第28話・光の名

 その日、夜の子守番は、アダムと宇迦之御魂うかのみたまだった。日によってその組み合わせは違う。実親が一人、それから女手が一人。それは決まりとしていたのだ。母性的な接し方は幼児にはどうしても必要だから。


「ん……んぅ……だぁ!」


 別に何でもないのに、日の出の前にカインは目を覚ました。陽の光もまだ、彼の顔を照らしていないのに。


「カイン、おはよう」


 アダムは言う。今日も無事目覚め、そして生きていくのだと、ただ何でもないようなそれだけで、この時代の人類には幸福である。やがて、西から昼と夜の境目が彼らに迫った。

 青に赤と橙を混ぜたような東雲の色は、あまりに美しく、人類を魅せた。


「なぁ、カイン。お前はどんなことがしたい?」


 アダムは、答えられるはずもないと思いながらも、なんとなしに訪ねてみた。


「あー!」


 すると、カインは太陽に向けて手を伸ばしたのだ。

 カインの心はこの時に既に探究心でいっぱいだったのだ。あの大きな光は一体何なのか。なぜこんなにも美しいのか。それを考えると、知りたくてたまらなかったのだ。カインは東に飽くなき憧憬を抱いた。


 太陽とは、生命の父祖と呼べるだろう。原始の生命は、自然核分裂炉の刺激によって生まれたとされる。核の分裂と融合は、この太陽系にて太陽から始まったのだ。

 まるでそれを習ったかのように、地球にも核分裂炉が自然に生まれた。その刺激の中で細胞膜すら持たない原始の生命が誕生した。そして今や、降り注ぐ光はあらゆる生命に試練と繁栄をもたらす。太陽こそ、原始の畏敬の対象である。


「カイン、あれはね、スサの姉が司ってるのさ! あの光が、命に恵みをもたらす。大分暑いけど、必要なのさ!」


 宇迦之御魂うかのみたまはカインに言った。どんな意味を持っているのかはわからない、でもそれがなんだかとても大事に思えた。

 カナンはまだ眠っていた。だが、太陽が彼女の瞼の上に光を注いで、たたき起こしたのだ。


「おぎゃあああああ!」


 眩しすぎる、そして何も見えない。瞳を焼くほどの強烈な光に、カナンは恐怖を覚えた。

 太陽は直接見てはいけない。人の目で見つめるには強すぎる光だ。それは、いついかなる時代であろうと変わるものではない。


「おー、よしよし。怖くないぞー! 悪いものはいないからな!」


 宇迦之御魂うかのみたまはすぐに駆けつけて、カナンをあやした。抱き上げて、太陽の光から守りながら小刻みに優しく揺らした。


「面倒かける……」


 この頃、サピエンスの語彙は増えつつあった。新たなものに音を定義し、名前を与えた。


「好きでやってるさ。可愛くて仕方ない」


 宇迦之御魂うかのみたまはただ、そう笑ったのだ。


「じゃあ、もっとかけていいか?」


 アダムは少し、訪ねたいことができた。


「よし来い!」


 宇迦之御魂うかのみたまは世話焼きだ、神のほとんどがそうである。よって、待っていたとばかりに答える姿勢を取った。


「アレは、なんて言うんだ?」


 誰も彼もがそれに音を定義しなかった。無意識のうちに、恐れ多いと思っていたのである。


「そうだな……」


 宇迦之御魂うかのみたまは、地面に指で字を書いた。まるでそれは象形文字であり、また漢字のようでもあった。それが神代文字じんだいもじ天御中主あめのみなかぬしが伝えた、この時代の唯一の文字である。


「こうだ!」


 書き上げると宇迦之御魂うかのみたまは言った。


「なんだこれ?」


 アダムにはわからない。文字なんて使ったことも、見たこともない。


「うーん。言葉を印にしたもの……? いや、なんといえばいいか……」


 文字なんて言葉は存在しない。文字のみの言語と、音のみの言語しかまだないのだ。それらをつなぐ概念が存在しないのは当然である。


「うーん……」


 アダムは悩んだ。だが、宇迦之御魂うかのみたまは閃いたのである。


ナァ名前をあれにくれ! アレは、あたしの家族も同然だから!」


 そう、司る天照大神あまてらすおおみかみは、宇迦之御魂うかのみたまの叔母である。誰も彼もがまだまだ名を持たぬ時代。名前先進種族はサピエンスである。よってそれは、サピエンスに頼むのがいいのだろうと思ったのだ。


「いいのか!?」


 そんな大きなものに名前を付けるとは、恐れ多いと思った。だが、言葉とは名づけだ。物に名をつける名詞、動きに名をつける動詞、感情の動かし方に名をつける形容詞。そう、どれもこれもが名前なのだ。


「いいじゃないか! やっておくれよ! あたしや、スサの家族なんだよ!」


 そう言われて、思ってみればそうなのかと思った。宇迦之御魂うかのみたまの家族というのなら、もしもそれで喜んでくれるのであれば是非に。アダムはそんな風に思ったのである。


「じゃあ、エヴァと一緒に……」


 天にある、あの巨大な光に名前をつける。それは、人類で最も巨大な仕事だった。アダム一人でできるわけもない。それに、これまでもエヴァと一緒にやってきたのだ。だから、アダムはこのおお仕事を二人で行うことを決意した。


「それがいいね!」


 宇迦之御魂うかのみたまはアダムの考えを肯定する。

 二人で力を合わせた名付けは、どれもたくさんの願いを持っている。きっと太陽にも、たくさんの思いをくれるのだ。そんな風に宇迦之御魂うかのみたまは思った。

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