SAVE.101-3:婚約破棄とセーブ&ロード④
「アキト、ねぇアキト」
体をクリスに揺らされる。ああそうだ、目を開けなくたって誰がいるかを知っている。
「アキ」
彼女の手を、乱暴に振り払う。何だ、何でまたやり直しているんだ俺は。
「何なんだよ……何なんだよこれは!」
怒鳴りながらも顔を上げれば、教室が静まり返っている事に気付いた。それから起こしてくれたクリスは、怯えたように萎縮していて。
「その、ごめん……起きてたのなら、いいんだ」
「違う、俺は」
また戻ってきたとでも言うのか、俺は。違う、あり得ない。また同じ事を繰り返すだけじゃないか。
考えろ、状況を理解しろ。まず俺が認定式で転落死して……そしてこの場所に戻された。そして次にやり直した事をクリスに伝えれば、また戻されてしまった。なら、仮定できる条件は二つだ。
一つ、俺が死ぬ事。他の死に方でやり直すのかは知らない――想像もしたくないし、確かめるなんて正気じゃない。初めて経験した死という現象は、知識以上の不快感と無力感を伴うものだったせいだ。
二つ、戻って来た事を誰かに伝える事。クリス以外に伝えるとどうなるか……これは試さない方が良いだろう。何せまた戻ってくる保証なんて、どこにもないのだから。
「アキト?」
ああ、まただ。またクリスは心配そうな顔をして、俺の顔を覗き込んでいる。違うだろう、こんな顔をさせたい訳じゃないだろう、俺は。
「……悪いクリス、変な夢を見てたから」
だから、取り繕え、必死に。
「どんな?」
いつものように、不肖の貴族様を演じてみせろ。
「――そりゃあもう、美人に囲まれての乱痴気騒ぎって奴でさぁ」
酷い嘘だ。こんな話を聞かされるクリスに、心の底から同情する。
「しょうもない夢を授業中に……君は一体いつになったら真面目の三文字を覚えるんだい?」
返ってきた聞き覚えのある台詞に、心の底から安堵する。信じてくれたかどうかは差し置いて、間違いでは無かったようだ。
「いつになるんだろうな……」
思わず乾いた笑いが漏れる。死ぬ前までにはと思っていたが、どうやらそうはならなかったようだ。
「他人事だね……それより見に行くって約束だろう? 噂の『翠の聖女』をさ」
「ああ、そうだ……」
――脳裏に過る、あの光景。
ルーク殿下に寄りかかる聖女ミリアに、婚約破棄を言い渡されてもなお折れぬようじっと耐える姉の姿。
それから俺は転落死してこの場所まで戻ってきた。それは紛れもない現実で、俺達を待ち受けている未来で――。
そこでふと、思った。それは本当にただの思いつきで、理論も脈略なんて無くて。
死に戻りなんていうのは、俺の妄想かもしれない。本当は今まで寝ぼけていただけで、ようやく目が覚めただけかもしれない。
だけど、そうだとしても。
「悪いクリス……急用が出来た」
その一言だけを残して、俺は真っ直ぐ走り出す。
もしも、やり直しているなら。
もしも、あの現実を……未来を変えられるとしたら。
息を切らし、教師に注意されようが全速力で廊下を走る。向かう先は、決まっていた。
◆
到着したのは一つ上の階にある、上級生の教室だった。目当ての相手を呼び出そうとしたところで、息を切らして追いかけてきたクリスに肩を掴まれる。
「ちょっとアキト! どうしたんだい、急に……」
「ああ、ちょっと姉貴に」
「シャロン様に? なんで……」
「なんでって、それは」
だってこの先彼女には、難癖で断罪され婚約も破棄され、その後は復讐に手を染め断頭台へと送られるという不幸と不条理を詰め合わせたような未来が待っているから。
なんて答えられる筈もなく。
「いや、ちょっと顔が見たくなって」
首の後ろを押さえながら、いつものように嘘をついた。いや、これはあながち嘘でもないだろう……無事な彼女の姿を見たいというのも、間違いなく俺の本心なのだから。
「……だからなんで?」
改めて同じ疑問を呈されても、言葉に出来そうもない。次にどんな詭弁を返そうかだなんて考えていたところで、お目当ての人物が顔を出してきた。
「あなた達、上級生の教室の前で何をやっているのかしら?」
怪訝な顔で俺達を睨む姉貴。
「ああ、姉貴……良かった、無事で」
「無事って、何もないわよ」
「あ、いえシャロン様……アキトが突然変な事を」
焦りながら弁明するクリスだったが、姉貴から返って来たのはため息だった。
「だからって、あなたがそれに乗せられてどうするのよ……だいたいこの愚弟が奇行に走るのは今に始まったことじゃないでしょうに」
返す言葉も無く黙るクリス。だが悲しいかな非難されるのはやはり俺だ。
「で、あなたはその間抜けな顔を私に見せにきたわけ? 悪いけどこれから翠の聖女に挨拶に」
「ミリアに!?」
一歩踏み出そうとする姉貴の前に、両手を広げて立ちふさがる俺。何をどうすれば姉貴の未来が変わるのかなんてわからないが、少なくとも今ミリアと会わなければ事態の進行を遅らせる事は出来るだろう。頼むからそうであってくれ。
「それが何よ」
「いや、ちょっと姉貴に急ぎの用事があって」
「用、とは?」
一歩足を踏み出し、ずいと詰め寄ってくる姉貴。
――そこまで考えていなかった。
「えーっと……」
「本当だよ、突然走り出しちゃってさ。追いかける僕の身にもなってくれないかな」
頭をひねる。考えろ、考えるんだアキト=アズールライト。俺が養子に選ばれたのだってこの頭があったからだろうが。何でもいいんだ、姉貴とミリアが顔を合わせないだけの時間が稼げれば。
「用がないなら行くわよ?」
「じゅっ……!」
通り過ぎようとした姉貴を咄嗟に呼び止める。口から出かけた言葉は余りに屈辱的な物だったが、これしか思い浮かばなかったので仕方がない。
ああそうだ、今度こそ俺は間違えない。あの酷い光景を、二度と見たくなんてない。
だから俺はいつものように、嘘と偽りしかない言葉を紡いだ……明後日の方向を見ながら。
「授業でわからないことがあるんだ……」
凄い形相のクリスが俺を見てくる。この男は授業時間と睡眠時間の区別もついていないくせに、何を言い出しているんだと言いたげな形相だ。だがいい、大事なのはクリスじゃない。姉貴だ、姉貴の反応はどうだ。ちらちらと目線だけ動かせば、そこには直立不動の聖女が――。
いや、違った。よろめいた、そして膝をついた。婚約破棄をされ罵詈雑言にさらされてもなお折れなかったシャロン=アズールライトの膝は、『姉貴、勉強教えてくれよ』という言葉で脆くも崩れ去ったのだ。
「シャ、シャロン様!?」
倒れ込む姉貴を急いで支えに走るクリス。クリスは姉貴の体を支えながら俺を睨んでいるが、今だけは許して欲しい。これは彼女を救うための、嘘と偽りなのだから。
「訂正するわクリス……どうやら愚弟のタチの悪さは私達の想像を遥かに超えていたようだわ」
「はい、その通りです!」
全力で同意するクリスの肩を借り、姉貴はゆっくりと立ち上がる。
「どういうつもりか知らないけれど、吐いた台詞の責任は取るんでしょうね」
「あ、いやちょっとだけ」
「ちょっとぉ!?」
急に声を荒げる姉貴。今から何か他の用事に……いや駄目だ、もはや彼女はこの国を担う聖女の形相をしていない。
「着いて来なさいアキト……あなたがアズールライト家次期当主として学ぶべき事を」
二本の足で大地に立ち、両の腕をしっかり組んで。前世の言葉を借りるなら、そう――教育ママだ。
「今すぐ頭に叩き込んであげるわ!」
◆
連れて行かれた先は生徒会室だった。何を隠そうこの聖女は、学園では生徒会副会長という非の打ち所の無い立場にいるのだ。もっとも前世の記憶にある学校のような、選挙で選ばれる民主的な組織……と言うよりは、次期貴族達による政治の練習場所のような物なのだが。
つまり何が言いたいかというと、ここには為政者が学ぶべき本が図書館以上に充実しているという訳で。
「ここからこれと、この本に、これ! 覚えるまで今日の晩ごはんは無いと思いなさい!」
応接間のソファーに座らされ、大量の本を積み上げる。最早授業の範囲どころか学園で学ぶべき事以上の知識が本という形になってうず高く積まれていた。
「あの、授業の範囲で……」
「い・い・こ・と?」
無言で頷く。隣に座るクリスもどこか満足げに頷いているのはなぜだろうか。
「まぁ君がどういうつもりか知らないけど、公爵家ならこれぐらいは覚えておいて当然じゃないかな」
「いや、この量は流石に当然ではないだろ」
「あのねぇアキト、自分の身分と立場ってものをよーーーーく考えてくれないかな」
クリスに肩を叩かれながら、そんな事を言われてしまう。
「けれど俺は」
所詮仮の跡継ぎでしかないんだぞ、なんて言わない。目の前に姉貴がいるし、何よりクリスには伝わってくれていた。
「だからこそ、だよ……それに良いじゃないか、たまにはペンで周りを負かしてやればさ。お得意の剣じゃなくてね」
クリスが笑う。それだけで張り詰めていた糸が、少しだけ緩んでくれたような気がした。
「クリスの言う通りよ。それに貴方がこのまま勉強をしないままだと」
「ままだと?」
「アズールライト家は二代にわたって脳も筋肉で出来ていると笑われるわ」
ああ、まぁ……それは困りますね未来の国母様。それとなく心の中で義父に謝罪しながら、諦めてうず高く積まれた本を手に取る。その背表紙には現代戦術論Ⅴと箔押しの文字で刻まれていた。
――懐かしいな、これ。版は違うが孤児院にいた時に読んだ本の一冊だ。
と、ここで忘れていた事が一つ。姉貴が生徒会副会長なら、誰が生徒会長かという疑問についてである。だがこれも少し考えればわかる話で聖女以上に立場のある人間なんて最早一人しかおらず。
「これはまた、随分と賑やかだね」
この国の第一王子、ルーク=フォン=ハウンゼンが姿を現した。金髪翠眼で背は高く、美術館の彫刻から抜け出してきたような美形。王子様、という言葉に恥じない完璧なその男は、柔和な笑顔を浮かべながら目の前の光景に感想を漏らした。
そんな婚約者の登場に一瞬驚いた姉貴だったが、小さな咳払いを一つしてから深々と頭を下げる。
「殿下、失礼しました。愚弟に教育的指導をしておりまして」
続いて俺とクリスも頭を下げようとしたが、ルーク殿下はそれを片手で制した。
「いや、構わないよ。少し資料を取りに寄っただけだからね」
そう言って殿下は本棚の前に立ち、俺達に背を向けた。そのまま目的の本を見つけて、ゆっくりと手を伸ばしたのだが。
「晩ごはんは無しか……」
そんな言葉をつぶやいてから、小刻みに肩を震えさせる殿下。そこから聞いていたのかと納得した俺だったが、当の発言した本人は一瞬で顔を真赤にさせた。
「ちが、違うんです殿下! それは言葉のあやであって……」
「いや、いいんだ、本当に……フフッ、アキト君も頑張ってね」
そんな言葉を残して、ルーク殿下は逃げるように生徒会室を去った。そして残った俺達だったが、空気は依然冷たくなり。
「姉貴、俺の晩飯は……」
そう尋ねた瞬間、選ぶ言葉を間違えた事に気付いた。隣のクリスも声を押し殺して笑っているし、等の姉貴は耳まで真っ赤にしていて。
「あるわけないでしょう!?」
彼女にとって、ルーク殿下の前で恥をかくというのは激怒するだけの――冷製で聡明な聖女の仮面が剥がれるだけの――十分な理由だった。それを失念していた自分の間抜けさが嫌になる。
……明日の朝飯も怪しいな、これは。
◆
結局日が沈むまで居残りさせられた俺は、クリスと共に近くの屋台で串焼きをつまむ事にした。もちろん迷惑料も兼ねて支払いは俺である。
「しかしどういう風の吹き回しなんだい? シャロン様に勉強を教えて欲しいだなんてさ。まさか本当に勉強がしたかった、なんて言うんじゃないだろうね」
「やっぱり気付いていたか」
それはそうだろうな、と声に出さず納得する。昨日まで授業中寝ていた人間が品行方正を絵に書いたような姉に頭を下げて勉強を乞う、なんて事はあり得ないのだ。
「まぁ結果的には良かったんじゃないか? 大幅な予習ができてさ」
「ああ、今日のところはな……」
だが所詮は『今日のところは』でしかないのだ。二人の邂逅を阻止できたものの、あくまでそれは一日先送りしただけの話。これからミリアの認定式までの間姉貴に勉強を教えられ続けるというのはやはり無理がある。
認定式……その言葉のせいで、またあの光景が頭を過る。
これでいいのか、これが正解だったのか? 俺はあの未来を少しは変えられているのか?
押し殺していた不安が顔を出したから、串に残った最後の肉と一緒に無理やり胃の中へと飲み込んだ。
「明日はどうすればいいんだろうな……」
何の案も浮かばない自分の頭の足りなさを呪う。どれだけ姉貴につきまとったところで、ミリアとの邂逅はいつかやって来るのだから。
「どうって、翠の聖女を見に行くんじゃないのかい?」
まだ二口しか食べていないクリスが当然の疑問を投げかけてきた。彼女としてはただ一日予定がずれた、ぐらいの認識でしかないのだろう。
「その翠の聖女が」
そこでふとクリスの唇に目が奪われた。見慣れている筈のそれには、串焼きの肉の脂が乗ったせいで妙に艶めかしく輝いていた。紛うことなき女性のそれに触れたら、どれだけ柔らかいのかと想像せずにはいられない。
「アキト?」
何の気なしに呼ばれた自分の名前のおかげで俺は正気を取り戻す。いくらクリスが女だったからって、単純すぎるだろう流石に。今はそれよりも大事な話をしている途中じゃないか。
「まぁその、問題なんだよな」
「問題って、何が」
まともになった頭でも、クリスにどう説明したらいいのか判断できない。前世がどうだと言ったところで、教室での会話と似たような扱いをされるだけだろう。それに最悪の場合、今日の放課後まで戻されかねない……だからそういう類の事を省いて説明する必要があった。
「俺としてはさ、認定式までミリアと姉貴を会わせたくないんだ」
「……へぇ」
少しだけ語気の強い相槌がクリスから返ってくる。
「何だろうな、事前の事故防止というか……二人共聖女って共通点はあるけど、それ以外は真逆のようなものだろ? 性格も生まれも育ちも、さ。だから雑談するだけでも険悪になりそうだなって」
嘘と真実が半々のような言い訳を口に並べるが、返ってきたのは少し冷たい疑り深い目線だけだった。
「……それを見た誰かが妙な噂を流す、とか」
なので、もう少し真実を足してみる。彼女は少し考え込んでから、そのまま小さく息を吐いた。
「まぁ、あり得ない話ではないね。話の筋も通っている」
ようやく納得してもらえたのか、そんな言葉を呟いた。
「で、君はその対策として明日もシャロン様に勉強を教わるのかい?」
「認定式当日まで通じる手ならそれでいいんだけどな……通じると思うか?」
「無理だろうね」
「だよな」
「主に君の気力が持たない」
おっしゃる通りで。
「しかしシャロン様がミリアと顔を会わせない方法か」
「いや、それは避けられないだろうな。認定式の準備で遅かれ早かれ顔合わせはするだろうさ」
自分で言葉にしたおかげで、対処するべき問題が見えてきた。先送りじゃない、根本的な原因がどこにあるのかを。
「問題は多分……どうすれば姉貴が周囲から誤解されないか、なんだ」
思い出したくもない記憶がまた顔を出す。だけど答えはその中にしかない筈だ。
姉貴は婚約破棄をされる。何故か? ルーク殿下が決めたからだ。
なぜ殿下は決めたのか? 姉貴の悪評を耳にしたせいだ。
なら答えは、やるべき事は一つ――姉貴の悪評を生み出さない。
「なるほどね」
彼女は残りの串焼きを一気に頬張り飲み込んだ。それからハンカチで口の端を上品に拭った後、残った串をダーツのように近場のゴミ箱へと投げた。
「……なら、こういうのはどうだい?」
妙案が思いついたのか、得意げな顔をしてクリスが微笑む。聞かされたその案には無理があるような気がしたものの、現状他の選択肢など思い浮かばなかった俺は飲み込むしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます