第45話・原始のパン

『ワタシタチ、ニンゲンタベナイ! アナタタチ、オトモダチ!』


 一方アダムはカタコトで賢明に意思を伝えようとしている。素戔嗚すさのおに色々と教えてもらったものの、ネアンデルタール語はまだまだである。


『う、うむ……そういうことにしておこう! しかし、小さな群れなのだな?』


 信じる信じない以前のもんだいが、ネアンデルタールの心に浮上した。一生懸命すぎて申し訳ない。そんな気持ちである。

 基本的に群れから分裂するのは、優しさを持つ者たちである。それと同時に、ほんの少し無知に育てられた者たちだ。なぜ人を食べるのか、その文化の始まりを彼らは知らない。


『オトモダチ! タベナイ! ダイジョーブ!』


 アダムには焦っていることしかわからない。焦りの原因は不安や恐怖であるのだとアダムは思った。だから繰り返し、敵意なしを訴えた。

 全く言葉が通じていないのである。


 穀物は倉庫に主に納められている。だが、一部は居住用家屋の中にあったのだ。

 エヴァはそれを、ネアンデルタールの子らに言葉もなくただ与えた。


『いいの?』


 子供は聞き返す。言葉自体はエヴァにわからない。だけど、言いたいことはわかっていた。だから、優しくただ口元に運んだ。

 彼女はもう四人もの子を持つ母親である。母であるとして、子供の飢えを見過ごせなかったのだ。

 エヴァの手が口元にそれを運んだのは、食べて良いという許可であると思った。だから、子供はそれを受け取って、自らの親に差し出した。


『もらった!』


 と満面の笑みで。

 サピエンスとネアンデルタールでは穀物の食べ方が違ったのだ。


『良いのか!? まだ何もできていない!』


 言葉は通じぬままだ。

 だがそこに、仕事を失った素戔嗚すさのおが折良く訪れたのである。

 カナンと石工の少年はもはや言葉なくして、語り合える。だから、必要なのはアダムでも代用可能な程度の膂力だったのだ。


「アダム、ちょっと交代だ! カナン見てやってくれ! こっちは俺が預かる」

「わかった!」


 アダムと素戔嗚すさのおが交代して、そのおかげで話は一気に前進することになる。


「さてと、どんな話になってる?」


 まず素戔嗚すさのおはエヴァに訊ねた。


「今、白の子に食べ物をあげたんだけど、食べてくれないの!」


 サピエンスはまだ穀物は焙煎して食べていた。

 穀物が持つエネルギー体、デンプン。それは、現人類は既にそのままでは消化が困難になった物質である。この時、ネアンデルタールは既にその困難化が始まっていたのだ。


 デンプンに水と熱を加えて調理する。するとデンプンの結合が解け、あいだに水分子が挟まることによって糊化こかする。この糊化こかしたデンプンが現人類が主に吸収している炭水化物の正体だ。

 つまり、焙煎では糊化こかが発生しない。水を混ぜる工程が抜けているのだ。


「なるほど……」


 素戔嗚すさのおは納得したあと、言語を変えて橋渡しを敢行した。


『なぁ、普段どうやって食べてるのか、こいつらに見せてやってくれないか?』


 石器の知識をサピエンスに与えるのは、絶望的だった。カナンのせいでサピエンスも石器先進文明になりつつあったのだ。

 この時代に先進文明だの後進文明だのは無い。どの種族にも先進性があり後進性があるのだ。


『わかった! 石を借りていいだろうか?』


 ネアンデルタール人にとって石は道具の素材であると同時に、調理器具である。


『ちょっと待ってろ!』


 素戔嗚すさのおはそう言って、カナンの工房から石をもらってきた。それをネアンデルタールに渡すと、彼らは穀物を粉砕し始めたのである。


「え!? そんな細かくすると、焼くの大変!」


 とエヴァは思ったが、素戔嗚すさのおが止めた。


「まぁまぁ、こいつら面白い食べ方するぞ!」


 その頃、ネアンデルタールは穀物を粉砕し終えた。


『水を貰っていいだろうか?』


 そう、ネアンデルタールは原始的なパンを作って食べていたのだ。


『おう!』


 素戔嗚すさのおは植物で濾過された水をネアンデルタールに渡した。一瞬ネアンデルタールはその水をみて驚いた。なんとも澄んだ水だったからである。

 その水を使って、ネアンデルタール人たちは穀物の粉をこね回した。ある程度それがまとまってくると、石に乗せてそれを火で焼いた。


「え!? こんなことできるんだ!?」


 エヴァもビックリである。サピエンスはパンとの邂逅をここで果たしたのである。

 穀物、ねこじゃらし粉のパン。この時代、なにせ小麦はまだなかったのだ。

 やがてジリジリとそれが焼ける音が聞こえてきた。


『焼けたぞ! どうだ? 食べるか?』


 その最初の一枚はエヴァに差し出されたが、それをエヴァは固辞する。


「最初は子供に食べさせてあげて。お腹すいてるんでしょ?」


 言葉は通じない。でもある程度は行動から読み取れる。


『子供からだとよ!』


 通じない部分は、素戔嗚すさのおが通訳だ。しっかりとしたコミュニケーションが取られていた。


『優しいのだな……。では、失礼する』


 そうして、最初にパンは子供に与えられた。

 学んだエヴァはゴリゴリと、ネアンデルタールたちに混じって生地作りに励んだのである。

 やがてその場に宇迦之御魂うかのみたまとカインが戻ってきて、カナンとアダムも戻ってきた。この日の食事は、そうして始まったのである。

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