から落ちているおかげで、死ぬことはないだろう。それにほら、足元に激痛が走っても、周りから生徒達の悲鳴が聞こえても。
もうあのおかしな幻覚が、俺の視界に現れる事は無かった。
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