第19話・スネークマスター

 本来過酷なはずの砂漠の旅は、アダムとエヴァにはびっくりするほど快適だった。

 だが、時が流れてある日のことである。エヴァが食事中に急に口を押さえたのである。


「うっ……」

「まさか……?」


 エヴァは若く、妊娠は初めての経験だった。故に、つわりの症状が現れたのである。


「多分……」


 家を作っての旅を初めて四ヶ月後の出来事。そう、家を作ってすぐにエヴァの腹の中には命が宿っていたのだ。


「でかした! 祝いだ! 少し待ってな!」


 そう言って、宇迦之御魂うかのみたまはすぐにアフリカへ引き返した。神が何も持たずに全力で走れば、一瞬だ。なにせ、地上最速である。


「あいつ、浮かれすぎだ……」


 だが、宇迦之御魂うかのみたまがすぐに行ってしまって素戔嗚すさのおは困ったのである。

 なにせ妊娠した女性のことなど、男には想像が難しい。ましてや人間の女性だ。もう男神には絶対に無理である。なにせ、臨月間近の赤子の重さをものともしないのである。


「エヴァ、大丈夫か? 欲しいものないか?」


 アダムはおろおろと、でも全力でエヴァを気遣おうとした。


「大丈夫。多分、ウカが取りに行ってくれたもの」


 そう言ってエヴァは笑った。ほんの少しだけ、力のない笑顔だった。

 妊娠というのは大変なことだ。ホルモンバランスの急激な変化が起き、それが終わったと思えば今度は腹が重い。


 万が一にも外に出してはいけない、愛しい命を抱えながら行動するのだ。大変などというものではない。そして生まれたと思えば、ホモ族の子供は生物で最も未熟に生まれるのである。

 だから、アダムの群れで妊婦と子供が最重要保護対象である。大人は、それを守るためなら喜んで命を捨てた。

 その流れで、アダムも妊婦にはとても優しいのである。


「そうなのか? ちなみに、なんだと思うんだ?」


 アダムが訊ねる。それに興味津々で素戔嗚すさのおもエヴァに対して聞き耳をたてていた。


「多分、酸っぱい果物」


 口の中の不快感、胸のムカつき、果物の酸味はそれらに有効だ。


「あー、なるほどなぁ……。よし、ちょっと待ってろ!」


 と、結局素戔嗚すさのおまでも離れてしまったのだ。

 大蛇の姿になって、蛇語で何かを叫びながら行ってしまった。


 となると、アダムは大変である。この果てしない砂漠には、毒蛇や蠍までいるというではないか。そんな中でアダムはエヴァを守りきる自身は全くなかった。

 それでも気合を入れて周囲に意識を配る。だが、ダメだったのだ。砂漠の狩人たちは、砂漠に溶け込む工夫を幾重にも凝らしていた。


 だから、アダムの警戒を簡単にするりと抜けて、エヴァの足に軽く身体を絡めた。

 見逃した相手が良かったのである。この一体の蛇は素戔嗚すさのおの世話になっている蛇が大多数だ。


「エヴァ!?」


 蛇を見つけてぎょっとして、アダムは叫ぶ。

 すると、蛇はアダムを見て大口を開けて最大限に威嚇した。


「コラ! アダム! これは挨拶じゃん!」 


 エヴァはいつだって、他種族の挨拶をすぐに覚える。この、スサナール族こと蛇の挨拶もだ。


「あ、そっか……ごめん」


 アダムも、最初の遭遇を思い出して反省をした。

 エヴァは少し思案して、それでへび流の挨拶を人間の体でできるようにアレンジした。


「握って!」


 手を開いてアダムに差し出す。


「うん」


 アダムは、開いた手に指を絡めて手をつないだ。きっと絡めるというのが大切なのだと思ったのである。

 故に、現代でいう恋人繋ぎのようになった。

 それをエヴァは、蛇の目の前に持っていった。

 すると、蛇はアダムに威嚇するのをやめ、その足に軽く絡みついたのである。


「おわっ! へぇこんな手触りだったのか……」


 すべすべでひんやりとした不思議な感触はアダムにとって初めての体験であった。

 離れて、アダムを見たり周りを見たり、エヴァを見たりと、その蛇は警戒網に参加してくれたのだ。


「可愛い……」


 エヴァはそんなふうに思って、思わず呟いた。ちろちろと出る舌がチャームポイントであると思ったのである。


「確かに、ちょっとそう思った」


 警戒する気持ちや、不思議過ぎて不気味という先入観を捨ててみると、案外愛くるしい顔をしている。アダムもそう思ったのである。


「え!?」


 この前は怖いと言っていたかアダムだ。急に意見を変えてエヴァはびっくりした。


「いや、味方になってくれると心強いし舌が……ね」


 ちろちろと動く舌が可愛らしい。目も意外とつぶらである。

 だが、大変なのはそのあとだった。


「ひゃ!?」


 またエヴァが別の蛇に絡みつかれた。


「あ、もしかして……」


 アダムは嫌な予感がして仕方なかった。

 そう、その一帯の蛇で暇な者がエヴァを守るべく次々と参上していったのだ。

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